イランという国で
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2006年 02月 25日 |
 湾岸旅行記もようやく最後です。

 湾岸へ行っていたのは、アーシュラーの休日と、革命記念日の休日が相次いでいた四連休を利用してでした。
 アーシュラーというのは、去年もご説明した通り、シーア派にとってとても重要な行事の一つです。(詳しくはこちら

 イラン国内のシーア派が優勢な地域では盛大に行われているアーシュラーですが、湾岸はスンニー派の方が多いため、何となくぱっとしません。
 それでも、シーア派の人たちは、夜中過ぎまでエマーム・ホセイン(アラビア語ではイマーム・フサイン)の悲劇的な死を悼み、哀悼の行事を行っていました。
 私が泊まっていた宿の裏にもアーシュラーの行事を行うヘイアト(こちらを参照のこと)があったらしく、毎日夜中過ぎまでスピーカーでエマーム・ホセインがいかに悲劇的な死を遂げたかというロウゼ(悲劇語り)が行われていて、大変な騒ぎでした。
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 ヘイアトでは、沢山の人が集まり、夜中まで哀悼の行事を続けるわけですから当然、お腹が空きます。そこで、参加者に対してふるまいご飯が配られます。
 この食事を「ナズリー」と言います。
 誰か願掛けをしている人や、エマーム・ホセインに対しての敬愛の念の深い篤志家がお金や材料をヘイアトに寄付し、それを調理して配るのです。
 ナズリーのために材料を寄付する時は、自分が用意できる最高級の材料を買い求めることが最も神の意に叶うことだとされています。また、寄付によって材料をそろえる時も同じです。最高の材料を使った上に、大量に作った方がおいしいというイラン料理ですから、ナズリーは本当においしいものがふるまわれます。イランの人がよく、「エマーム・ホセインのご飯はとてもおいしい」と言いますが、これは本当だと思います。
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 ナズリーは、哀悼の行事に参加していなくとも、ヘイアトへ行けば誰でももらうことができます。
 そこで、我々も、旅行中に何度かヘイアトなどへ行って、ナズリーをもらって食べていました。
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 (こちらはタースワーの日にもらったナズリーごはん。容器にヘイアトの名前が書いてある。中身はチェロウ・キャバーブ)

 おもしろいのが、普段、シーア派のことを悪く言うスンニー派の人もヘイアトへ行ってナズリーをもらっているということです。鍋をいくつも持って行って入れてもらったり、既にプラスチック容器に入れてあるのものをいくつも袋に入れて持ち帰ったり。なかなかちゃっかりしています。
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 (こちらはアーシュラーの日にもらったアダス・ポロウ=レンズ豆の炊き込みご飯。テヘランで食べるものと違って、シナモンがきいていてびっくりの味)
 こうして並べてみると、食べてばかりの旅行だったようですが、それが目的の一つだったので、まあまあ満足できた旅行でした。ただ一つ、日焼け止めを忘れて、とんでもなく酷い日焼けをしてしまい、テヘランに帰ってきてから色々な人に笑われてしまったことだけが失敗でした。
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 (こちらはアーシュラーの翌日にも配られていたごはん。アダス・ポロウにソースがかけてあり、これがとてもおいしかった!)

おまけ
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2006年 02月 24日 |
 バンダルでは魚尽くし。

 自分たちで魚を買って焼いたり、食堂でも魚を選んだり。

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 シューリーデという魚のフライ。
 シューリーデというのは、「乱れた」という意味だったような気がするのですが、それと関係がある名前なのでしょうか。

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 ショーケースにはこんな風にその日の魚が並べられ、選ぶことができるというのは嬉しい。
 もっとも、時期もあってか、多かったのは、シール・マーヒー(獅子魚)という魚。ほとんどの食堂で魚料理というとこれでした。

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 ゲリエ・マーヒーという魚のシチュー。ハーブを沢山刻んで煮込んだシチューに、フライにした魚が入っているもの。このあたりでないとなかなか食べられない。

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 ゲシュム島で食べた魚のフライ。とにかく大きかった!鯛のようなあっさりとした白身。

 あと、エビのフライも食べたのですが、こちらはうっかり写真を取り忘れ。
 バーベキューの時にも使った醤油を持ち歩き、普通ならレモンを搾って食べる魚のフライに醤油をかけ、「あ~、おいしいなあ」としみじみしていた旅行でした。

