イランという国で
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2012年 08月 19日 |
 イラン暦1391年モルダード月29日、イスラーム・ヒジュラ暦1433年ラマダーン月30日、西暦2012年8月19日

 今日はエイデ・フェトルでした。
 約一ヶ月続いた断食月が終わり、日の出と共に集団礼拝を行い、一ヶ月の義務を果たしたお祝いをします。
 アラブ諸国よりも一日早い断食明けだったようです。

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Jame Jam紙から



 ということなのですが、一ヶ月きちんと断食をしていた人というのはどのくらいいるのでしょうか。
 オリンピックでもムスリムの選手が断食をするかどうか話題になっていたようですが、これはイスラームの決まり事をどう解釈するか、あるいは本人の気持ちの問題なのでとりあえず脇に置いておきます。

 ラマダーン月が夏休みにかかるようになったため、断食中のイランというのは多分3年ぶりくらいなのですが、断食をしていない人が増えたな〜という印象でした。
 昼食時に普通に煮炊きをする匂いが漂っていたり、オフィスを訪ねると、給湯室で男性も女性もお弁当を食べていたり。バーザールでも、表から見えない場所でお昼を食べている人が意外とと見られて、ちょっとびっくりでした。

 断食をするしないは個人の信仰の問題なので是非を問うつもりはないのですが、夏の暑い中、長時間の断食をするというのは、健康上のトラブルを招くことも多そうだなあと、暑い中、仕事であちこち走り回っていて思ったのでした。もちろん、健康な人だけが断食をしなさい、と規定されているので問題はないのですが。
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by sarasayajp | 2012-08-19 18:30 |
2012年 03月 20日 |
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サーレ・ノウ・モバーラク


イラン暦1391年のはじまりです。


いろいろな意味で、穏やかな一年でありますことを心より願っております。


これからの一年、どうぞよろしくお願いいたします。

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by sarasayajp | 2012-03-20 18:32 | いろいろ |
2010年 03月 22日 |
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سال نو مبارک باد

آغاز سال نو تبریک می گویم

امیدوارم که سالهای خوش در پیش داشته باشد


 (あけましておめでとうございます。
 一年のはじまりに際し祝福を申し上げます。
 これからも良い年でありますよう願っております。)

 イラン歴1389年の始まりです。
 みなさまにとってこの一年がすばらしい時でありますように!
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by sarasayajp | 2010-03-22 16:12 | いろいろ |
2009年 12月 23日 |
 21日の夜はシャベ・ヤルダー(冬至の夜)でした。

 今年はモハッラムの始まりと重なったため、犠牲にされる羊とすいかが並んで売られているという、哀悼と楽しみという相反する行事が並ぶ不思議な雰囲気でした。カメラを持っていなかったのが残念な光景でした。

 
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 アーシューラー期間ははイブやクリスマスと重なり、さらにアーシューラー当日はある層のイラン人にとって大きな意味を持つモンタゼリー師の初七日とも重なります。地方の小さな町でこの日を迎える予定ですが、どんな日になるのでしょうか。

 明日からしばらく地方を回ってくる予定です。ネット環境には期待できないため、テヘランに戻るまで更新は難しいと思います。
 みなさま、よいお年をお迎えください。

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2009年 12月 09日 |
 イラン暦アーザル月16日、イスラーム・ヒジュラ暦ズィー・ハッジャ月19日、西暦12月7日

 イランではこの日は「大学生の日」でした。
 もともと、革命に至る流れの中で反体制派の学生が数名殺された日を記念したものだとのことです。というか、こんな記念日ばかりなので、どれがどれなのかという気分です。

