イランという国で
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2013年 07月 11日 |
 日を改めて、もう一度同じ村へ。8時までには来るようにと言われていたのに、車の調子が悪く、8時半を回っての到着。先日とは違う案内人に「遅い」と言われながら出発。
 村の外れの道路脇から谷へ。谷の奥に向かって下り、涸れ川を渡り、谷を登り、また谷を奥に向かって下り、涸れ川を渡り、谷を登り、泉で水を飲み、休憩を取り、また歩き、歩き、歩き、泉で休憩し、ギーラーン州とガズヴィーン州の境界となっているという川を渡りガズヴィーン州側へ。また谷を越え、谷を越え、谷を越え。大小合わせ幾つの谷を越えたのか分からなくなった頃。これが最後の難関、という崩れやすい岩場を恐る恐る下り。
 あそこだよ、と案内人が指さしたのは、岸壁の中程に口を開けた洞窟でした。
 引き続き崩れやすい岩場を登り、踊り場のようになった洞窟の前にへたり込んだのが午後2時頃。
 アップダウンそのものはそれほど多くないのですが、急な上り坂下り坂を避けるために谷をぐるりと迂回するために、とにかく歩く距離が長くなってしまいます。先日と同じく、はじめの30分ほどは高地の空気の薄さに身体が慣れるまでの時間で、ひたすらぜいぜいとあえぎ、案内人について行くのがやっとです。自分の体重と荷物を移動させることの大変さをしみじみ感じます。
 洞窟の前で、案内人が持参のお茶道具でお茶を沸かしてくれ、同じく持参のパンとチーズ(両方自家製とのこと)、私の持参したお菓子で小腹を満たし、洞窟内へ。
 懐中電灯を持ってくるようにとあらかじめ言われていたのですが、それでも暗く、濡れて足場の悪い洞窟内をよじ登り、最奥まで行くのは難しく、途中までで断念せざるを得ませんでした。しかし、来てみないと分からないことはたくさんあるということは改めて実感できたのでした。

 村に帰り着いたのは実に夕方7時過ぎ。2700〜2800メートルという山の中でよくまあ歩いたものだと、自分で感心してしまったのでした。不思議と筋肉痛などはなく、右足の外反母趾気味の親指の付け根が痛くなっただけだったのはありがたかったのでした。
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by sarasayajp | 2013-07-11 08:39 | いろいろ |
2013年 07月 07日 |
 期末試験も終わり、一時帰国までの期間をこれまで継続してきた聖所の調査に充てることにしていたのですが、これまでずっと行ってきた調査の中で山の上にあるとか遠いとかいう理由で残されてきた場所が多く、非常に難渋しています。

 まず、山の中にあるという場所。これが実に多いのです。
 昨年の夏、一時帰国直前にある聖所を訪れようとしたのですが、資料にある最寄りの村というのがまず大変な場所でした。ギーラーン州のルードバール郡にあるということなので、ルードバール市から村に向かったのですが、これがまた大変な道のりで、山の中の人影もない道をひたすら走り、結局道を間違えてしまい、村にたどり着くことができずに一回目のトライは終わってしまいました。
 その際、道を間違えてしまったことを教えてくれた人が、ルードバールからではなくて、ガズヴィーン州側から行った方が道も良いし(少なくとも道の半分までは舗装されているとのこと)、近いと教えてくれたので、そちらから挑戦することに。しかし、村から随分歩いた山の中に目的地があると言うし、これは日の長い時でないと難しいだろうということで、一年待って、この夏に再トライです。
 テヘランからだと大変なので、ガズヴィーンに一泊して早朝出発(テヘラン-ガズヴィーン間は約2時間)、と考えていたのですが、宿の数の少ないガズヴィーンはシーズンを迎えたアラムート観光の客でいっぱいだというので、夜、テヘランを出発して村に向かいました。
 テヘランからガズヴィーンまで2時間、そこから村まで山道を2時間半、村に到着するだけでも一苦労です。
 村で目的地について尋ねるとびっくりです。何と、私が調査する予定だった場所の他に、もう一カ所調査対象になる場所があるというのです。元々の目的地は途中まで車で行って、そこから徒歩片道一時間とのこと。しかし、もう一カ所は、徒歩で片道4時間はかかるというので、一日で両方の調査を終わらせるのは無理だと、とりあえずは近い方から行くことに。
 しかしこれが大変なのでした。村のある場所が標高2700メートルという高地ですから、恐らく富士山の五合目より高いのではないかと思います。そこを歩くのですから大変です。案内を頼んだ村の人は慣れていますからすたすたと歩いて行きますが、普段テヘラン住まいで(標高1000メートルくらい)、デスクワークが多く、加齢もあって体力の低下が目立つ私は、まず呼吸だけでも大変です。カメラなどの荷物6キロを担ぎ、休み休み歩くのが精一杯です。案内の人が親切で、こちらの状況をすぐに分かって荷物を持ってくれたので助かりましたが、それでも身体が慣れるまでは死ぬ思いでした。
 残雪の残る、道なき道を歩くこと1時間半、目的地に到着です。
 現在ではここに詣でる人もいなくなってしまったという標高2800メートルを超える山の上で、どうしてここが聖所とされたのか、やはり高いところに立つと神を近く感じられるのかなあと、ぼんやりと感慨に浸ったのでした。

