イランという国で
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2006年 12月 31日 |
 今日はイラン暦デイ月10日、イスラーム・ヒジュラ暦ズィー・ル=ハッジャ月10日、西暦12月31日

 今日はエイデ・ゴルバーン(アラビア語ではイード・アル=アドハー=犠牲祭)です。

 ムスリムとしての義務であるマッカへの巡礼を果たした人たちが、マッカで犠牲を屠り、神に捧げる日です。そして巡礼に行けなかった、あるいは行かなかった人もそれぞれ自分の住む地で犠牲を捧げる日でもあります。

 この日、各地で盛大に羊が犠牲に捧げられ、道路に設けられた排水路が血で一杯になるほどだ(これは大げさではないかと思うのですが)とのことです。ある日本人留学生の話によると、トルコのマルマラ海はこの日、血で真っ赤になるとか。(これもちょっと大げさでは?という気もするのですが)
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 ところが、テヘランにいるとあまり犠牲の羊を屠る場を見ることがありません。もちろん、私の住んでいるあたりでは、の話なので他の場所では沢山行われているのかも知れません。私の住んでいるあたりでも小路などに入り込むと見られるのですが、人口の割に少ないような印象です。信仰に対する関心が低いからなのか、この後すぐ控えているシーア派最大の行事アーシュラーのの方が大切だからなのか悩むところです。犠牲祭では羊を屠らないけどアーシュラーでは羊を屠るという知人が何人もいるからです。
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 ところで、ハッジの期間中は行われないだろうと見られていた、イラクのサッダーム元大統領の死刑が行われました。宗教的な気分が盛り上がっている最中の死刑執行というのはどうなのかなあと、お隣の事ながら心配になってしまいます。
 隣国であり、8年にわたるイラクとの戦争を体験しているイランでは、ニュースなどの中で繰り返し「めでたいことだ」という論調のニュースが流されています。死刑判決の理由が「シーア派住民に対する人道上の罪」だそうですから、シーア派を国教とするイランとしては当然の反応と言えるかもしれません。その一方で、戦争に対する責任などを問うことができなかったこと、アメリカ主導で行われた裁判であることなどから、喜べない部分もあるような感じのようです。

 こうしたニュースの中でおもしろかったのが、「海外のニュースでは、『フセイン元大統領』という表現がされていますが、フセインというのは彼の父親の名前です」というものでした。
 全くもってその通りで、彼の名前は『サッダーム』であり、サッダーム・フセインというのは「フセインの息子のサッダーム」という意味です。「名字+名前」という組み合わせで名乗るものだという概念から間違えてしまうのでしょうが、せめて「サッダーム・フセイン」という呼び方に訂正できないものなのだろうかと、ニュースを聞きながら改めて考えてしまったのでした。

 今年一年当ブログをご訪問下さった皆様、どうもありがとうございました。
 よいお年をお迎えください。

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2006年 12月 30日 |
 忙しさに取り紛れていたのと、今年は親しい人の中で行く人がいなかったことなどからうっかり忘れていたのですが、ムスリムにとっての一大行事、ハッジ(マッカへの巡礼)が行われるハッジ月に入っていました。
 今日はハッジ月の9日目、明日の犠牲祭を目の前に、巡礼の行事も最高潮に達しようとしているはずです。

 イランのラジオやテレビでは、巡礼者として放送局の社員を送り込み、「今~をしようとしています」「今~の最中です」と携帯電話を通して中継させています。一心に、真剣に巡礼を行っている人の中でそういうことをするのっていいのかなあと、素朴に疑問に感じるのですがどうなのでしょう。
 素朴な疑問といえばもう一つ。ニュースの中で自慢げに、「アラファ(巡礼者が集まる一地点の名前)で『アメリカに死を』『イスラエルに死を』の叫びを上げた」というような事を伝えているのがどうなのかなあと思わずにいられません。
 テレビを付けっぱなしにしていたため、イランのルーハーニー(イスラーム法学者)がアラファでイラン人巡礼者を前にして行っていたプロパガンダ演説を、ついつい全部聞くともなしに聞いてしまったのですが、お決まりの「アメリカに死を」「イスラエルに死を」の他に、「(核開発に対する)国連安保理決議は無意味だ」「ヒズボッラーへの支援を」「抑圧されたかわいそうなパレスチナの民のために」と、なんだかなあという内容が続いていました。

