イランという国で
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2007年 05月 30日 |
 先日の日曜日、テヘラン大学日本語学科の4年生による自主卒業式が行われました。

 何故「自主」なのかというと、イランの大学では新入生が全員揃っての入学式や、卒業生が全員揃っての卒業式が行われないからなのです。新入生として一人一人大学に登録にやってきて、卒業証明書をそれぞれ都合のつくときにもらって卒業していく。そんな感じなので、なんとなく締まりがないというかそんなところなのです。
 革命前はアメリカのようにローブを着ての卒業式があったと聞いていますが、今はそういった「西欧かぶれ」のことを大学主催で行うことはありません。そこで、卒業する学生が学科単位でそれぞれに自主卒業式を行うのです。

 先週、卒業(予定)生による自主卒業式があることを知らされたのですが、その時は「月曜日の午後」とのことでした。まだ最後の試験が終わってもいないのに卒業式って変な感じだなあとは思いましたが、せっかくのことなので出席のつもりで予定を開けていました。

 ところが、土曜日の夜になって、「卒業式が日曜日の午後に変更になりました」との連絡が。

 突然そんなことを言われても、その日その時間には既に別な予定が入っています。予定を動かせるかどうか検討はしたものの、それはかなり難しいという結論に至らざるを得ず、残念ながら卒業式は欠席となってしまいました。

 そして月曜日に、「先生!どうして卒業式に来てくれなかったんですか!」と、当の四年生たちに責められることに。
「だって、仕方がないじゃないの。いきなり、前日の夜になって変更って言われても、もう別な予定があったんだから」
「大学が、月曜じゃなくて日曜にしろって言ってきたからこっちも仕方がなかったんです」
「あら、そうなの。大変だったわね。でも、まだ試験も終わっていないのに卒業式なんて、大丈夫なの?私は、あなたたちが最後の試験を落としたらどうなるんだろうって思うと、心配でならないのよ」
「先生!大丈夫です!先生が私たちに親切にしてくれれば」
「そうです、試験の点数を卒業プレゼントにしてください!」
「それは、あなたたち次第でしょ」
「先生~~~」

 まあ、そんなこんなで、前日に取り損ねた記念写真を撮って、無事、彼らとの今学期の最終授業が終わったのでした。
 それにしても、本当に、もし試験に落ちたらどうするんだろうなあと、人ごとながらちょっと心配になってしまったのでした。

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2007年 05月 29日 |
 テヘランは比較的涼しい日が続いていたように思うのですが、さすがにここしばらくは夏が近づいていることを感じさせる日射しの強さです。気温もぐんぐんと上昇して、大学にも冷房が入るようになりました。
 私が住んでいるアパートはまだクーラーを入れる準備が整っていないのですが、町のあちこちでクーラー用品が大量に見られるようになり、冷房が入る夏ももうすぐそこという感じです。

 そのクーラー用品というのがこれです。

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 木くずのパッキンのようなシートなのですが、これを見るようになると、「ああ、夏が近づいているんだなあ」という気分になるものです。

 イランはカスピ海岸やペルシア湾岸などの湿度の高い地域を除くと、水冷式クーラーが一般的です。ここ数年は韓国製の日本でも見るようなエアコン(ガス式と呼ばれているらしい)が見られるようになってきていますが、まだまだ大きな箱状の水冷式クーラーが幅をきかせています。

 このパッキンを水で浸すようにして、その後ろから送風をすると、ひんやりとした空気が送り出されるという次第。
 クーラーを使う間ずっと湿った状態ですから、翌年には真っ黒に汚れたりするこのパッキンを新しいものに取り替え、送風モーターや水を通す管がちゃんとしているかどうかをチェックするのが夏前の大切な作業なのです。

 テヘランは日本に比べるとずっと乾燥しているため、家の中にいて窓を開けていると風が入ってそれなりに涼しいので、私はよほどのことがないと冷房を入れないのですが、暑がりで寒がりのイランの多くの人たちは、夏になると寒さで体調を崩しそうになるくらいに冷房を入れっぱなしにするのでたまりません。まあ、水冷式クーラーの欠点の一つは温度調整がしにくいというところなので仕方がないのですが、良くこんな寒いところにいられるなあと感心してしまうこともしばしばです。

