イランという国で
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2006年 11月 30日 |
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 私がこのところ色々な仕事で通っているゴム州は、イラン有数の綿花の産地の一つです。

 先日ゴム市の郊外を走っていたら、あちこちで綿の実がはじけ、それを摘み取る人たちが畑に集まっていました。

 実は綿花をじっくり見るのは初めてで、思わず畑の脇でじっくりと綿花や作業の様子を眺めてしまいました。

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 イラン各地、どこを回っていてもそうなのですが、畑で働いているのはアフガン人労働者がほとんどです。正規のヴィザを取得して住んでいるのか不法労働なのかは分かりませんが、イランの農村住民はイラン人からアフガン人に入れ替わっているところが沢山見られます。
 ゴムの綿花畑でも作業をしているのはほとんどがアフガン人でした。木曜日ということもあって、子どもたちも沢山畑に見られました。
 作業の様子を写真に撮っていたら一人のおじさんが、「日本にもこういう畑はあるかい?」と聞いてきました。「綿花はないけど、畑は色々とあるよ」と答えると、「機械化しているのか?それともイランみたいなのか?」と。「機械化しているところもあるけど、手作業のところもあるよ」と言うと、「イランは全然機械化していないんだよな~」と笑いました。
 確かに、イランではアフガン人労働者が安く雇えるため、高価な農作業用の機械を買うことはあまりないようです。

 各地で働くアフガン人と話をしてきたのですが、皆一様に「国に仕事がないのだからイランで働くことは仕方がない。仕事ができるだけでも有り難い。頑張って働いてお金を貯めて、国で仕事を始めたい」と言います。
 こうした農村出身の私の友人の一人は、「テヘランの建築現場で働いている人よりも、農作業の方が彼らにとっては楽しいんじゃないかなあ」と言います。
 もともとアフガニスタンでも農作業に従事していた人が多いですし、農村部の季節労働だと、テヘランなど都市部に移り住んでしまった地主の家をそのまま比較的安価に貸してもらえるし、家族で一緒に住めるからだというのです。確かに、農村部では家族親戚で一緒に住んでいる人の方が多く、楽しそうに見えます。子どもたちも、たとえ不法滞在だったとしても小学校に通うことができるのだそうです(イランの義務教育は小学校のみ)。これはちょっと意外でしたが。

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 お父さんたちと一緒に働いていた女の子。学校帰りなのか、どう見ても通学服のまま。日よけのサンバイザーまでかぶってちょっとおしゃれに。

 それぞれにそれぞれの事情があるので、私が外からあれこれ言っても仕方がないのですが、イランが彼らにとって少しでも過ごしやすい国であって欲しいと思いますし、彼らが一日も早く自分自身の国で安心して過ごせるようになって欲しいと思わずにいられません。

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2006年 11月 28日 |
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 国際大会への出場禁止などと言われていたサッカーですが、とりあえず、一ヶ月ほど執行猶予措置が取られたようです。(こちら

 新聞などでは「希望が戻ってきた」などと一面トップで喜びを表していますが、あくまで暫定的措置であることを忘れないで欲しいものです。恐らくイランの国際政治の舞台での問題が反映しているに違いない今回の措置ではありますが、どうもイラン側の対応のまずさが目に付きます。それでも出場にこぎ着けてしまうところはさすが交渉上手(?)というところでしょうか。
 ともかく、代表チームの活躍が見たいなら、上手くやってよ、大統領閣下、というところでしょうか。

 気になるもう一つのニュースはこちら
 また落ちてしまったよ。軍用機…
 軍用機と民間機は違うということは分かっていますが、それでもやはり飛行機に乗ることがためらわれてしまいます。つい先日も、Fokker100でテヘランーヤズドを往復したのですが、これも何年か前に落ちたのと同じ型だなあと思うとなんだか落ち着かない気分を味わってしまいました。

 アメリカに対して強硬姿勢で臨んでいることに酔っていらっしゃる大統領閣下は、イラクで泥沼にはまりこんでいるアメリカに対してますます強気に出ているようです。(こちら
 ロシアのバックアップがあるから大丈夫だもんね、ということなのかもしれませんが(こちら)、ロシアは信用できるの?本当に大丈夫?とついつい心配になってしまいます。