 1979年のイスラーム革命直後の巡礼期にも、イランの巡礼団が世界各地からやって来た巡礼者たちに革命思想を広めようと宣伝活動を行い、マッカを管理するサウジアラビア当局と衝突したという前例もありますし(確かこの事件の後、イラン人は巡礼の人数の割り当てが減らされたはずです)、今更というか、「ああ、またか」というくらいのことなのかも知れません。
 イスラームが日常生活や政治、経済など人間としての営みすべてを区別しないということ、歴史的にも集団で礼拝をすることが勧められている金曜日の集団礼拝で政治に関することが話されることが多かったことなどから、巡礼が政治的な活動に結びつくことは不思議ではないのかも知れません。それに聖地であるマッカで政治的行為は禁じられていないようですし、そういう意味ではイラン政府によるプロパガンダは別におかしな事ではないのかも知れません。
 でも、肌の色を超えた「ムスリム同胞の団結・一体感」を感じるという重要な意味を持つ巡礼の場で、非ムスリム相手とはいえ、争い事や相手の死を望むような言動というのがふさわしいのかどうか疑問を持たずにはいられません。
 例えば、マルコムXは、肌の色に関係なくすべての人が平等に参加する巡礼をきっかけに極端な白人敵視思想を放棄したと言われているそうです。

 すべての巡礼者とムスリムが明日の犠牲祭を心楽しく迎えられることを願います。

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2006年 12月 28日 |
 今日はイラン暦デイ月7日、イスラーム・ヒジュラ暦ズィー=ル・ハッジャ月7日、西暦12月28日

 今日は12イマーム・シーア派5代目イマーム・ムハンマド・バーキル(ペルシア語ではエマーム・モハンマド・バーゲル)の殉教日です。

 イベントが多い国ですね、とのご指摘を良く受けるのですが、本当に、シーア派の信仰上敬意を払われる預言者とその家族、イマームだけでも14人いて、その誕生日と殉教日があって、革命関連行事も多いですし、文学や学術関連の偉人も多い、イスラーム以前からの慣習も多いと、カレンダーに何かしらの記念日がない週というのがほとんどない国です。日本のように業界が作った記念日とは違い、現在のイランにとってそれなりに意味のある人物・事件ばかりですからすごい話です。

 ということで、イマーム・ムハンマド・バーキルの殉教日なのですが、ちょっと影の薄いイマームであるため、どんな人物なのか、手元にあるイスラーム・ガイドブックではどんな人物なのかよく分かりません。
 マディーナ(現サウジアラビアのメディナのこと)で恐らくイスラーム・ヒジュラ暦57年サファル月3日(西暦676年12月16日)に生まれ、同114年の今日(西暦733年1月28日)に暗殺されました。彼の墓はマディーナにあります。


 イランでは、イランに古くから伝わる慣習、つまり正月や少し前にご紹介した冬至など、それからイスラーム革命関連行事はイランの正式な暦であるイラン暦によって祝いますが、イスラーム関連行事はイスラーム暦を使っています。
 以前にもお話しした通り、イスラーム・ヒジュラ暦は月の満ち欠けによって計算しますので、太陽暦である西暦やイラン暦より短く、毎年11日くらいずつずれていきま す。こうしたずれが起こるため、イスラーム・ヒジュラ暦で書かれている歴史上の人物の生年月日や、事件の起こった日を西暦に換算しなくてはなりません。イスラーム・ヒジュラ暦で100年前の今日、と言っても、決して100年前の12月28日ではないのです。
 以前は西暦とイスラーム暦を対照した表が出版されていて、これをひきながら計算していたのですが、最近では日付を入力するだけで簡単に計算してくれるソフトができて大変に便利になりました。
 私も大学の先生が作ってくださった計算ソフトを使っているのですが、本当に楽になりました。文明の利器、ということばをしみじみ実感する瞬間です。


 イランの口語ペルシア語による「英語とフーンギャルムと」はこちらから。

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2006年 12月 27日 |
 仕事が沢山あって忙しいときほど別なことをしたくなるというのは普遍的な心理なのかも知れません。

 このところ風邪をひいたり、期末試験の準備をしたり、翻訳などの仕事がいくつか入ったりと忙しいはずなのですが、これまで忙しいことを口実にさぼってきた部屋の掃除や写真の整理などを始めてしまっています。逃避行動だということは分かっているのですが。