 バンダル・アッバースのバーザールの一角には、ドバイを経由して輸入された米を売る店が並んでいました。パキスタンや東南アジア、ウルグアイなどから輸入された米がここで売られているのです。
 こうした土地柄からか、食堂で出てくるご飯は、独特の香りのある輸入米が多く、食べ慣れていないため少々戸惑いました。こういうところにも地方色は出るのだなあと思ったのでした。
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2006年 02月 23日 |
 ペルシア湾に浮かぶ戦艦のような島、ゲシュム島では、11月27日に地震が起こり、いくつかの村が壊滅状態になりました。地震の後数日はイラン国内のニュースで救助活動の様子などが報道されていましたが、その後はぱったりと報道がなくなり、様子が分からなくなってしまいました。

 今回の旅行の中で、ゲシュム島へも足を伸ばしてきました。

 ホルモズ島へ行った時と同じように小さなボートに乗って一路ゲシュム島へ。バンダル・アッバースから約12.2キロメートルのところにあるゲシュム市に到着です。

 全長115キロメートルというゲシュム島の中央部が、先日の地震で大きな被害を被った地域です。
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 ゲシュム市は地震の時に揺れは感じたそうですが、ほとんど全くと言って良いほど被害はなかったようです。
 桟橋で拾ったタクシーに乗って、ゲシュム島中央部へ。
 もともと村が少ないため、海と砂っぽい景色が続くだけで、大きな地震があった様子は全然見えません。
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 (放牧されているらくだたち)


 いくつかの村を通り過ぎ、運転手が言いました。
「このあたりだよ」
 確かに崩れた家や塀が見えます。しかし、アスファルトの道路はまったく影響を受けていませんし、電柱も傾いていません。

 震源地に一番近い村に連れて行ってもらいましたが、見事なまでに家がつぶれています。
 かなり大きな村だったらしいのですが、建物は跡形もなく、住民はみんな赤新月社が配ったテントで生活しています。
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 公式発表によると5つの村が壊滅し、死者も出ているはずなのですが、政府や海外からの支援が入っている様子は全くなく、テントの村は昼の光の中でひっそりとしていました。
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   (テント村の中の村役場)


 運転手などの話によると、「ゲシュムはスンニーの島だから政府は何もしないのだ」とのこと。
 ゲシュムはイランの経済特区の一つに指定され、商品に対する税金の優遇措置などがあり、経済振興策がとられていますが、これは決して島全体の経済を潤すことにはなっていません。
 ゲシュム市内にいくつも建設された大きなショッピングセンターに出店しているのもトルコ系の人がほとんどですし、観光客を目当てに作られたホテルや別荘などもすべて本土からの資本です。そこから発生する仕事に就ける人はまだそれほど多くなく、ゲシュム市から離れた村に住む人々は、昔とそれほど変わらない生活を送っています。
 本土から来た人たちとゲシュムに昔から住んでいる人たちの大きな違いは、同じムスリムであっても、本土から来た人々がイランの国教である12イマーム・シーア派であり、ゲシュムの人々がスンニー派であるということです。そのため、ゲシュムの人々の中には、本土から来たシーア派の人々に利益を奪われているという気持ちがあることは否定できません。

 イランは憲法の中で「12イマーム・シーア派をイランの国教とする」としていますから、それ以外の人々は、たとえそれが同じイスラームの一派であるスンニー派であったとしても、有形無形の差別があります。これは、ゲシュムに限らず、スンニー派の多い地域ではよく聞きますし、目にすることも多いです。

 実際、ゲシュムの地震に関しては、海外からの支援の申し出を政府はすべて断り、自分たちだけで十分だとしたのだそうです。しかし、現地の人たちに聞くと、地震の後しばらくは赤新月社が来て、テントを配ったり、けが人の治療をしたり、救援物資を配ったりしてくれたが、すぐにいなくなってしまい、その後、政府からは何の支援もないとのこと。その理由を現地の人たちは自分がスンニー派だからだと感じているようです。

