イランという国で
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2008年 05月 11日 |
 イランの人と名乗る人からのコメントで、私がイランの悪いところばかりを書いている、良いところも書くようにといった内容のものがありました。
 それを読んで思いだしたのが、ずっと以前、「あなたは頭が悪いからイランの良いところが分からないのでしょう。良いところを探すには頭が良くないとできないですからね」というようなことを言った人がいたことでした。

 その時に、「探さないと良いところがない国なんて嫌だなあ」と思ったことは覚えています。
 コメントされたイランの方の不満も分からないのではないのですが、良いところというのはわざわざ指摘しなくてもそこにあるものなのではないかなあと思います。それとも、イランというのは探さないと良いところがなくて、それを見つけたら大喜びでブログに書かなくてはならないようなところなのでしょうか。

 日常の中でごくさりげなく行われていること。それはイランだろうが日本だろうが同じもので、それを改めて「ここがこんなに良いんですよ」と言う必要がないくらい自然なものなのではないかなあと思います。
 私自身、あまり意識していなかったのですが、「ああ、今日は良いことがあったな」と思ってそれを書いたこともあります。でも、下書きの段階でやめたものの方が圧倒的に多いのです。改めて文章にしてみるとなんだか嫌らしいなあ、と感じたからだと思います。それはあくまで私の感じ方であって、是非そういうものを読みたいと思われる方もいらっしゃるのかもしれませんが、ここはあくまで私が書きたいことを書いているスペースですのでそこはご容赦いただきたいと思います。

 それから、最後に。

 私がこれまで書いたものをすべて読んでその上で、「良いことを一つも書いていない」と判断されたなら何も言いませんが、日本ではなくなってしまったけどイランではまだ生きていることについては何度も書いているように思うのですがどうなのでしょうか。それでも何一つ指摘していないように感じられるのでしたらそれはもう仕方がないと思います。


 ところで、以前から考えており、いつにするかタイミングを見計らっていたのですが、ちょうど良い機会なので、ここで少しお休みさせていただきたいと思います。
 最近、ネットを通しての友人が何人か立て続けにブログやサイトを閉鎖・休止しました。皆さんだいたい理由は一緒です。
「結局、私がどう思うか、どう感じるかなんかどうでも良くて、料理の写真とか旅行の写真だけ並べておけば満足なんだよね。そんな人ばかりにあれこれ言われるのがばかばかしくなってきた」
 だそうです。
 非常に考えてしまいました。

 もともと「愚痴ブログ」とも呼ばれているこのブログですが、そうした出来事などもあり、一度、リセットして気分を改めてみようかなと思っていました。今回のコメントがどうこうというのではなくて、そういうタイミングだったということです。

 メールとBBSはこれまで通りですので、何かありましたらいつでもご連絡ください。

 皆様、これまでどうもありがとうございました。

 فعلا خداحافظ

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by sarasayajp | 2008-05-11 00:39 | お知らせ |
2008年 05月 10日 |
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 気分がすっきりしないときは空を見上げてみよう

 夏は雲一つない青空が多いけれど

 春は雲が空に様々な表情を与えてくれる

 流れていく雲をぼんやり眺めていると

 ずいぶんと気分が良くなっているから不思議
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by sarasayajp | 2008-05-10 10:36 | いろいろ |
2008年 05月 09日 |
大学の教職員の部屋が並ぶ一角に、給湯室兼非常勤講師控え室があって、そこにはサモワールとお茶がいつも用意されています。
 私は日本語学科の部屋にいることがほとんどで、お茶を飲みたいと思うたびにそこへ出るのも面倒で、学科室に用意された小さなポットに給湯室でもらったお湯と、これは学科室に用意されているお茶の葉で飲むのですが。

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(給湯室の写真がないのでチャイハーネのサモワールを代理に)

 先日、サモワールからお湯をポットに移しながらしみじみサモワールを眺めていて気がつきました。
 三つあるサモワールには、それぞれメーカーの名前かサモワールの名前かよく分かりませんが、名前のプレートがついています。
 その一つ、「Forutan=謙譲」にちょっと微妙な気分になってしまいました。日本で、たとえばポットに「謙譲」という名前がついていたらどんなかなあと思ってしまったのです。
 サモワールがへりくだってどうするんだろうと思いつつ、もう一つの「謙譲」を思い出してしまいました。