 部屋の整理・掃除を始めて改めて感じたのですが、私の部屋は家事になったらきっとよく燃えるでしょうし、地震が来たら手を付けたくないくらいにものが散乱するに違いありません。それほどに本やらコピーが多いのです。

 地震といえば、昨日はバムの地震から三年目の記念日でした。

  地震で亡くなられた方には心よりの哀悼の意を捧げます。

 地震から三年が経ち、町の中心部などは一見きれいに再建されたように見えますが、色々と問題を抱えているのが事実であるようです。
 復興のための支援をするといった諸外国が実際には支援のためのお金を送ってこなかったり、あるいは送られたはずのお金がバムには届いていなかったり、援助物資が税関でストップしたままだったり、いつの間にか消えていたりということがごく当たり前に起こっているようですし、また、そうした援助物資や援助金を目当てに、もともとバムに住んでいた人たちが地震で亡くなり、あるいは別な町へと避難していった後に周辺の村などから人々がバムに流れ込み、「被災民の支援」を難しくしてしまっているという問題もあるようです。

 この一年ほどバムには行っていないので現状がどのようになっているのか、バムを訪れた人などから間接的に聞くだけで、それも「完全にきれいになっていたよ」という人から「三年前から全然変わっていない」という人まで情報がまちまちであるためどれが本当なのかよく分からないところもあります。
 ただ一つはっきりしているのは、報道される政府発言を聞く限り、政府は何もする気がないらしいということです。

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 イランの災害と援助については最近、いくつか興味深い話を聞き、目撃しました。次回はそれについてお話ししたいと思います。さすがに、そろそろ、明日の準備をしないと大変なことになりそうです。

 写真は在りし日のバムの城塞。

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2006年 12月 25日 |
 まだ風邪でダウンしています。

 クリスマスに際して何か書きたいことがあったはずなのですが、考えがぜんぜんまとまりませんのでクリスマスにちなんで(?)イランのケーキを一挙大公開。どれがお好みでしょうか?

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2006年 12月 24日 |
 日本はクリスマス・イブ途やらで盛り上がっているのでしょうね。
 イランはごく当たり前の日常です。

 イスラームでもイエス・キリストは預言者の一人として敬意が払われています。
 イランでも大統領や最高指導者の名前でイーサー・マスィーフ(イエス・キリストのこと)の誕生日に祝福を贈る言葉がキリスト教徒とムスリムに対して送られますが、まあ、それだけです。

 私自身はキリスト教徒ではありませんし、日本のクリスマスのあり方に対して疑問を持っていますのでイランのあっさりしたクリスマスは嫌いではないのですが、やはりクリスマス独特のきらびやかな雰囲気はちょっと懐かしいなあなどと思ってしまうのですからちょっと矛盾しているかなあと思わないでもありません。

 しかしそのイランでも、この数年、ショッピングセンターなどでクリスマスを意識した飾り付けが見られるようになってきました。以前なら、「キリスト教徒の真似をするなんて!」と厳しい目で見られていたクリスマスですが、欧米に憧れる人たちの気持ちの方が勝ってきたようです。
 それでもイランでは、「イーサーも預言者なんだから、祝ってもいいじゃん!」という理由で何となく了解することになっているようです。でも傍目に見ているとやっぱり、西欧に対するあこがれというところも大きいなあという感じもします。でもまあ、日本人がクリスマスをカップルのための行事にしてしまったのに比べれば、ずっと自然な感じかなあという感じです。

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 私自身は風邪でダウンというちょっと情けないクリスマスになりそうです。

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by sarasayajp | 2006-12-24 18:48 | いろいろ |
2006年 12月 23日 |
 明け方にベッドの中でくしゃみを三連発して目が覚めました。すきま風が随分と冷たいなあと外を眺めてみると、雪がちらちらと落ちています。
 今年は例年になく冬が早く訪れているとかで、テヘランでも冬の始まりの日であるシャベ・ヤルダーの前に既に何度も雪が降っていますし、イラン全体で見ても雨や雪が多いとか。先日訪れた村でも、今年は雪が早いし量も多いからいい年だ、と言っているのを聞きました。