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雲がとても近く見える感じ

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2013年 07月 02日 |
 大学の期末試験も一応無事に終わり、大統領選挙も現時点で恐らく最も良い結果に落ち着き、何とか夏休みを迎えることができました。
 選挙が終わり、とりあえず国際電話はかけやすくなり、ネットも恐らく選挙前に比べればましになったのではないかと思います。それでも、このブログにログインできない時間帯も多く、更新は諦めることにしてしまいました。

 大統領選挙は、改革系唯一の候補者アーレフ氏が選挙戦を降りてルーハーニー師の支持を表明、ラフサンジャーニー元大統領やハータミー元大統領がルーハーニー支持を打ち出したところでだいたい決まったな、と思っていたので結果は意外ではなかったのですが、決選投票ラインぎりぎりだったのは少々意外でした。

 それにしても面白かったのが、投票に行かなかったという人たちの多くが、決選投票には絶対に行くつもりと言っていたことでした。決選投票になると、最高指導者側の組織票固めが行われてルーハーニー師の当選がおぼつかなくなるということのようです。とにかく、ガーリーバーフ氏やジャリーリー氏の当選だけは阻止しなくては、との決意だったのでしょうが、それならどうして最初から投票に行かないのかなあと、不思議ではあるのですが、前回のように投票操作が行われるだろうと様子見をしていたということがあるようです。
 しかし、一応本命扱いだったジャリーリー氏やガーリーバーフ氏の得票数の少なさは、何となく予想はしていたものの結果として出てきてみるとやはり少しびっくりだったのでした。
「だって、外国に行くと西欧文化にかぶれてしまうから、国民にはパスポートを与えないとかあり得る?」だそうです。選挙運動期間中にジャリーリー氏がそんな発言をしていたとは知らなかったのですが、こんな発言をして国民の支持を得られると思っていたのかなあと、大いに首を傾げてしまったのでした。

 たまたま、開票が行われた日は、知り合いとレストランで夕食でした。レストランに入ったところでは、まだ開票中で、ルーハーニー師が52パーセントとか51パーセントとか言っているところでした。夕食を終えてレストランを出ると、道行く車がクラクションを鳴らし、車内から風船やら布きれやらを振り回したりVサインをしたりと、町は大騒ぎになっていました。ああ、決まったんだなあと思いながら、なんとなく、ハータミー師が初当選を果たした時のことを思い出したのでした。あの投票日、投票を終えた人たちのはしゃいだ様子は、やはりこんな感じだったなあと。

 ルーハーニー師とは実は一度言葉を交わしたことがあります。頭のいい人だなというのがその時の印象でした。行政府の長に過ぎず、その上に最高指導者という権威が控えている中、ハータミー師のように押しつぶされてしまうのか、それともうまく舵取りができるのか、がんばって欲しいなあと思わずにいられません。そして、公約に掲げていた教育の改革をぜひ実現して欲しいと思うのでした。

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地方の荒物屋の店先に貼られたルーハーニー師のポスター

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by sarasayajp | 2013-07-02 00:58 | いろいろ |
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