 「ひょんな事から転がり込んできた権力を手放したくなくて国民の人気とりに汲々とするポピュリスト」と評価されている大統領閣下ですが、自分の人気のことだけじゃなくて本当に国民のことを考えている?と聞きたくなることばかりです。
 国内経済は物価の異常な上昇が続き、国際的にも評判は悪くなる一方です。大丈夫なのかなあと不安を感じてしまうのもいた仕方のないところではないかと思います。大統領に強力な権限のある国ではありませんから、こういう情況になっているのは大統領閣下だけの責任ではないのかもしれませんが、でもとりあえず、イランの顔として存在しているからには国民のためになんとか頑張って欲しいなあと願わずにいられません。

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by sarasayajp | 2006-11-28 11:22 | いろいろ |
2006年 11月 27日 |
 外国語学部は中間試験のシーズンです。

 と書くとなんだか高校のようなのですが、高校と違って2~3週間にわたって五月雨式に試験があるのが高校とは違うところでしょうか。
 私は日本でもイランでも大学時代に中間試験なるものを経験していないのですが、私が体験していないだけで、ごく普通に行われているものなのでしょうか?確か、イランでもペルシア文学科では行われていなかったと思います。

 中間試験間近になると、難しい教科が同じ週にならないようにと希望する学生と、そんなに待っていたら学期が終わってしまうよという先生との駆け引きが始まります。できるだけ試験の日を引き延ばし、なおかつ試験範囲を狭くしようとする学生に対し、今試験範囲を狭くしたところで、期末試験では範囲が結局広くなるだけだよと先生は言うのですが、学生にとってはとりあえず目の前の試験が楽になることの方が大切なようです。

 そんなこんなで中間試験が始まるわけですが、試験を受ける学生も大変でしょうけど、試験をする先生の方も大変だというのが教えるようになってからの実感です。
 最低限覚えておいて欲しい内容を書き出して、それから全体の平均レベルを考えて、平均点が高すぎず低すぎないように工夫をして、等々。試験が終わったら終わったで採点作業です。先生というのは大変だったんだなあと、高校までの先生方の苦労をようやく知ったのでした。

 試験をしてみておもしろいことが一つありました。
 私が今学期担当している「日本文学史Ⅰ」の試験では、一応日本文学を扱っているのだしということで、これまでほとんどのプリントを縦書きで作って学生に渡していました。そして試験問題も縦書きで作りました。ところが、学生の何割かは、縦書きの回答用の空間に横書きをしてきたり(一行が十文字にもならなくて書きにくかったでしょうに)、解答用紙の向きを変えて横書きにしてくるなど(問題が読みにくいでしょうに)、横書きにこだわった学生もいたのがなんとも不思議でした。横書きで日本語を習ってきたからこうなのか、融通が利かなかったのか、それとも縦書きに慣れていなくて書きにくかったのかと、悩んでしまったのでした。

 卒業したら日本語を使う機会などほとんどないかもしれませんし、機会があったとしても興味がない教科では試験が終わったら忘れてしまうことも多いでしょう。しかし、どんな小さな事でも構わないので、「そういえばこんな事も習ったなあ」と心の片隅に残ってくれることを願っています。

 関係のない話ですが、ペルシア語では「試験を受ける」を「امتحان دادن (emtehan dadan)=試験を与える」と言います。私はこの「与える」という言葉に引っかかって、「試験を受ける」を先生の方から見た「試験をする」とついつい間違えてしまうことがあります。頭では分かっていてもついつい間違えてしまう言葉はいくつもあるのですが、その筆頭がこの「試験を受ける」なのです。

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2006年 11月 26日 |
 イランのサッカー代表チームが対外試合を初めとする国際活動を停止させられたとか(こちら)。

 理由はイラン・サッカー協会が政府による干渉を受けているからだそうですが、イランで政府の干渉を受けない、独立した組織などあり得ないので、どうなることやら心配です。
 しかし、イランがこういう措置を受けるなら、イラン以上に厳しそうな北朝鮮はどうなるのでしょうか?というのも素朴な疑問なのですが、どうなっているのでしょうか。

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by sarasayajp | 2006-11-26 09:05 | スポーツ |
2006年 11月 23日 |
 今日はアーザル月2日、イスラーム暦ズィー・カアダ月1日、西暦11月23日です。