 イランは四季がはっきりしている国だ、とイランの人は自慢をしますが全くその通り。きれい錦が感じられます。ただ、春と秋が比較的短くて、夏と冬が長いという感じがしますが。
 日本では一年を通して雨が降りますが、イランでは雨期と言ったら冬で、それ以外の季節にはほとんど雨などは降りません。それに雨期と言っても毎日のように雨が降るわけでもなく、からからと晴れた日の方が多いような感じもします。

 そのためでしょうか。テヘランの家造り、町造りというのは「雨・雪が降る」ということをほぼ無視して作られているように見えます。雨水が流れ込まないあるいはどこにも流れ出る先がない側溝。両端に向かって雨水を流すための傾斜がない道路。雨を流し出す樋がないあるいはそれが詰まっている&壊れている平屋根の家。隙間だらけの窓。

 そんなこんなで、雨が降る度に、雨漏りがしたり道路が巨大な水たまりあるいは排水路と化したり大変なことになってしまいます。

 まあ、一年を通してそんなに何日も降るわけでない雨のことを考えて家や道路を造ったりしてられないよ、ということなのかも知れませんが、「備えあれば憂いなし」という考え方はペルシア語になかったかな?とこの時期になると考えずにはいられません。以前、雨漏りのことを大家さんに言っても、「どうしてこの人はこんなことに騒ぐのだろう」という態度でしか取り合ってもらえなかったところを見ると、とりあえず年間何日かの雨漏りは、その時その時でしのげばいいことであって、それで問題はないじゃない、ということなのかなあとも思ってみたりします。私自身、雨が降らなければ雨漏りのことは忘れて生活しているわけですし。
 実際、イラン人に限らず日本人だって「喉元過ぎれば熱さを忘れる」わけですし、「本当に来るかどうか分からない地震のためにお金をかけて耐震建築にする必要はない」と考える日本人も多いと聞いたことがありますから、人間というのはそんなものかもとも思ったりする今日この頃なのです。

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 これは革命前の古い家。昔はこのように雨を自然と流すような形の屋根が多かったよう。

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2006年 12月 21日 |
 今日はイラン暦アーザル月30日イスラーム・ヒジュラ暦ズィー・カアダ月29日、西暦12月21日

 今日は12イマーム・シーア派第9代目イマーム・ムハンマド・タキーの殉教日です。

 彼はイランのマシュハドに埋葬されている第8代目イマーム・リダー(ペルシア語ではレザー)の息子として、イスラーム暦195年(西暦810-811年)にマディーナ(メディナ)で生まれました。
 彼は父の殉教後イマームの地位につきました。その当時のイスラーム世界を支配していたアッバース朝のハリーファ(カリフ)・マアムーンは、彼が反乱軍に 担ぎ出されることを恐れ、マディーナからバグダードへと呼び寄せ、親切を装いながら監視をしていました。イマーム派しばらくバグダードで過ごした後マ ディーナへと戻りましたが、マアムーンは再びバグダードへ彼を呼び寄せ、自らの地位を確固たるものとするため殺害しました。
 彼はイラクのカーズィマインに葬られました。

 イラクのカーズィマインには、彼の祖父に当たる第7代目イマーム・ムーサー・カーズィムが葬られていました。カーズィマインという地名は、このイマーム に由来します。アラビア語でカーズィマインとは、カーズィムの双数形で、「二人のカーズィムが葬られているところ」を表します。もちろん、もう一人のイマームの名前は「ムハンマド・タキー」であり「カーズィム」ではないのですが、「カーズィマイン」という名前で「二人のイマームが葬られている場所」を表 しているのです。
 12イマーム派の信徒にとってカーズィマインは、初代イマーム・アリーが葬られている(とされる)ナジャフ、第三代目イマーム・フサインが葬られている (とされる)カルバラー、第10代目と第11代目イマームが葬られているサーマッラーと並ぶ、イラクにおける巡礼地となっています。

 イラクとの8年にわたる戦争の間とその後しばらくはシーア派の信徒がイラクへ巡礼に行くことが大変に困難でした。それでも熱心なシーア派信徒はこっそりと、国境を越えてイラクのこれら巡礼地へと巡礼に行っていました。
 サッダーム政権の崩壊後、イラクとの間で正式に国境が巡礼者のために何カ所かで開放されました。これで自由に巡礼に行けると、国境開通後三ヶ月で約100万人の巡礼者がイラクへ入国したそうです。
 しかしその後イラクの治安は急速に悪化し、再びイラクへの巡礼は困難となりました。日本ではほとんど報道されていないようですが、ナジャフやカルバラーでテロや戦闘があるたびに、イラン人巡礼者も巻き込まれ、死傷者が出、誘拐されているのです。
 こうした巡礼者たちが自由に、そして安全に巡礼の旅ができるよう、イラクに早く平和が訪れることを願わずにいられません。