 このあたりは非常に微妙で、私には何とも判断ができないのですが、シーア派であるかスンニー派であるかに関係なく、イラン政府は災害支援をする気がないのではないかとも思います。
 アッバース・キヤーロスタミー監督の映画『そして人生は続く』で知られるルードバールの地震、ハマダーン州のラズンで起こった地震、バムの後その近くであるザランドで起こった地震、どれも、地震の直後に赤新月社を中心とする政府の援助はあっても、その後は特に援助もなく、住民自身が瓦礫を取り除き、家を建てて復興に向けた努力をしています。ルードバールなど、1990年の地震から15年経って、ようやく復興の兆しが見えてきたというところです。この間、政府はほとんど何もしていないとの話です。あるいは復興のための策は取られているのかもしれませんが、住民の目に見える形ではないようです。
 私が見る限り、バムが例外なのではないかと思うのです。そのバムでさえ、政府は特に何かをするわけでなく、海外からの援助に頼っている状態です。

 そして、言葉は悪いかもしれませんが、イランでスンニー派が多い地域は、いわゆる「辺境」がほとんどです。イラン中央部から遠く離れた地で、もともと開発が後回しにされる傾向があるところにスンニー派が多いため、シーア派が多い地域を優先的に、となっている可能性は大きいと思います。しかし、シーア派が住民のほとんどを占めていても、やはり辺境である南北ホラーサーン州(アフガニスタンやトルクメニスタンと国境を接している)やイーラーム州(イラクと国境を接している)などもやはり経済的に取り残されているのを見ると、スンニー派だから、シーア派だからということだけが理由なのかな?とも思わないではありません。

 しかし、スンニー派の人々が、スンニー派であることで政府から差別をされていると感じているということは事実であり、これは、国内に様々な宗教や(いわゆる)民族を抱えたイランにとって決して良いことではないと思います。しかし、政府はそうした不満は警察力で押さえつければ良いと思っているかのようです。
 私が被災地の村の写真を撮ろうとしたら、おおっぴらに写真を撮るなと注意されました。政府の出先機関である村役場の人たちに見つかったら良くないからとのこと。海外の報道機関と間違えられると面倒が起こるよ、と言われてしまいました。
 つまり、政府も自分たちが彼ら被災民をほったらかしにしていることは十分に自覚していて、しかしそれを海外には知られたくないのだということなのでしょう。
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(飲料水のタンク)

 それからもう一つゲシュムの人たちが疑っていることがあります。
 今回の地震が、自然の引き起こした地震ではなく、イラン政府が行った実験の結果であるというのです。あるいは、何らかの施設が爆発をして引き起こされたものだとも。
 そんなことがあり得るのかどうか私には分かりませんが、これも、住民たちの中では信じられていることのようです。
 海外から人が来て、地震の原因がばれるのが困るのだというのですがどうなのでしょうか。

 そうした風説や政府の思惑はともかく、現実にそこで生活をしている人たちにとっては生活をするという大変な問題があります。
 これから気温がどんどんと上がり、日中の気温が40度を超えるというゲシュム島でのテント生活はとても大変だと思います。また、学校が壊れ、授業が行われていない学校もあるとのこと。
 政府が海外からの支援を拒んでいるということですから、できることは少ないかもしれませんが、何かできることはないだろうかと考えさせられてしまったのでした。
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(ゲシュムからの帰りの船から見た夕暮れのバンダル・アッバース)

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2006年 02月 21日 |
 昨日ご紹介した魚醤ですが、湾岸とはいえ、バーザールなどで普通に売っているものではないようです。

 バーザールで買い求めた、あるいは自分たちで獲ってきた小魚を使って、自宅で作るのが普通だそうです。
 余分をペットボトルに詰めて、バーザールに持ってきて売ったりすることもあるようですし、魚醤を作っている人の家へ行って分けてもらったりということもあるようです。でも、基本は「自家製」とのこと。

 我々も、魚醤を作っていて、売ってくれる人の家へとおじゃましました。

 魚醤の作り方そのものは、東南アジアと変わらないようです。
 魚醤にする魚には、小魚と少しサイズの多きな魚の二種類があり、魚の種類によって色が少し違うとのこと。
 湾岸の魚醤は、ゲシュニーズ(辞書によると日本ではコエンドロと呼ばれているとか?)など何種類かの香辛料を入れるのが特徴のようです。メモをし忘れていたのでうろ覚えですが、ギャルム(熱)の食べ物である魚醤にサルド(冷)の香辛料を入れることで、性質を変えるのだとか。魚醤の味付けやその考え方にも色々な工夫があるようです。
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(手前右が塩漬け途中の魚、手前左は魚醤、後ろの三つは魚醤に入れる香辛料)

 また、塩漬けにしている途中の魚も、塩抜きをして、レモンをかけて食べることがあるそうです。まさしくアンチョビーのよう!