 今日はハズラテ・マアスーメの誕生日です。

 と言っても彼女のことを御存知でない方も多いと思います。
 テヘランの南約135キロメートルのところにゴムという宗教都市があります。シーア派宗教学の学校がいくつもあり、イランの宗教学の一大中心地です。特にここの神学校を中心とする宗教センターはイラン・イスラーム共和国政府と密接なつながりがあり、一種独特な雰囲気のある町です。政治の中心はテヘランですが、イランのシーア派の中心地はこのゴムなのです。

 どうしてこの町が宗教都市として発達したかというと、今日が誕生日だったというハズラテ・マアスーメ(ハズラト=~様の意味、マアスーメ=清らかなの意)の廟がここにあるからです。
 彼女は、マシュハドに墓廟のある12イマーム・シーア派9代目イマーム・レザーの妹であるとされています。

 イマーム・レザーはホラーサーン(イラン東北部からアフガニスタンの西部、中央アジアの一部を含む地域)のシーア派の人々の招きにより、メディナからホラーサーンへと向かっていました。
 マアスーメは兄を追ってホラーサーンへ向かう途中、伝承によるとゴムで毒殺され(別な伝承によると病死)、ゴムに埋葬されました。
 その後、彼女の墓の上に廟が作られ、シーア派の人々が巡礼に訪れるようになり、ゴムは巡礼都市として発達しました。現在はアラビア半島やパキスタン、アフガニスタンなどからも多くの巡礼者を集め、世界各地からの留学生を受け入れる一大宗教都市となっています。

 もともとシーア派の中心はイラクのナジャフにあったのですが、サッダームがシーア派を弾圧したことからナジャフにいた学者たちが大挙してゴムにやって来たため、シーア派の中心がナジャフからゴムへと移った形になっていました。しかしサッダーム政権崩壊後、ナジャフへ戻る法学者もおり、ナジャフにはゴムよりも全シーア派にとって格で言えば比較にならない初代イマーム・アリー廟がありますから、再びナジャフがシーア派の中心になるのではないかと見られています。これはシーア派の盟主を自認するイランにとっておもしろくないことなのではないかと思われますし、実際、既にシーア派ムスリムから集まってくる巨額のお金がナジャフに流れ込んでいるのだとか。そうしたことから、イラクの内戦状態が続いてくれるのを一番願っているのはイランだといううがった見方もあるようです。

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 ここまでがイスラーム的な立場からの説明でした。
 もう一つ視点を変えた話を。

 ゴムのマアスーメ廟のすぐ目の前には、今は水が枯れてしまっていますが、川が流れていました。この地理的な条件などから、マアスーメ廟のある位置にはイスラームがイランへ到来する前、ゾロアスター教の水を司る女神アナーヒターの神殿があったのではないかと言う人もいます。その当時のイラン人にとっての聖地を、イスラーム到来以後も聖地として残すため、イマーム・レザーの妹がここに葬られているという伝承を作り出し、「シーア派の聖地」とすり替えたのではないかというのです。

 それが本当かどうか私には確認するすべはありませんが、もしそうだったらおもしろいなあと思いますし、もしかしたらそうなのかな?などと思う根拠もないわけではありません。

 イスラーム以前のイランの主要な宗教の一つであったゾロアスター教の神殿のいくつかは、イスラームの到来後、モスクなどに作り替えられています。また、各地に残る聖者廟には、イスラーム以前の聖地であったことが明らかなものも存在しています。
 そうしたことを考えると、マアスーメ廟についても、イスラームの到来前後にゾロアスター教の神殿であったということが事実であっても不思議ではないように思われます。

 例を挙げてみると、エスファハーンにあるマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)、ダームガーンのマスジェデ・ターリーヒー(歴史的なモスクの意)などは、もともとゾロアスター教の神殿があった場所をモスクにしたものです。

 シーア派にとってはここがマアスーメという女性の墓であることは真実であり、ここに巡礼に来ることで気持ちが癒されるのなら、廟の真正についてはどうでもいいように思いますが、実はアナーヒター神殿だったということが証明されたら、これはこれでまた興味深い歴史的事実だろうと思わずにもいられません。