 それからもう一つ。
 今晩はシャベ・ヤルダーです。

 シャベ・ヤルダーとは「冬至の夜」のことです。
 今晩は一年で最も夜が長い日です。

 イランでは、シャベ・ヤルダーに家族が集まり、長い夜を一緒に過ごす習慣があります。
 日が落ちて、普段は別々に暮らしている家族が子供を連れておじいさん、おばあさんの家に集まります。

 そこでふるまわれるのは、まずは沢山の種類のナッツ類。これをぽりぽりと食べながらその家の家長を囲んで、ひとしきりおしゃべりに花が咲きます。お菓子や果物も次から次へとふるまわれます。

 夜が大分更けてきたところでようやく夕食です。みんなでごちそうを囲みます。

 食事が終わるといよいよスイカの登場です。

 なぜ冬至の夜にスイカなのか?これにはいくつか説があるようです。
 イランには「熱(garm)」と「冷(sard)」という概念があります。食べ物も全てこの二つに分類されています。熱を生み出すと考えられている食べ 物は「熱」で、体を冷やすと考えられる食べ物が「冷」です。民間療法などでは今でもこれに従って食事療法や薬草の調剤をします。

 スイカは「冷」に分類されています。「冬至」という最も太陽の「熱」が弱い日に、「冷」の食べ物を食べ、マイナスとマイナスをかけることによりプラスに転じるようにする。というのがよく行われる説明の一つです。

 もう一つの説明が、「夏」のシンボルとも言えるスイカを「冬」の最初の日であるシャベ・ヤルダーに食べるのだというものです。こうして早く冬が過ぎ去って暖かくなるようにと願うのだ、というのです。

 夜遅くまで、おしゃべりをしたり、ハーフェズ占いをしたりして、一年で最も長い夜を家族で集まって過ごすのです。

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 ちなみに、この日、イランの各地で売られるスイカは、イラン南部で夏の終わりに収穫されたものを、この日のために保存していたものです。そのため、味はあまり良くないのですが、シャベ・ヤルダーにスイカは欠かせないので、みんな一生懸命良さそうなスイカを選びます。

 聞いたところによると、スイカを収穫した後、畑を掘って地下貯蔵庫を造り、そこにスイカを入れて土で蓋をして、冬までの間を過ごさせるのだそうです。

 シャベ・ヤルダーが終わるとスイカも姿を消し、春の終わりまでしばしのお別れです。


 イラン国歌のペルシア語付き歌詞はこちらから。

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2006年 12月 20日 |
 スパムコメントを削除しているうち、勢い余ってちゃんとしたコメントをして下さった方のものまで削除してしまいました。コメントをして下さった方、本当にすみません。
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by sarasayajp | 2006-12-20 02:31 | お知らせ |
2006年 12月 19日 |
 今年に入ってから飛行機事故が目立つイランですが、今度は列車が脱線したとのこと。

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 イランの列車はほとんどが革命前に作られた線路を走るディーゼル車で、下手をすると同じ路線を走るバスよりも遅いくらいで、交通手段としてはイラン国内ではあまり重きを置かれていません。
 この数年、新しい路線を開いたり、中国から新しい列車を購入したりしていますが便利な物とは言い難いところがあります。時間を気にしない旅行でしたら飛行機を利用する半額くらいですし、バスよりもゆったりと過ごせるので楽しめるのですが。ただし、冷暖房の調節が良くできないらしく、冬は暑く夏は寒い車両に当たることがあり、なかなか大変だったりすることがあるのも困ったところかも知れません。

 列車の数が多くないため、線路は単線で、以前にも列車同士が衝突する事故があったりしましたが、今回はバンダル・アッバース発テヘラン行きの列車が、カーシャーン付近で脱線したとのこと。8両が脱線、そのうちの2両が横転し、16人が負傷したものの、幸いなことに死者はなかったとのこと。原因は今のところまだ分かっていないようです。

 潤沢な石油収入があると自慢するイランですが、ヒズボッラーに流すお金があるのなら、国内のこうした交通網の整備などに使って欲しいと思わずにいられません。

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