 この日、反体制派の学生によるデモが行われるという話で、寮で暮らす学生には暴動などに巻き込まれないようにと避難する学生も多く、大学は危険だからと早々に休講を決め込む先生や、欠席を宣言する学生も多くいたようです。
 ちょうど前日の日曜日が、ガディール・フンム(ペルシア語ではガディール・ホンム)というシーア派にとって重要な宗教的記念日のために祝日で、金曜日との間に挟まれた土曜日が休日となり、木曜日から四連休となっていました。連休明けですから、授業をしないですむならその方が、という気分も漂っていたのだと思います。

 そうした中、エンゲラーブにある大学の本部は、いくつかある入り口はすべて「ガディール・ホンムおめでとう」という横断幕によって封鎖されていて、入構できなかったのだのことです。
 外国語学部は本部からは離れた場所にあるため、休校措置は取られることはありませんでした。しかし、外国語学部、体育学部、工学部などいくつかの学部は、本部とは離れていても寮と隣接しているため、寮で何かあった場合は、ある意味危険なのではないかとも思うのですが。

 とりあえず、休校でないなら出勤しないわけにはいかないしと大学に向かったのですが、寮の周辺の小路の入り口は警官や兵士が警戒態勢に当たり、いつでも道路が封鎖できるようにブロック用の柵が用意され、厳戒態勢が取られていて、これでは大学に来る学生はいないだろうと思わざるを得ませんでした。後で聞くと、大学本部近辺などでは商店が「略奪などにあわないように」店を開けないよう強要されていたとのことですし、交通にも規制がかかっている場所もあったようです。
 そんなんじゃあ学生は来ないだろうなあと思いながら念のためと教室を覗いてみると、なんと、三分の二ほどの学生がいるのでびっくりです。先月のアーバーン月13日の記念日も学部のほとんどの授業が休校になる中、私の担当授業はすべて成立していたのですが、今回も4コマすべてが成立したのでした。
 「そりゃあ、先生の授業を休む勇気のある学生はいないでしょう」と他の先生にはからかわれたのですが、別に普段、そんなに出欠を厳しく言うわけでもないのに、と、少々心外だったのでした。

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2008年 03月 20日 |
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سال نو مبارک باد

آغاز سال نو تبریک می گویم

امیدوارم که سالهای خوش در پیش داشته باشد


 (あけましておめでとうございます。
 一年のはじまりに際し祝福を申し上げます。
 これからも良い年でありますよう願っております。)

 イラン歴1387年が始まりました。
 この一年が皆様にとって心楽しいものでありますように!


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2008年 02月 11日 |
 イラン暦バフマン月22日、イスラーム・ヒジュラ暦サファル月3日、西暦2月11日

 今日はイラン・イスラーム革命勝利記念日です。日本の建国記念日と同じ日なのは偶然です。

 1979年から29回目の記念日を迎え、テレビなどでは革命を振り返り、賞賛する番組ばかりです。
 ただ、そのなかでちょっとおもしろかったのは、最初に行われた選挙の時の様子を報じた映像の中で、スカーフをかぶらない西欧的な若い夫婦が、「投票するつもりはありますよ。え?イスラーム共和国?まだ、それがどんな体制なのか全く情報がないからまだ投票には行っていないのよ」とインタビューに応じているものでした。熱狂的な人々が「イラン・イスラーム共和国に投票するぞ!この体制は一番だ!」と叫ぶ様子だけではなく、このように冷静な意見を述べる人の映像を流すということにちょっとした驚きを感じたのでした。当然、このように考えていた人もたくさんいたに違いないのですが、これまで、そういう映像をほとんど見たことがなかったように思うからです。

 イラン・イスラーム革命勝利記念日については、こちらをご参照ください。

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2004年 10月 30日 |
 今日はイラン暦アーバーン月9日、イスラーム・ヒジュラ暦ラマダーン月15日、西暦10月30日

 今日はシーア派第二代目イマーム・ハサンの誕生日です。

 彼は初代イマーム・アリーと預言者の娘ファーティマの長子です。

 彼は、自分の血を伝えるものとして預言者に非常にかわいがられていました。

 父であるアリーの死後、預言者とアリーの血を引くものとして、イラクの民を中心に支持を集め、カリフを名乗りましたが、年金をもらうのと引き替えにその権利を、父を殺したウマイヤ朝のムアーウィヤに譲渡しました。