 それにしても、「男性」であるイマーム・レザー廟ではなく、「女性」であるマアスーメ廟に密接な関係があるイスラーム政権というのは何とも不思議な感じです。

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2006年 11月 22日 |
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 先日、知り合いの写真家の家へ行ったときのことです。

 「最近はどこか撮影に行ったの?」
 「遊牧民が冬営地へ移動するところを撮りに行ったんだけどね。全然いなかったよ。この二年くらい、彼らは定着するようになったね。やっぱり、テレビや衛星放送がある生活の方がいいだろうから」

 私はこの三年ほど、色々と忙しくて長期の旅行ができなかったため、遊牧民の天幕を訪れることもほとんどなくなっていましたが、先日訪れた遊牧民の夏営地でやはり、移動をする遊牧民が減っているとはなんとなく感じていました。
 私が訪れたガシュガイ族ではなく、イランで遊牧民中の遊牧民として敬意を払われているバフティヤーリー族も春と秋の移動を止め始めていたのかと、正直なところ、少々寂しさを感じないではいられませんでした。

 バフティヤーリー族はイラン系の遊牧民で、イラン人がコルドと並んで「自分たちのオリジン」と敬意を払う勇敢で誇り高い人々です。彼らの名前を冠した「チャハール・マハール・ヴァ・バフティヤーリー州」には彼らの住む村が沢山ありますが、ザグロスの山中でそれほど仕事もなく、隣の州であるエスファハーン州に出稼ぎに来ているのをよく見ます。

 政府の指導や、子どもたちの教育問題や経済の問題など、色々な要因から移動をやめる遊牧民が多いと聞いています。しかし、移動を止めて定着をしても仕事があるとは限りません。村で羊を飼うにしても土地の広さには限界がありますし、色々と難しい問題があるということも聞いています。

 写真はもう随分と前にバフティヤーリー族の冬営地で撮った家族の写真。写真を撮らせてもらおうと思ったら、お父さんは「ちょっと待っていて」と、バフティヤーリー族の男性のユニフォームとも言える肩のところに縞模様の付いたチョガーと呼ばれる上着を着て戻ってきました。
 写真を懐かしく見ながら、この家族も移動をやめて、どこかに定着するようになったのかなと思ったのでした。

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2006年 11月 21日 |
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 イランが全世界の90パーセント以上を生産しているというサフラン。
 日本ではとんでもない高値で売られていますが、さすがは生産地で、イランでは日本よりずっと安く売られています。そのため、料理好きの人がイランにいらっしゃるとおみやげに買って帰られます。

 そのサフランの花が咲くのが冬にさしかかったこの季節。
 冷え込みが厳しいほど花には良いのだとか。
 そういえば、小学生の頃、サフランを水栽培したことがあったなあ、と懐かしく思い出すものの、花が咲いたのがいつだったのかが思い出せず、ちょっとショックだったのでした。

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2006年 11月 20日 |
 まだまだ先のことなのですが、この数日、1月中旬に行われる学期末試験の日程や、来学期の時間割の作成に追われていました。

 一般教養や第二外国語に重ならないように時間割を作り、先生方の希望をできるだけ入れて、更には学生たちが一日一教科のために来なくとも良いように配慮して、更には学部からのお達しである一日に二コマ以上同じ学年の授業を連続させるなといった様々な条件を考えながら時間割を作るのは至難の業だということがよく分かりました。現に、チェックにチェックを重ねて作ったはずの時間割を学科長に提出し、やれやれと家に戻ってみてもう一度見直してみて、間違いを発見してしまって青くなってしまったのでした。

 それはともかく、来期の時間割作成のために一般教養の時間割を見ていて改めて思ったのですが、イランの一般教養の概念は日本の大学のものとは随分と違っています。

 まず、「ペルシア語」という授業があることです。大学でも「国語」があるというのは初め、ちょっと不思議な感じがしたのですが、そう思うイランの人もいたようです。
私の指導教官は大学院の授業の中で「イランの大学の授業はおかしい。大体、大学生、大学院生にもなってペルシア語の役にも立たない文法を細々と教えて学生を混乱させている一方で、レポートの書き方のような大切なことを全く教えない。だから大学院生にもなってレポートや論文が書けないものばかりになってしまうのだ」とこぼしていたものでした。