 魚醤(マーヒヤーベ)をどう使うの?と尋ねると、ほとんどの人が、パンに付けて食べると答えます。料理の中にはあまり入れないようです。
 以前、湾岸の別な街で、魚醤入りシチュー料理を食べたことがあるのですが、ペルシア湾岸でも地域によって使い方に少し違いがあるのかもしれません。

 ペルシア湾(アラブ諸国からはアラビア湾)は、昔から交易が盛んで、人の移動・交流も盛んでした。
 今は国境が引かれ、領海などという概念もありますが、湾岸の人にとっては今でもペルシア湾は交流の場のようです。船で対岸の街まで出かけることもよくあるということは以前から知っていたのですが、今回、アラビア半島側へのおみやげに魚醤を持っていくこともあると聞いてびっくりでした。
 湾岸アラブ諸国にも魚醤があるのか、ぜひ調べてみたいものです。

 ついでに、バンダルで見かけた海産物の加工品から。
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 袋に入ったものは小魚を干したもの。
 手前はなまり節のようなもの。
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 説明の必要なし!干しエビ。
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2006年 02月 20日 |
 テヘランに戻ってきてから、くしゃみ鼻水が止まりません。
 はじめは風邪をひいたのかと思っていたのですがどうやら様子が違います。
 まさか花粉症?
 授業もありますし、この症状が続くのは困ります。
 そこで、アンチ・ヒスタミンを試してみました。
 そうしたら、鼻づまりはまだ少し残っていますが、症状はほぼ治まってしまいました。花粉症かどうかは分かりませんが、何かしらのアレルギーだったことは確かなようです。
 湾岸には杉はほとんどないし、砂埃もそれほど酷くないし、排ガスや粉塵もテヘランに比べればずっと少ないですから、蒸し暑さを我慢すれば、花粉が酷い時期を過ごすにはいいのかも、などと思ってしまいました。

 と、テヘランに戻ってきてまだ一週間だというのに、もう湾岸が懐かしくなっています。

 その湾岸独特の食べ物の一つをご紹介したいと思います。

 湾岸地方では豊富に捕れる魚を使っての魚醤があります。
 魚醤をどうやって使うかというと、朝食のパンに付けて食べるというのが一番ポピュラーな食べ方です。

 バンダル・アッバースの魚バーザールの近くで見つけた食堂で、この魚醤かけパンを見つけました。

 作り方は…
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 ターベと呼ばれるフライパンにパンの種を流して薄いパンを焼く。

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 卵を割り入れ、つぶしながら薄くのばす。

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 チーズをちぎって乗せる。
 魚醤をふりかける。写真の中の左側のターベのパンに振りかけられている黒っぽいのが魚醤。

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 あらかじめ焼いておいたパンを重ねて、オリーブオイルをふりかける。

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 四つにたたんでできあがり。

 たたんだ様子を写した写真があまりにピンぼけで、ご紹介できないのが残念ですが。見た目はクレープのようです。

 上の作り方は、具が一番沢山入った豪華版。
 自分の好みに合わせてフィリングは選ぶことができるようです。一番シンプルなのは、魚醤だけをふりかけたもの。

 これがとてもおいしくて、バンダル・アッバースにいる間、毎日のように通ったのですが、残念ながら連休中だったため、結局、一日しか食べることができなかったのでした。残念。
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2006年 02月 19日 |
 今回の旅行でもそうでしたけど、旅行中、警察関連で嫌な思いをすることがしばしばあります。

 今回一番「それっておかしくないかい?」と思ったのがこれ。

 イランの街と街をつなぐ街道には多くの検問があります。特に大きな街の入り口(出口でもあるわけですが)には必ずと言って良いほど検問があり、外国人いじめに精を出しています。10年前に比べれば数は減りましたし、緩くはなっているのですが、それでもまだまだ場所によっては厳しく取り締まりをしています。