 彼は何度も結婚と離婚を繰り返し、離婚者(ミトラーク)という異名で知られるほどでした。性格も優柔不断で、弟のフサインと衝突を繰り返したと言われています。

 45歳頃にメディナで病死しましたが、シーア派の伝承によると毒殺されたことになっています。


 イスラーム圏には、サイイド(ペルシア語ではセイエド)と呼ばれる、預言者の血を引くとされる人が沢山存在します。サイイドにはこのハサンと弟フサインの血を引く二つの系統があり、本来ならその家系図がないとサイイドを名乗れないのですが、イランでは不思議と自分がどの系統のセイエドなのか知らない人が沢山います。

 イランでは、セイエドだけが身につけることのできる鮮やかな緑色があります。この色の帽子をかぶっていたり、帯を身につけていたりするとその人がセイエドであるということが分かるのです。
 また、ルーハーニー(イスラーム法学者)が頭にかぶっているターバン(ペルシア語ではアンマーメ)も、セイエドは黒い色で、それ以外の人は白いものを巻いていますので一目でセイエドかどうか分かります。

 イラン・イスラーム共和国建国の祖エマーム・ホメイニー師も、ハータミー大統領も黒いアンマーメを巻いています。現在では価値は下がっているとはいえ、やはりセイエドであることは指導者として大切な要素であることを示しているように思います。

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2004年 10月 26日 |
 うっかりしていました。

 昨日はアーバーン月4日、ラマダーン月10日、西暦10月25日でした。

 この日は、イスラームの預言者ムハンマドの最初の妻、ハディージャが亡くなった日ということになっています。

 預言者ムハンマドは、生まれる前に父を亡くし、叔父であるアブー・ターリブの保護を受けていました。
 叔父と共に隊商に加わり仕事をしていた預言者は、その誠実な人柄で有名となりました。それを聞いたハディージャは彼を雇い、シリアへの隊商の長として派遣しました。
 仕事を誠実に成し遂げた預言者に心を引かれたハディージャは、彼に結婚を申し込みました。

 この時預言者は25歳、ハディージャは40歳であったといわれています。彼女は二度の結婚歴があり、二度とも夫と死別し、財産を持つ裕福な商人として有名でした。
 もっともこの年齢には疑問が持たれています。彼女が預言者より年上であったであろうことは疑いありませんが、その後6人もの子供をもうけていることなどから、最近の研究ではもう少し若かったのではないかと言われています。

 ハディージャにはキリスト教徒の従兄弟がおり、神からの啓示を受けたムハンマドが、それを啓示であると理解したのは、この従兄弟とハディージャの助けによるものと伝えられています。

 彼女はイスラームに帰依した最初の人物としても知られています。

 イスラームが受け入れられず、迫害を受けていた間も彼女はムハンマドを励まし、信頼を寄せ続けました。それに対してムハンマドは深く感謝し、彼女が生きている間は他に妻を娶ることはしませんでした。

 二人の間には男二人、女四人の子供がありましたが、男の子は幼くして亡くなってしまいました。息子がないことを馬鹿にするアラブ人に対して神は啓示を下し、ハディージャとの末娘、ファーティマを通して預言者の血統を伝えるとしました。

 ハディージャは、イスラームがまだ激しい迫害を受ける中、西暦619年に亡くなったとされています。

 「イスラーム共和国」イランではありますが、「ハディージェ(ペルシア語の発音)」という名前の女の子はいません。どうしてなのだろうと不思議なのですが、未だに明確な答えが見つかっていません。二人の間の娘ファーティマ(ペルシア語ではファーテメ)の名前を付けた女の子は沢山いるのですが。

預言者の言葉
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