 それから、「イスラーム史」「イスラーム教養1、2」「イスラーム倫理」「イスラーム文献」とイスラーム関係の授業がずらりと並びます。それからイランらしいところで「イスラーム革命」という授業が堂々と名を連ね、更には「家族計画」という授業が。これはもちろん男女別で行われるのですが、大学の一般教養なのかあと初めてこの授業を目にしたときに驚いたことを覚えています。
 それと、「体育」の授業もあり、男子学生に聞いたところによるとやはりサッカーが一番人気らしいです。体育の授業に「チェス」が入っているのですがやはりこれもスポーツなのでしょうか。確かにテレビなどを見ていても、スポーツコーナーでチェスの大会の様子などが紹介されているので体育の授業の科目として教えられているのも不思議ではないのですが、でもやはりちょっと不思議な感じがするのでした。

 この一般教養科目を見ていると、ムスリム以外の学生が学ぶということは全く考慮の外であることが分かりますし、非ムスリム学生が一般教養の単位が取れずに留年することも多いということもよく分かります。12イマーム・シーア派を国教とすると憲法に定められているイランでは「一般」教養なのでしょうが、イラン以外の国では「一般的」ではないなあと、先日も、留学希望学生から、留学先の大学の単位に振り替えられない授業ばかりという嘆きを聞いたばかりだったのでちょっと考えてしまったのでした。

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2006年 11月 19日 |
 これまでにイランで言われた微妙な英語。

 What’s your nationality? (言いたいことは分かるんだけど…)

What’s country?   (これもいいたいことは分かるんだけど…)

I love you!   (それは男性に言ってあげてください。お嬢さん)

 止めた方がいいと思う英語。

 Made in Japan?  (私は人間です)

 Hello, Mr!  (女性にそれを言うのはどうかと…ついでに「みすてる」という発音もそう)


 日本人も私を始め、英語にかなり難ありな人が多く、外国人に話しかけられると逃げてしまう人も多いので、何のこだわりもなく話しかけてきてくれるイランの人たちのことだけをどうこう言うつもりはないのですが、それでもやはり同じ間違いを繰り返し色々な人から聞かされると、ちょっと「う~~~~~ん」という気分になってきます。

 もちろん、文法的な間違いなど構わずに外国人に話しかけようとするその物怖じしないところはすごいなあと感心するのですが、時にそれも図々しさや失礼と紙一重なところも気になるところです。
 人が真面目に写真を撮っていようと、書き物をしていようと、聞き取り調査をしていようとお構いなしに、「何人?アフガン人?日本人?韓国人?」とこちらが答えるまで隣でしつこく話しかけてきたり、少しでも返事をするとあれこれと立て続けに自分の好奇心を満足させるためだけの質問を繰り返したりする人が多いのも残念ながら事実です。
 また、そういう人は質問の仕方が大変に失礼なので、私だけでなく多くの外国人はそうした態度に不快感を感じて、ひいてはイラン人に対する悪印象になるのではないかと思うくらいです。

 人が作業をしているときに話しかけるなら、「すみませんが」の一言食らいつけてもいいと思うのですが、いきなりやってきて「中国人?」ではあまりに失礼ではないでしょうか?それともイランではこれが見知らぬ人に対する礼儀なのでしょうか?
 少なくとも、私の友人たちはそんなことはないと言いますし、そうやってからまれている私を助けてくれる通りすがりのイラン人たちもそう言っていました。

 そういうことを指摘すると「ごめんなさい」と言ってくれる人も多いですが、「何を言っているんだ、我々イラン人はフーンギャルム(直訳は血が熱い→心が温かいとかそういった意味に)だから外国人にもこう接するんだ。それを受け入れられないお前の頭がおかしい」と開き直る人も多いです。それはフーンギャルムではなくてポルルー(図々しい、厚かましい)ではないのかなあと思うのですがどうなのでしょう。
 仕事をしている初対面の人に「あんたどこの人?」と挨拶もなしに大声で話しかけるようなことをしたら、それがイラン人同士であっても「礼儀を知らない」と言われるのではないかと思うのですが。