 毎年、夏と冬になると、「イランの人は極端から極端に走る傾向がある」というあるイラン研究者の言葉を思い出してしまうのでした。

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2007年 05月 27日 |
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 先日、山歩きをしているときに初めてラーレ・バフシー(野生のチューリップ)を見ました。
 あちこち歩き回っていますが、これを目にするのは実は初めてです。

 イランが原産と言われているチューリップは、ペルシア語では「ラーレ」と言い、女性の名前にも使われます。
 古典文学でも美女や美男の形容に使われ、特に血色の良い頬を「ラーレのような頬」と言っていたものでした。

 私が見かけた野生のチューリップは、もう時期が過ぎていたため枯れかかりでしたが、それでも、「ああ、チューリップなんだなあ」というのは十分に分かる姿でした。
 ただし、今の園芸品種のチューリップに比べるとずっと小柄で、せいぜい10~15センチくらいの高さしかありませんし、花びらも細く小さなものでした。
 一緒にいたイラン人の友人によると、赤の他に黄色のものもあるのだとか。

 重い荷物を担いでの山歩きにぐったりしていたのですが、ちょっとうれしくて疲れも吹き飛んだ気分だったのでした。

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2007年 05月 25日 |
 昨日は調査のために地方に出ていました。
 出かけてみたら調査対象が山の中にあることが判明。図らずも山歩きをすることに。

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 自動車で行けるぎりぎりまでは自動車で。
 そこから先は約1時間の山歩きです。高度2千メートルを超える山の中を歩いたわけですが、春の空気がさわやかでしたし、一面の緑がとても気持ちの良い山歩きでした。

 高原の春の花が咲く中には虫たちも飛び回っています。
 その中でも目についたのがてんとうむし。ペルシア語ではキャフシュ・ドゥーザク(靴作り)と呼ばれるてんとうむしが花に群がり、飛び回りと、大活躍でした。

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 キャフシュ・ドゥーザクがどうしてキャフシュ・ドゥーザクと呼ばれるのかはよく分からないのですが、絵本の中や昔話などではかならず靴屋というキャラクターで登場してきます。

 緑に覆われた山を歩いていると、ここがイランだとは思えないくらいで、気分はアルプスを超えるトラップ一家という感じのする一日だったのでした。

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2007年 05月 22日 |
 イラン政府がカンヌ映画祭に出品されているアニメ映画『ペルセポリス』に抗議をしたけれども、全然受け入れられなかったとか。当然だろうとは思いますが、先日の『300』に続き、イラン政府もご苦労様、という感じです。

 日本の報道では「政府系財団」となっているようですが、政府の意向を受けずにこういった行動を取れるはずがないので、あえて「政府が抗議」とさせていただきました。

 話が少し変わりますが、ここしばらく、日本を強制送還になったイラン人一家の件について色々な方からコメントをいただいたり、意見を求められたりしました。

 私自身は特に感想は持っていないのですが、逆に、どうして日本ではこの一家のことだけがそんなに大きなニュースになっているのかが不思議でなりませんでした。日本を強制送還になる外国人はイラン人に限らず沢山いますし、日本に長く住んでいた人たちもその中にはいたのではないでしょうか。その中で何故この一家だけがそんなに同情されなければならないのか、正直よく分かりませんでした。彼らに何か含むところがあるわけではなく、純粋に不思議だったのです。

 もし私が、まだ自分の研究のために必要なのだから、といってビザが切れたままイランに不法滞在をして、なおかつアルバイトで生計を立てていたためにイラン当局に逮捕され、国外退去になったならどうなのだろう?「イランに生活の基盤があるのに」「日本に帰っても仕事もないのに」と同情してもらえるだろうか?と考えると、何となく違和感を感じたのです。恐らく、「法律を破ったのだから仕方ないでしょ」と言われて終わりじゃないのかなあと。

