気分が落ち込んでいる理由。
部屋に入り込んだ一匹のはえがうるさいこと。
忙しいこと。
わがまま勝手なイラン人にほとほと疲れ果てていること。
ペルシア語のチェックを頼んだ人が、全然仕事をあげてきません。こちらが頼んだ期日を二ヶ月近く遅らせているため、こちらもいい加減腹が立ち、少々きつい口調で催促メールを出しました。
すると、まあ、「いかにあんたのペルシア語に問題があり、いかに自分が正当であり、正しい仕事をしているか」という激烈なメールが返ってきました。
まただよ。メールを読んでため息が出ました。
「仕事」に対する概念が違うので、仕方がないと言えば仕方がないのですが、頭の痛いところです。仕事をするということがどういうことか分かっているのか?と怒鳴りつけたくなることもしばしば。
プライドの高い人たちなので仕方がないのかもしれませんが、一緒に仕事をするには難しい人が多いのも確かです。
何といっても、まず、「
私があなたの仕事をしてあげているのだ」という意識であるため、こちらのニーズに応えるということは考慮されません。
そしてもう一つ、学歴が高くなると、「人に雇われる」ということに対しても抵抗感が強くなります。官公庁などに勤めるのでしたらあまりそれには抵触しないようなのですが、個人に雇われるということはとてもプライドに差し障りがあるようです。
今回のペルシア語チェックの彼もそうですが、例えば日本語通訳でもそうです。
日本で働いていたことのあるイラン人は、「働く」ということがどういうことか、理不尽なことも多少は我慢しなければならないということがよく分かっていますので、彼らは日本側からの要求に非常によく応え、誠実に仕事をしてくれます。
ところが、海外に出たことがなく、大学の日本語学科で日本語を勉強した人たちは、「私たちは学士なんだ」という意識が非常に強く、給料が高く、楽な仕事しかしようとしません。
例えば、取材や研究者のための通訳ですと、アポを取ったり、資料を取ったりという仕事も入ってきますが、彼らは「こんなことは自分のする仕事ではない」と言い、「通訳」というおいしい部分しか取りたがりません。そのくせ、給料は沢山もらいたがります。コーディネートをしないなら、その分を減らされるのは当然だろうと思うのですが。
アポを取ったり、資料を集めたりという仕事は地味で、また嫌な思いをすることもあります。彼らはそれが嫌だと言うのです。学士号を持っている自分たちがどうして人に頭を下げなければならないのだと言うのです。
お金をもらうってそういうこと?学歴ってそういうこと?と思わずにいられません。
個人経営の商店や企業ばかりのはずだよと思わずにいられません。
人に使われたくないから、さっさと独立してしまう。
それが悪いことだとは言いませんけど、何かが違っているような気もします。結局、独立といっても何か独創的なことをするわけでなく、人と同じことを個人でやっているだけ。だから大きな仕事などできやしないわけで。
寄らば大樹の陰という日本と、一匹狼のイランと。
どっちもどっち、と思いはするものの。
イラン人が憧れる「日本のような経済発展」を達成したいなら、もう少しその気質を変えないと難しいかもよ、といつも思うのです。