 文法的に英語を間違えようが何だろうが積極的に外国人とコミュニケーションを図ることと、相手の都合も考えずに自分の好奇心だけを押しつけてくることは違うのではないでしょうか。それぞれの国にそれぞれの礼儀作法があることは確かですが、相手に不快感を与えないための気遣いというものにはそんなに違いがないのではないかと思いますし、博士論文を書く過程で山のように読んだイスラームの倫理関連の文献を読んでいてもほぼ違和感なく受け入れることができていたことからもそれは明らかであるように思います。

 イランの人がフーンギャルムであることは十分に知っていますし、そうした面にこれまで沢山助けられてきました。イランの人の血の熱さは、日本人がどこかに置いてきてしまった大切なものを思い出させてくれるものだと感じています。ですから、一部の人によって礼儀を欠いた態度に「フーンギャルム」という言葉を使われることがなんとなく嫌だなあと思ってしまうのです。

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در اینجا می خوام راجع به انگلیسی حرف زدن ایرانی ها با خارجی ها صحبت کنم .

مثلاً اصطلاحات عجیبی که ایرانی ها به کار می برند:
What’s your nationality (البته می دونم چی می خواد بگه)
What’s country (اینم می دونم چه منظوری داره)
I love you (دختر خانم ! اینو به پسر بگو ! نه به من! )

یااصطلاحاتی که دوست ندارم ایرانی ها استفاده کنند:
Made in Japan? (حواست کجاست؟ من انسانم ونه جنس !!!)
Hello, Mr (آخه چرا به یه خانم اینجوری می گین!؟)

البته کم نیستند ژاپنی هاییکه - از جمله خود من- تو انگلیسی زیاد وارد نیستند و کم هم نیستند افرادی که وقتی یکی بخواد به انگلیسی باهاشون صحبت کنه در میرن !
نمی خوام بگم ایرانی هایی که خیلی راحت و بدون هیچ رودیباسی همینکه یه خارجی می بینند چند تا کلمه انگلیسی پرت می کنند اینجوری یا اونجوری اند، ولی خب وقتی که نه یکبار، نه دوبار، همش از اینجور اصطلاحات غلط می شنوم یه حس بدی بهم دست می ده.
 
وقتی می بینم ایرانی ها اینقد با شهامت و بدون هیچ گونه ترسی از اشتباه صحبت کردن انگلیسی با خارجی ها حرف می زنند تو دلم تحسینشونم می کنم ولی بعضی وقت ها اینو به حساب پررویی و بی ادبی هم می ذارم.
متأسفانه وقتی یه خارجی می خواد تو یه جایی عکسی بگیره، یا داره یه چیزی می نویسه یا می پرسه، یه هویی می بینی یکی سروکلش پیدا می شه ومی پرسه کجایی هستی؟ افغانی؟ ژاپنی؟ کره ای؟.....و فقط کافیه یه خورده جوابشو بدی، اونوقته که ولت نمی کنه و مثل کنه بهت می چسبه وپشت سر هم سوال می پرسه تا یه حالی ببره !!!!!!!
حالا سؤال کردنش به کنار، لحنش هم خیلی بی ادبانه است و چه بسا باعث می شه که خارجی ها ذهنیت بدی از ایران داشته باشند!
وقتی آدم داره یه کاری انجام می ده و ذهنش مشغوله، یکی اگه سؤالی داره باید حداقل یه ببخشیدی چیزی بگه و سوالشو بپرسه، نه اینکه یه هویی بیاد بگه چینی هستی !؟
خب این خیلی بی ادبیه !نمی دونم آیا تو ایران با یه فردی که نمی شناسنش اینجوری صحبت می کنند؟ دوستایی که تو ایران دارم میگن نه، اینجوری نیست و حتی کسانی که تو کوچه و بازار به من کمک می کنند هم میگن نه .
وقتی که همچین موردی رو به همچین افرادی بگی و تذکر بدی که کارت زشته، البته خب بیشترشون معذرت می خوان ولی در ادامه میگن ما ایرانی ها خونگرم هستیم و دوست داریم با خارجی ها هم خودمونی برخورد کنیم !و جالبه بیشترشون قیافه حق به جانب می گیرند و میگن مشکل از شماست (که نمی توانید این خونگرمی ما رو درک کنید!!!!!!!)
من که فکر می کنم این خونگرمی نیست و باید اسمشو پررویی بذاریم .
فکر می کنم خود ایرانی ها هم وقتی یکی همینجوری بیاد و بدون سلامی و کلامی بپرسه کجایی هستی حتما پیش خودشون میگن : عجب فرد بی ادبیه !
فرق می کنه اینکه یکی بخواد واسه اینکه زبانش خوب بشه بیاد و با خارجی ها صحبت کنه و اینکه یکی بخواد چند لحظه خوش باشه از اینکه با یه خارجی صحبت کرده. قبول دارم تو هر کشوری یه آداب معاشرت خاصیه، ولی تقریبا همه جا به این نکته اعتراف می کنند که نباید در طرف مقابل و مخاطب خودمون یه احساس بدی ایجاد کنیم. و تو اون همه کتابی که من واسه نوشتن پایان نامه دکترای خودم راجع به اسلام و اندیشه های اون خوندم هم این قضیه خیلی آشکار منعکس شده .
درسته، ایرانی ها واقعا مردمان خونگرمی هستند و به خود من هم بارها شده که کمک کردند و لطف داشتند. واین خونگرمی شون باعث میشه من پیش خودم بگم، پس این خونگرمی ژاپنی ها کجا رفته؟ چرا اینقد نسبت به هم سردند؟.ولی خب بدم میاد یه سری رفتارهای بی ادبانه رو به حساب خونگرمی بذارن