 イランで次はちゃんとビザが出るのかなあと心配しながら暮らしている身ですので、ビザの問題は気に掛かります。かなり理不尽なことが多いのも身をもって体験しています。イランの法の不備から心ならずも不法滞在をさせられたこともあります。その一方で、法律がおかしいからと言って「守る必要がない」という言い方をしたら、際限なく社会がおかしなことになってしまうことも実感しています。
 権利と義務の行使というのは難しいものだと、こんなときに思うのです。

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by sarasayajp | 2007-05-22 22:20 | いろいろ |
2007年 05月 20日 |
 フットサルの第9回アジア選手権でイランが日本を破って優勝したとのこと。おめでとうございます。去年はイランを破って日本が優勝だったのですね。

 と書き出しておきながら、フットサルではなくてフットボールの方で昨日の大きなニュースは、ドイツのブンデス・リーガのハンブルグに所属していたマフダヴィーキヤーがチームを去ることになったというもの。
 手元の新聞によると、在籍8年間で210試合に出場、ゴールは26とのこと。(それにしても、イランの新聞のこういう時の表って見にくいですね。合計を書いておいてくれないから自分で足し算をしなくてはいけないのはちょっと面倒くさい)
 これからどうするのかは未定とのこと。家族のこともあるのでできたらドイツ国内のチームでプレーをしたいが、他の国でプレーすることにも魅力を感じているというようなことも。

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 彼には一度インタビューをしたことがあります。
 カメラと共に近づいた私を見て「え~~~、英語はできないよ~~」と逃げ腰だったのが、「あ、ペルシア語分かるの」とほっとしたような笑顔が印象的でした。突然のインタビューにも笑顔で丁寧に応えてくれて、いい人だなあと思ったことをよく覚えています。

 希望通り、ヨーロッパでプレーを続けることができることを願っております。

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by sarasayajp | 2007-05-20 14:02 | スポーツ |
2007年 05月 19日 |
 旅行の最中から何となく調子が良くなかった胃がダウン。神経性の胃炎なる診断をもらってしまいました。「ストレスですね」とのことなのですが、腸はともかく胃は比較的丈夫だと思っていただけにびっくりでした。それから胃炎になるほどストレスをため込んでいたらしいことにもです。

 ストレスのない生活ってどんなものなのだろうと考えてはみたのですがよく分かりません。
 まあ、もう一ヶ月もすれば授業も終わって夏休みがやってきますし、そうしたらゆっくりしようかなと思います。

 久しぶりに遠出をして楽しんだはずだったのですが、ストレスというのはそんなに簡単に解消できるものではないのでしょうか。ちょっと不思議です。

 その遠出ですが、ファールス州のヌール・アーバードというところで発見されたというアケメネス朝時代の第四宮殿跡を見に行こうというのが最大の目的でした。
 オーストラリアのシドニー大学とイラン文化財保護庁の協力で行われた発掘現場を見たいね、と知人に頼んで文化財保護庁に問い合わせてもらったところ、「見たければどうぞ」ということだったのでほくほくと出かけたのでした。
 普通、まだ報告書が出されていない発掘現場をそう簡単に見せてもらえるものではありません。それだけに喜び勇んで出かけてのですが、到着してみたら何と、「埋め戻しましたから、そこで良ければ案内しますよ」とのこと。やはり、うまい話というのはないものです。
 それでも遺跡のあった場所は見せてもらいましたが。
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 今は麦などの畑が広がるだけの場所に、2500年前には宮殿があったのかと思うと、宮殿を忍ぶよすがはないものの、なんだかしんみりとしてしまったのでした。
 その当時、パサルガダエ(ペルシア語ではパサルガード)とスーサ(同じくシューシュ)を一直線に結ぶ「王の道」の中継点として造られた宮殿だったとか。私たちを案内してくれた文化財保護庁職員の話を聞いていると、この宮殿の全容が分かるにはまだまだ時間がかかりそうです。
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 イランは革命前には海外の発掘隊が沢山入り、各地で調査が行われていました。革命でそれはストップしてしまい、その後も微妙な国際関係とも相まってなかなか海外との協力はうまくいかない部分もあるようです。発掘したい場所はまだまだ沢山あるのだけれども、イラン一国では手が足りない。海外の調査隊にぜひ協力して欲しいのだがという文化財保護庁の専門家の話を聞いたこともあります。
 予算や人員の不足のため、観光スポットとして「使える」遺跡が調査や修復に関して優先されてしまうのは仕方のないところかもしれませんが、一歴史ファンとしてはこうしたまだ「知られてはいたけど見つかっていなかった遺跡」がどんどん明らかになってくれると嬉しいなあと思うのでした。