 イランの人はナッツや乾燥果物、各種の種をよく食べますが、それらを売るハールヴァール・フォルーシーにまさしく「Tavazo’=謙譲」という店があるのです。
 ナッツの質が良いとか、味付けが良いとかそういうことから、この店は非常に有名で、いつもお客でいっぱいです。そのため、「支店」を名乗る店も多く、本来の店には「当店には支店はありません」という張り紙がしてあるほどです。
 日本へ一時帰国をするときなどは、私もここでおみやげを買うのですが、「今日、タヴァーゾへ行こうと思っているんだ」と言うのを、たとえば、ペルシア語を勉強し始めたばかりの外国人で、それがハールヴァール・フォルーシーの名前だと知らなければ、「私は、今日、謙譲へ行こうと思っています」という文章に翻訳するんだろうなあと思うと、なんだかおかしくなってしまったのでした。全く意味不明です。私自身がイランに来たばかりの頃にまさしくそうだったのですが。

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 もっとも、この「タヴァーゾ」はお値段の方は全く「謙譲」はしていなくてとても強気なのですが。

 「謙譲」はイランにおいては大切な徳目の一つ。様々な場所でその重要性が語られています。「どう生きるのが良いのか」ということを分かりやすく描いたペルシア語の古典文学『ゴレスターン(薔薇園)』にもわざわざ「謙譲」という章が設けられているくらいです。
 確かにイランの人たちは言葉ではとてもへりくだる人が多いのですが、態度や内容がをよくよく聞くとそうでもないことがあったりします。
 もちろん卑屈にへりくだる必要はないとは思うのですが、実は自信満々に謙遜してみせるというのも一つの技だなあと、ちょっと感心してしまうところであったりするのです。相手に対して敬意を払うという基本は守りつつ、必要な主張はするというさじ加減が上手なのだろうなあと思うのですが、まねをするのはなかなか難しいのです。

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by sarasayajp | 2008-05-09 18:23 | いろいろ |
2008年 05月 07日 |
 ふと気がつくと、この土曜日から乗り合いタクシーが値上げされていました。テヘラン市内全体で値上げがあったのかどうかはまだ分かりませんが、少なくとも我が家の近所では25〜50トマーンの値上げがあったようです。

 普通、ノウルーズ休みが明けると値上げがあるのですが、今年は一ヶ月遅れての値上げでした。油断していたところにやられてしまったという感じで、ちょっとびっくりです。

 ガソリンの値上げがあったわけでも何でもないのに、物価の上昇にあわせて自動的に値上げが行われるイランのタクシー業界というのがどんなものなのかちょっと悩むところなのですが、この物価高では仕方がないかともついつい思ってしまうのでした。

 ただ、乗り合いタクシーに関しては、ちょっと不満はあります。

 昨年の夏休み明けころから乗り合いタクシーの数がずいぶんと増えました。認可乗り合いタクシーを増やすことでテヘラン市民の足を確保するとか、ガソリンの値上げに伴うタクシーの値上げを防ぐとか色々な理由はあったらしいのですが、交通渋滞をひどくしただけで全く意味がないように見えます。

 乗り合いタクシーの会社に登録すると、一般車に比べると優先的にガソリンスタンドで給油ができ、また配給量も多いのだとか。
 そのため、乗り合いタクシーとして登録だけして客を乗せようとしない人も多いのだそうです。貸し切りとして一日に三四人の客を乗せて終わり、という人も見られるとか。その代わり貸し切り料としてかなり高くふっかけてきます。
 と、友人・知人たちから聞いているのですが、実際、乗り合いタクシーを拾おうとしても、なかなか拾えないことも多いのでその状況はなんだか分かります。どうして客を乗せていないのに客を拾おうとしないのだろう?と不思議に思うくらいに空の乗り合いタクシーがたくさん走っているからです。

 乗り合いタクシーの値上げがあるとしばらくは、乗客と運転手の間でのけんかが多く起こるようになるのですが、今年はどうなるでしょうか。25トマーンくらいでそんなけんかまでしなくても、という光景を目にすることもあります。
 でも実際、このインフレで、乗り合いではないタクシーに乗ったときなど、500トマーンや千トマーンくらいなら誤差のうちかも、という気分になり始めているところがちょっと怖いところです。

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2008年 05月 03日 |
 あちこちの村を走り回っていると、どの村でも聞かれるのが「今年は水が足りない。このままでは大変なことになる」という嘆きです。

 テヘラン市内でもノウルーズを過ぎた途端に気温はぐんぐんと上昇し、例年にない暑さになっています。これは山間の農村部でも同じなようです。

 この冬はとにかく寒く、一度どかんと降った雪が溶けることなく春まで残っていました。そのため、何となく見過ごしてきたのですが、降雪量自体は例年に比べると少なかったのでした。