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by sarasayajp | 2006-11-19 13:51 | イラン人 |
2006年 11月 18日 |
 昨日はイラン暦アーバーン月26日、イスラーム・ヒジュラ暦シャッワール月25日、西暦11月17日でした。

 市販のカレンダーでは今日がシャッワール月25日なのですが、ラマダーン月が一日早く終わったため、イスラーム暦(ヒジュラ暦)が一日前倒しになっていることをうっかり忘れていました。

 この日は12イマーム・シーア派第六代目イマーム(指導者)・ジャアファル・サーデクの殉教日で、休日です。休日が移動してしまっため、木曜日からの三連休になる、と喜んでいた人はがっかりだったのではないでしょうか。

 イマーム・サーデクは、ヒジュラ暦83年ラビーユル・アッワル月17日(西暦702年4月20日)に、マディーナ(メディナ)で生まれ、ウマイヤ朝末期からアッバース朝の建国期にかけて活動をしていました。

 ウマイヤ朝は、シーア派にとって初代イマーム・アリーと対立し、三代目イマーム・フサインの正統な権利を奪い取った敵でした。ウマイヤ朝に対するシーア 派をはじめとする反対勢力を上手く利用して、政治の実権を奪い取ったのが、預言者ムハンマドの叔父アッバースを祖とするアッバース家でした。
 アッバース家はシーア派に、自分たちが実権を握ったら彼らの活動を認めると言ってシーア派勢力を利用しましたが、権力を握ってからはシーア派を無視し、圧力を加えるようになりました。

 そして、その当時シーア派の精神的な中心であったイマーム・サーデクを恐れ、彼の活動を制限し、シーア派の伝承によれば、ヒジュラ暦148年のこの日(西暦765年12月14日)、彼を毒殺をしました。

 イマーム・サーデクは、イスラーム諸学において名高く、法学理論をはじめとする様々な学問において書物を収集・編纂を行い、多くの弟子にイスラーム学を教授していたと言われます。
 彼がそうした活動の中でシーア派理論を確固としたものとし、多くの弟子たちを通じて各地へ広めたことから、シーア派のことを彼の名前を取って「ジャアファリー派」とも言います。

 私はずっと以前、ラシュトというカスピ海に近い町へ行ったときに初めて、「君はジャアファリー派なのかい?」と聞かれ、何を言われたのか一瞬分からずびっくりしたことを覚えています。

 カレンダーや手帳に書かれている日付とずれてしまったイスラーム・ヒジュラ暦ですが、不思議と例年、シャッワール月が終わる頃にはシャッワール月がカレンダーより一日多かった、ということになってカレンダーを一日ずらして考える面倒がなくなります。こういう妙に都合の良いところが、イランはラマダーンを一日短くすべく操作しているのでは?という疑いを人々に抱かせることになっているように思います。

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