 ホルモズ島や、その後、バンダル・アッバースからミーナーブへ行った時など、警察がいきなり我々を見るなり、「モジャッヴェズ(許可書)!」と一言。
 我々はいきなり「許可書」と一言だけ言われても、何のことか分かりません。ホルモズ島観光や、ミーナーブ観光に許可書が必要だなどと聞いたこともありません。
 「は?何のことでしょう?」と、聞き返すと、「モジャッヴェズはモジャッヴェズだ。モジャッヴェズも持たずに旅行をしているのか!」と怒り始めます。訳の分からない言い分に、人間がそれほどできているわけでない私はだんだんと腹が立ってきます。
「だからモジャッヴェズって何?どこからそんなものを発行してもらわなきゃいけないわけ?」
 ここまで言い返してようやく分かったことは。
「モジャッヴェズといったらパスポートに決まっているだろう!」
 だそうです。

 いつから我々の日本国によって発行されたパスポートは、イラン政府によって発行してもらった「許可書」になったのだろう?と唖然としてしまいました。
 パスポートを提示させたいのなら、「パスポート」あるいはせめて「ヴィザ」と言うべきだろうにと、なんだかもやもやしたものが頭の中に沸き上がります。ヴィザなら確かに、イランの期間が発行した「許可書」には違いないですが、それにしても、普通はそういう言い方はしませんから、そういわれた我々が理解できなくて当然です。それなのになぜ、分からないことが犯罪であるかのように責められるのかなあと。

 我々を意地悪く尋問している警官の後ろを、イラン人が何も言わずにすいすいと通っています。彼らはチェックしなくて良いのかと指摘すると、彼らは間違いなくイラン人だからいいのだとのこと。
 もしかすると、イラン人じゃなくてイラン人に似たイタリア人かもしれないし、アメリカに魂を売ったイラン人かもしれないだろうにと、ちょっと八つ当たりしたくなってしまいました。どうして警官というのは、イランに限らず、どこでもあんなに態度が悪いのでしょうか。

 それにしても、パスポートのことを「許可書」と言われたのはホルモズガーン州が初めてでした。
 普通、イランでパスポートのことは「パスポルト」あるいは「ゴザルナーメ」です。ヴィザは「ヴィザ」あるいは「ラヴァーディード」。どう考えても「モジャッヴェズ」は一般的な名称ではありません。

 イランは完全に警察国家です。体制維持のため、警察力で国民を締め付け、反体制勢力ができないようにしています。その基本方針に従って、国民とイラン在住外国人についての情報を事細かに集めるため、警察と情報省は様々な活動をしています。
 もちろんこうした活動は、旅行者に対しても例外ではありません。
 外国人が宿に宿泊する時には必ずパスポートをフロントに預けなくてはなりません。(イラン人の場合は身分証明書)
 そして、夜になるとアマーケンと呼ばれる警察の一種がやって来て、それらのパスポートや身分証明書をすべてチェック、コピーを取って帰ります。このチェックが終わるまでは絶対にパスポートは返してもらえません。こんな国は滅多にないのではないでしょうか。
 外国人があまり来ないような街に宿泊すると、ホテル内でアマーケンに不審尋問をされたりすることもあります。英語ができない警官が圧倒的に多いので、ペルシア語が話せなければそういう目に遭わないのですが、なまじペルシア語が分かると非常に不愉快な思いをすることになります。私は犯罪者か!?と言いたくなるような尋問を受けることもしばしばです。
 必要なことならもちろん協力しますが、相手がどこの国の出身かによって応対が違ったり、ペルシア語ができる人だけ尋問を行うとか、差別と不公平が警官の気分一つで生じることが納得できませんし、腹立たしくもあります。

 以前にも書いたことがありますが、普段の生活でも、電話の盗聴をはじめとする様々な手段で、人々の生活を監視している国ですから、国内の隅々まで警察網を張り巡らし、「不審者」である外国人を監視するのは当然かもしれませんし、まあ仕方がないと諦めてもいます。

