イランという国で
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2006年 01月 30日 |
 イランのアゼルバイジャン地方は、キリスト教徒が比較的多く住んでいた地域の一つです。
 現在は様々な事情から、キリスト教徒の人口は減ってしまいましたが、今でもオルミーエやサルマースといった街にはキリスト教徒が多く住んでいますし、彼らがいなくなってしまった場所にも、教会が残っていて、キリスト教徒とムスリムが混在していたということを実感させてくれます。

 ホイの街とその周辺には、今は使われなくなってしまった教会がいくつか残っています。

 その一つがこれ。
 とご紹介しようと思ったら、外観の全景写真が見あたりません。どこへ行ってしまったのでしょう。
 ともかく、こちらはホイ市内にある教会の一つなのですが、外観は四角い石造りの建物で、壁面のレリーフがなければ教会だとは外観からはちょっと分かりません。
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 この教会は、西暦4世紀に造られ、その後10世紀に改築されたものだとか。
 内部は現在、イランの文化財保護庁により修復中。
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 ホイの街から北へ10キロくらいのところにあるマフラザーンという村にある教会がこれ。
 13世紀から17世紀にかけての建築だそうです。
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 今回の旅行で私がとても見たかった教会がこれでした。
 どうしてかというと、素朴な雰囲気の建物であることと、文化財保護庁が出版している文化財案内の中にあったこの写真に、妙に心惹かれてしまったからでした。
 ドームの上にコウノトリの巣が乗っているのです!
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 今回は行きませんでしたが、同じ西アゼルバイジャン州にある別の教会の上にもコウノトリの巣が乗っている写真があって、これにも心惹かれてしまいました。
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 残念ながら、コウノトリの巣は取り除かれてしまっていましたが、これは、コウノトリが巣を放棄したから取り除いたのか、コウノトリを追い出して取り除いたのか、ちょっと気になるところです。

おまけのはなし
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2006年 01月 27日 |
 昨日のエントリーに関連して。

 誹謗中傷をするならすればいい。それを気にして右往左往するよりも、自分が自分の信じる道を行くことが大切。
 人間が誰でも迎えなければならない最後の日に後悔することがないように。たとえそれが明日であっても。
 人は誰しも完全ではなく、足りないものを得るために努力をしなければならない。もちろん、正しい方法によって。どんな宗教でも社会でもそのために教えていることは一つ。人を傷つけないこと。

 人が常に努力をすることの大切さを教える物語を一つ。


 神の赦しが、罪によって道をはずした人に、導きの灯火をその行く手に灯した。その灯火故にその罪人は真理を求める人々の輪に加わった。ダルヴィーシュ(托鉢僧)たちの歩みのめでたさと、彼らの呼吸の誠実さにより、彼の行いの非難されるべきところは称賛すべきものに変わった。彼は欲望から手を引いたが、誹謗者たちは、彼が以前と変わることなく、彼の敬虔さと善は信じられぬと言った。

     懺悔と改悛により神の罰からは解放されることができようが
     人々の舌から解き放たれることはできぬであろう

 彼はそうした言葉の暴虐に堪えられず、タリーカ(※1)のピール(※2)の許へと不満を訴えた。シャイフ(※3)は涙を流し、言った。
「お前はこの恩恵への感謝をどのようにして行っているのだ?お前は人々がお前について考えているよりも優れているというのに。

     汝はいつまで言うのか。『悪意と妬みの持ち主が
     無力なる私の欠点をあげつらっている
     時に彼らは我が血を流そうと立ち上がり
     時に私に悪意を抱いて座っている』などと
     汝は善であれ。人々が汝について悪く言おうとも
     汝が悪であるのに汝を良きものであると見られるよりも良い

 しかし、私については人々は善く考えており、完全であると言っているが、実は私は欠点の中にある。私はこれを心配し、悲しんでも許されるであろう。

     もし私が語っていたことを私が行っていたならば
     私は善き行いの敬虔なるものであっただろう

     私は我が隣人たちの目からは隠れているが
     神は私が隠していようが明らかにしていようが知っている

     人々から隠れようと自らの前で扉を閉ざし
     人々が我が欠点を広めぬようにしたところで
     閉ざした扉に何の益があろうか
     神は隠れたものも明らかなものも知っておられるのだ」
                    サアディー著『ゴレスターン(薔薇園)』第二章より


※1 「道」の意味。そこから転じて、神秘主義の道を目指す人々のグループを指す。
※2 「老人」の意味。そこから転じて、タリーカで指導的な役割を果たす人を指す。
※3 ピールと同じ意味。
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by sarasayajp | 2006-01-27 16:57 | いろいろ |
2006年 01月 26日 |
 本当ならホイ旅行の続きについて、と思っていたのですが、どうにもすっきりしない気分で、筆が進みません。正確にはキーボードを叩く指が進みませんですね。

 原因はいくつかあるのですが、最新・最大のそれがどうにもひっかかるところで、この数日もやもやとしています。

 ある人が、様々な人に向かって私のことを誹謗中傷しているのだそうです。
 私がいかに二面性を持つ悪の権化であるかと語るその内容は、聞いた私が思わず「はあ?」と怒る前に呆れてしまったような荒唐無稽さなのですが、何度も繰り返されるうち、「そういうこともあるかも」と思ってしまうとか。事実無根とはいえ、思わず信用してしまうような「証拠」まで示されたら、おかしいな?と思っても信じてしまうでしょう。こうした狡猾さにだまされ、私を非難する人を責めることはできません。最終的に、分かる人には分かるだろうし、分からない人には分からないだろうと思うしかありません。