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2007年 05月 16日 |
 たまたま何人かの人と別々に話していて、不思議と似たような話が話題となりました。
 一つの事柄でも人によってこれだけ感じ方や考え方が違うのだなあと、改めて考えてしまうような出来事でした。

 海外への留学生についてです。

 イランには海外の大学へ留学したいという大学生が沢山います。
 動機は様々で、イランから政治的な理由からあるいは経済的な理由により逃げ出したいから、最新の知識を学びたいから、イラン国内での出世の道具としてなど、人それぞれです。
 イラン国内外の奨学金を得て留学する人もいれば、私費で留学する人もいます。学位を得た後イランに戻ってくる人もいれば、帰ってこない人もいます。しかし、イランの国費留学生は、留学するに当たって様々な制約などがあり、基本的にイランに戻って来ざるを得ないようになっているのだとか。

 私は仕事のためにあちこちの省庁や機関へ行くことがありますが、そこでは必ずと言っていいくらい、海外から戻ってきた人に出会います。あるいは、民間企業で働いている人も多くいます。

 私が出会ったそうした人たちは、ほとんどみんな、イランを良くしようと考え、自分が海外で得てきた知識をイランに還元しようと努力していました。
 自らの意志でイランに戻った人もいれば、色々な事情から不本意ながら戻ってきた人もいるでしょう。それでも、それぞれにできる限りのことをしているように見えました。

 私の周囲にも、家族を海外に留学させている人やこれからさせようとしている人が何人もいます。子どもを、兄弟を留学させることで自分もイランを脱出しようとしている人もいれば、イランに戻ってくることが当然だと考えている人もいます。
それぞれの人にそれぞれの考え方があるでしょうから、なんとなく違和感を感じはしないでもないですが、どちらが良いとも悪いとも私には言うことはできません。ただ、イランが、もう戻って来たくないと考えてしまうような国であることが残念だとは思います。また、留学する気はないという子どもに対して「何を言っているの、あなたが留学してくれなきゃ、私もイランから出て行けないじゃない」という親の発言はなんだかちょっと考えてしまいます。

 それから、一度留学したら海外で仕事を見つけるからイランに戻ってくる留学生がいるわけがない、仕事がないから帰ってくるんだよ、という言い方をする人がいるのですが、これもちょっと残念な評価です。イランに戻ってきて頑張っている人たちに対して失礼じゃないかなと感じてしまうからです。なんだか、戻ってくるのは海外で仕事を見つけることができなかったんだとか、こんな国に帰ってくるのはばかだからと言っているかのように感じることがあるからです。思い過ごしなら良いのですが、時々、どうしてもそう感じてしまうことがあるのです。

 イランを良くしようと頑張っている人たちの努力が報われる国であって欲しいと、心から願いますし、海外で勉強をしている人たちが、イランであれ他国であれ、自分を生かすことができる場所を見つけられることが一番だとも思うのです。

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by sarasayajp | 2007-05-16 14:52 | いろいろ |
2007年 05月 15日 |
 昨日もご報告したように、ファールス州に出かけていました。

 ペルセポリスをはじめとする古代イランの遺跡が多く存在するファールス州には、海外から多くの観光客が訪れていて、ぱっと見はテヘランよりもよほど国際的な感じでした。もちろん観光都市だから当然なのですが。

 観光客はアラブ諸国からが最も多いとか。特に、アラビア半島からは避暑を兼ねて毎年沢山の観光客が訪れるそうです。テヘランからファールスに到着してあまりの暑さにくらくらとしてしまった私としては、「避暑」という言葉に、春から秋にかけてのアラビア半島には絶対に訪れまいと固く心に誓ってしまうほどの衝撃でした。そんな中でも、オマーンの夏は涼しいというのは興味深いところですが。