 しかし、「外国人はスパイと思え」という警察の方針と、「観光立国を目指す」という国の方針は相反するような気がするんだけどなあと、旅行先で警察から不愉快な扱いを受けるたび、そう思わずにいられないのです。
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by sarasayajp | 2006-02-19 12:40 | いろいろ |
2006年 02月 18日 |
 昨日からちらちらと登場しているホルモズ島ってどこ?と思われた方もいらっしゃることと思います。
 場所はこちら。
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 バンダル・アッバースから18.5キロメートル南東の沖合に浮かぶ貝殻のような形をした島です。
 島の一番高いところは海抜186メートルで、島の周囲の長さは8キロメートルほど。火山の噴火による隆起と土砂の堆積によってできた島であるため、土に含まれる塩分が多く、真水が湧かない島で、農作ができませんし、人が住むのも大変な島です。

 ところがこんな厳しい条件の島にも人は住んでいます。
ホルモズ島で産出される赤土を採掘し、それによって生計を立てているのです。それと漁業。
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 ※赤土で染まった城塞。城塞の後ろにある屋根は、赤土採集場。

 昔は冬に降る雨水を溜め、それを使っていたそうですが、今はバンダル・アッバースから真水を引いています。
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 ※真水がもったいないので、こういう大量の洗い物は海岸で。この大量の鍋は、アーシュラーの宗教行事の炊き出しに使ったもの。

 核開発その他の問題から、アメリカがイランを攻撃するという話も出ているようですが、そういった場合、このホルモズ島を中心としたホルモズ海峡を封鎖するというのが戦略として大切になるそうです。
 これは古くから変わらず、例えば、西暦16世紀にイランに食指を伸ばしていたポルトガルは、この島を占領し、堅固な城塞を作り、当時イランを統治していたサファヴィー朝との戦闘を行いました。

 ペルシア湾岸各地には、この当時にポルトガル軍が建設した城塞がいくつも残っていて、列強がアジアへ進出してきた時代を偲ばせます。
 16世紀のポルトガル侵攻は、サファヴィー朝で最も有名な王、シャー・アッバース一世の時代に防がれましたが、シャー・アッバース一世の死後、サファヴィー朝は徐々に衰退に向かいました。

 イラン文化華やかなりし時代の象徴ともいえるシャー・アッバースの名を戴くバンダル・アッバースと(これについてはまた後日)、アジアへの野心を明らかにし、攻撃を仕掛けてきたヨーロッパの作った城塞と。
 この後、現代に至るまでイランが悩まされたヨーロッパとの戦いの始まりの一つがここだったのだと、しみじみとしてしまったのでした。

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 バンダル・アッバースからペルシア湾の島へと渡る女性たち。
 彼女たちが顔にかぶっているのは「ネガーブ」あるいは「ボルケ(ブルカ)」と呼ばれるもの。顔を男性に見せないという意味もあるのかもしれないが、どちらかというと、強烈な日射しをよけるためのものにも感じる。
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 こういう小さいボートで海を渡る。食料品などの物資もこうした船で運ばれる。
 人だけだと、10~13人乗りで約30分。料金は1万リヤール(約1ドルちょっと)ほど。海に出てみて重かったら、荷物ではなくて、人を下ろしてしまう。「ちょっと、あんた、次の船に乗って!どうせすぐに出るんだから!」
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 草がほとんど生えないホルモズ島で飼われてている山羊たちは、食べるものがないのだろうか?そんなものを食べたらお腹を壊すぞ。
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 ポルトガル城塞内部。その当時の大砲が並べられている。
 大きな雨水溜めや教会、牢獄までそなえられたかなり大きなもの。

 「ホルモズ」というのはイスラーム誕生以前にイランで信仰されていた宗教の一つ、ゾロアスター教の神、「アフラ・マズダ」が変化した形です。男性の名前でもあります。
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2006年 02月 17日 |
 ホルモズ島についてのあれこれはまた明日詳しくご報告。

 バンダル・アッバースの魚バーザールでマグロとエビを手に入れた我々は、島でバーベキューをすべく、塩と炭とマッチも購入。島へ渡りました。

 ポルトガル城塞の影で火をおこし、マグロを切り分け、刺身に。
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 醤油もバンダル・アッバースのバーザールで買ったもの。
 皿までは用意できなかったのでちょっと見かけが良くありませんが、十分にマグロの刺身は味わえました。
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 エビとマグロの残りは炭火の上へ。イランでは味わえない塩をふっただけのシンプルな味。