 山間部の農村に行くことが多いのですが、例年なら緑の草に覆われているはずの山々が、まるで秋の山のように緑が見られない状態です。当然、春に咲く花々も例年に比べると寂しい限りです。
 また、果樹をはじめとする木々も、寒さで被害を受け、立ち枯れてしまっているものも目立ちます。ある村では葡萄の木が全滅してしまったと嘆かれました。それなりに花をつけているように見えても、果実が大きくなる時期に水をやれるかどうかと心配しているようでした。

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 ペルシア語で干ばつをkhashk-saliと言います。Khoshkは乾燥した、雨が少ないという意味で、saliは年。この単語、もう一つの意味として「飢饉」というものがあります。天からもたらされる雨は、文字通り命の水なのです。現世利益を否定するイスラームの地にあって、雨乞いのための儀式が各地に残されていることからも、雨の重要性が十分に理解できます。もっとも、最近はこうした儀式は行わなくなっているようですが。海外から食料の輸入ができるようになり、水不足が即大飢饉につながることが少なくなったということもあるかもしれません。

 政府は、果物や米、小麦などを外国から輸入しています。安い外国産のものを輸入することで国内の物価が安く抑えられていると言っているそうですが、世界的に穀物などの値段が上がり、また、食料の奪い合いのような状況になり始めている今、国内の農村基盤を整備し、国内自給率を維持することも大切なのでは?と、毎週のように農村巡りをしていると思わずにいられません。日本は食料の輸入が止まったらあっという間に干上がるに違いないのですが、それは果たして国のあり方としてどんなものだろうかと思うのです。

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 もちろん、今年のような水不足は自然災害であって、政府の責任でも何でもないのは分かっているのですが。それでも、水資源は工業用を優先し、農業に使うな、という考え方はどうなのかな、という感じもします。もうちょっと考え方を変えることはできないのかな、とも思います。

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 高騰する原油からもたらされる莫大な国家収入は、決して一部の人々のポケットに入れるためのものではないと思うのですが、大統領閣下には「石油収入をすべての国民のテーブルに」という初心を思い出していただきたいものだと願います。やるべきことはたくさんあるのですから。

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by sarasayajp | 2008-05-03 10:57 | いろいろ |
2008年 05月 01日 |
 イランの大学院制度についておもしろいというか不思議だなあと感じるのが、合格者の半数からは学費を徴収し、半数からは徴収しないということです。

 基本的にイランの国立大学の昼間部は学費を取りません。誰でも無料で学ぶことができます。国立大学の夜間部、イスラーム自由大学と呼ばれる私立(?)大学、通信制大学パヤーメ・ヌールは学費がかかります。これは大学院でも同じです。
 つまり、本来なら無料で大学院で学ぶことができるはずの学生なのに、学費を徴収されている学生がいるのです。それもイランの物価から見たらかなりの金額です。

 どうしてそういうことが起こるかというと、学費を払わなくてはならない半数というのは「夜間部」の学生ということになっているからなのだそうです。
 あくまで「なっている」であって、本当に夜間大学院で学んでいるわけではありません。学費を集めるためにそういう措置を執っているだけなのです。「あなたは本来夜間部の学生だけど、夜間部のクラスが開講されていないから昼間部の授業に参加して良いよ」という形を取っているに過ぎません。

 一応、入試の成績順に上から半分を昼間部の学生に、残りの半分を夜間部の学生ということにしているそうですので、成績優秀者に対する奨学金というか授業料免除措置と思えば不思議ではないのかもしれません。何となく割り切れない感じがしてしまいます。

 この措置が始まったのが数年前で、それと同時にそれまで原則的(※)に無料だった外国人留学生からも学費を徴収するようになりました。これも色々な算定方法があるようなのですが、「それじゃあ日本と変わらないじゃん」と言いたくなるような金額が課せられているようです。そのため、一時期、外国人留学生の数がずいぶんと減ったそうです。
 私自身は、クラスメートがほとんどみんな奨学金をもらっている中、「日本人だから必要ない」という理由で奨学金がもらえませんでしたが、それでも学費無料という恩恵を被っていただけに、「留学生は来なくてもいい」と言わんばかりの措置を残念に思わずにいられないのでした。

(※) ペルシア語・ペルシア語文学科の学生と、ムスリム学生は原則として無料だったと聞いています。


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