 まあともかくそういう土地なので、ホテルのフロントやおみやげ物屋も英語の他にアラビア語も話せるという人が多いようです。
 アラビア語が話せなくとも、現在イランで使われているペルシア語というのは、古代のペルシア語にアラビア語の文字と語彙が大量に入り込んで成立したものなので(大和言葉と漢語の関係にちょっと似ている感じ)、単語レベルでは何となく理解できる部分があったりするのが面白いところです。

 シーラーズにあるワキールのモスクというところ訪れたときのことです。
 観光名所の一つなのにしっかりと昼休みを取っていたこのモスクの前で、開けろ~~と念を送っていた我々に、イラン人のおばさんたちが話しかけてきました。
 おばさんたちも観光客だそうで、時間がないから困るわ~というようなことを話していたら、男の子たちのグループがやってきました。
 おばさんたちは彼らにもペルシア語で話しかけますが、彼らはペルシア語を解さないので会話が成立しません。
 ところがおばさんはくじけません。
「ニーム・サーアト(半時間)後にならないと開かないのよ」
「?????」
「ニーム(半分)」
「?????」
「ネスフ(半分)!」
「うん、うん」
 おお、通じたぞ、と思わず日本語で感心してしまった我々。
 「ニーム」というのはペルシア語起源の「半分」なので通じず、「ネスフ(正確にはニスフ)」はアラビア語起源の「半分」なので通じたのです。「サーアト」は「時間」でやはりアラビア語起源。
 男の子たちはシリアから来たとのこと。シリアにあるシーア派関連史跡の名前を挙げながら盛り上がるおばさんたちにさよならを言って、冷たいジュースを求めてそこを立ち去った私たちだったのでした。

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 写真はワキールのモスクの内部。

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2007年 05月 14日 |
 先週末から暑い暑いファールス州へ出かけていました。
 昨夜テヘランに戻ったのですが、シーラーズの空港からテヘランまでがいやに長く、暑さ疲れと相まって、ぐったりでした。

 普段からシーラーズ発の便は何故か遅れることが多いのですが、昨夜は遅れに遅れ、4時間遅れとなってしまいました。

 シーラーズの空港ではこの遅れについて何の説明もなく、「最低1時間遅れる予定。空港からでないで待つように」という張り紙が一枚されただけです。
 私が搭乗予定だった便の4~5便前から遅れが始まったらしく、私が夜9時近くに空港に着いたときには、8時50分発の便のチェックインも始まっていない状態でした。
 いつまで経ってもチェックインが始まる様子もなく、チェックインが済んでいた便も飛行機が到着しないために出発できません。どうやらテヘランに原因があることは確かなようです。

 しばらくすると最も遅れている便の乗客に対して夕食が配られはじめました。このパターンだと、次にはフライトがキャンセルになるなあと嫌な予感です。
 そうこうするうちに、30分遅れで私が乗る予定の便のチェックインが始まりました。ラッキー、と喜んでいたら、これもすぐに「最低1時間遅れる予定~」という張り紙が。明日は朝から授業があるんだけど大丈夫かなあと不安になり、同じく翌日に授業がある先生に電話をしたところ、「テヘランがものすごい暴風で、ガラスが割れるくらいだったんですよ」とのこと。
ようやく理由が分かりました。
 強風でテヘランを発つことができなかったならそのように言ってくれればいいでしょうに、なぜかシーラーズではそのようなアナウンスはありません。普段はけっこう文句言いでわがままなイランの人たちが、こういう時には意外と待ち続けるのですからちょっと不思議です。

 待たされていた5便の中で、何故か私が乗る予定の便が一番早くシーラーズに到着したため、他の人たちよりも早くシーラーズを出ることができたのですが、飛行機が飛んだことよりも、冷房がほとんど効いていなかったシーラーズ空港を出ることができたのが何よりもうれしかったのでした。

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 長時間待たされてぐったりのおばさんたち。

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