 イランで魚料理というと大抵は、衣をつけてフライにしたもの。
 油でぎとぎとなため、沢山は食べる気にはなかなかなれません。
 魚を沢山食べる湾岸地方でも、食堂ではフライのメニューばかりです。
 刺身とか焼き魚(キャバーブ)といったあっさりしたものがが食べたいなあと思ってしまいます。

 今回、バンダル・アッバースまで来て、自分たちで調理(と言えるものではないですが)をして、ようやく、念願の魚料理が食べられたのでした。

 ペルシア湾の島の海岸でバーベキュー。何とも贅沢な気分です。
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2006年 02月 16日 |
 ということで、お目当ての一つ、魚バーザールです。

 思わずうっとりとしてしまうくらい、新鮮な魚が並び、購買意欲をそそります。
 一緒にいた一人は「ここに住みたい!」と叫んだほど。

 ここで魚を少し買って、海を渡った島でバーベキューの予定なのですが、さて何を買いましょうか。

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 マグロ!
 型は小降りですけど、間違いなくマグロ。ペルシア湾でマグロを見るなんてと感動。
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 マグロを捌くおじさん。
 1キロ3.5万リヤール(約4ドル)とのこと。安い!
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 キス!天ぷらにしたい!
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 屋内バーザールの外には露店の魚市場も。
 この下の桶に入っているのはなんだろう?
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 カニ!青い足が何とも言えないけど、どうやって食べるのだろう?
 それに、カニって、ハラームじゃないの?
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 イカ。この表面の模様がちょっと…
 やっぱりイカは身が透き通るように薄い日本のいかが良いなあ…
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 これも色合いが南の海の魚という感じ。

 ということで、魚バーザールを堪能して、我々はペルシア湾に浮かぶ小島、ホルモズ島へ向かったのでした。

 そうそう、この時買ったのは、マグロのブロック一つと、エビでした。
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2006年 02月 15日 |
 目が覚めたのは、ちょうど朝日が昇る頃。
 列車はまだまだ荒野の中を走っています。

 寝台をしまい、朝食を食べようかという頃もまだまだ荒野の中。
 朝食を食べた8時過ぎくらいから、周囲の光景は山がちに。イラン高原からペルシア湾岸の海抜0メートル地帯を区切る山脈を通り抜けようという気配です。

 それにしても周囲には見事に何もありません。村さえ滅多に見えないのですから、イラン高原の人口密度がいかに低いか分かろうというものです。

 山を抜けようとする頃から周囲の雰囲気が変わります。
 空気が湿度を含みはじめ、緑に椰子の木が混じり、何となく南へ来たなあと感じさせる風景が広がります。(列車の窓がきれいでなかったため、車窓からの風景が載せられないのが残念!)

 列車がバンダル・アッバースに到着したのは、結局午後1時頃。20時間かかりますよ、と言われていたよりも一時間長くかかりましたが、無事に到着です。

 それにしてもまあ暑いこと。
 テヘランよりも日中の気温が10度は高い上、湿度が高いので、より一層暑さを感じます。

 更には日射しの強さもなかなかのもの。日中に外出していたら、日射病や熱射病にかかりそうです。
 そんなバンダルで流行中(?)なのがこれです。
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 バーザールの外側に広がる露店を冷やかして歩いていたら、頭に不思議なものを載せたおばさんが座っています。
 はじめは日傘でも差しているのかと思いましたがどうやら違います。
 よく見ると、頭に傘を取り付けているではないですか!(写真がないのが残念!)

 びっくりしながら歩いていると、また一人おじさんが同じ傘をかぶっています。
 これはもう聞いてみるしかないだろうと、おじさんに「それはどこで買ったの?」と尋ねたところ、ここ、と自分の露店を指します。
 中国製だとのことですが、頭のバンドの部分がちょっと痛そうなのを除けば便利かもしれません。ちなみにお値段は1万リヤール(約130円)とのこと。
 笠と違って使わない時にはたたんでしまっておけば邪魔になりませんし、直射日光を避けることもでき、なおかつ日傘と違って両手が使えるのですから。

 よく見れば、露店街のあちこちでこの傘をかぶった人が商売をしています。
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 ということで、今、バンダルで流行中の日傘のご報告でした。
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