 私の知らないところでそういった誹謗中傷のメールがやりとりされているのはおもしろくありませんが、まあ勝手にやっていてくれと思わないでもありません。しかしやりきれないのは、その誹謗中傷が、私ではなく、ある人を傷つけるために行われていたというところです。最終的にはその人を通して私をも傷つけ、ブログを閉鎖させようとしていたのであろうと想像されることもです。
 中傷によって人を傷つけ、その傷を利用して自分の望む結果を得ようというのは許されることではありません。

 あるきっかけでそのことを知るまで、私とこのブログの存在が、存在するというだけで人を傷つける材料にされることがあるなどと思いもよりませんでした。あるいは嫉妬や憎しみの対象になるということも。

 でも、今にして思えば、ある時期から、このブログにコメントをするとうるさいことを言われることがあるからと、鍵コメでしかコメントを下さらない方がいらしたり、コメント自体を残さなくなった方もいらっしゃいました。
 もともと、イランやイスラームが色々と言われる対象だったりするので、そういうこともあるかなとか、人の入れ替わりというのはあるよね、などとのんびり考えていたのですが、実はもっと深刻な話だったのだと知り、愕然としているところです。

 こうした事態を知っても、私には何もできることがありません。そこが何よりも辛いところです。

 私にできることは一つだけです。こう呼びかけること。

 人を意図的に傷つける行為は、最終的に自分に返ってきます。
 嫉妬や憎しみというマイナスの関係ではなく、友情や信頼というプラスの人間関係を築くことができるようにすることが、人として幸福に生きる大切な事柄なのではないかな、と思います。
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by sarasayajp | 2006-01-26 04:57 | いろいろ |
2006年 01月 25日 |
 今回のホイ旅行の目玉の一つが、ホイからトルコ国境へとしばらく走ったところにある「カラ・ケリーサー(黒い教会の意)」でした。

 現在のイラン領内にある教会でも最も古いものの一つで、今は日常的には使われなくなってしまいましたが、現在でも夏になると、イラン全土からアルメニア教徒がこの教会に集まってきて儀式を行うそうです。イラン全土のアルメニア教徒にとっての精神的な中心がこの教会なのです。

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 この教会の歴史をひもといてみると、西暦66年まで遡るそうです。

 西暦43年、ターターウースとバルテミスという二人の人物が、キリスト教を広めるため、ゾロアスター教徒のアルメニア人の王が支配するこの地方へやって来ました。
 二人の宣教活動により、王の娘を含む3500人ほどがキリスト教に改宗をしました。これをよしとしなかった王は命令を出し、キリスト教徒~王の娘をも含む~を殺してしまいました。
 この時殺された人々を葬った場所が、現在のカラ・ケリーサー(本当の名前はターターウース教会)のある場所だそうです。

 後にこの時人々と一緒に殺されたターターウースの墓の上に小さな庵が建てられました。これが、カラ・ケリーサーの始まりです。

 この時の古い建物は、西暦1319年に地震によって崩壊し、西暦1329年に再建されました。その後、西暦1691年に黒い石を使って改修が行われ、西暦1810年にも今度は白い石を使って改修が行われました。

 現在残る建築は、大きく分けて、黒い石が使われている部分が古い部分、白い石の部分が新しい部分です。そして、この黒い石を使った建築が他には見られないことから、「カラ・ケリーサー=黒い教会」として有名になったのです。

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 我々がカラ・ケリーサーへ向かった日は、雪がちらつく寒い日でした。
 ホイからマークー(トルコとの国境の町)へと通じる街道は除雪されていましたが、街道からカラ・ケリーサーへ入る道路は雪が積もったまま。それも、さらさらのパウダースノーですから、タクシーがスリップをするのでは、タイヤをとられて動けなくなってしまうのではと冷や冷やしながらの移動になってしまいました。

 壁に彫られたレリーフの他に装飾のない簡素な教会は、その分、堂々とした迫力に満ち、モスクとは違う美しさを示しているように思います。

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 それにしても、ホイへ戻ってから、ちょっとした間違いからフィルムを巻き戻す前にカメラの裏ぶたを開けてしまい、ここで撮った写真の一部を駄目にしてしまったことだけが残念です。痛恨のミス。
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2006年 01月 24日 |
 なぜだかよく分からないけど気になる地名というのは誰にでもあるのではないかと思います。
 私の場合、そうした地名の一つが「ホイ」でした。
 イランの北西部、西アゼルバイジャン州にある町の一つです。

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 ここがホイ。

 大学が試験期間に入って授業がなくなり、そこに連休があることに気付いた時、これはもうどこかへ出かけるしかないだろうとひらめきました。
 どこへ行こうかと考えて浮上してきたのがホイでした。

 早速列車の切符を確保して、ホイについて予習することに。ホイを気にしながら、実はどんな見所があるのかよく知らなかったのです。

 まずは『地球の歩き方』を開いてみましたが、アゼルバイジャンの地方都市になどほとんど触れていません。
 それではということで、今度は『Lonely Planet』を調べてみることに。

 少し古い版を開いてみると、何とも失礼な書き方がされています。
 要約をするとこんな感じです。

「この町にはあなたの心を引きつけるものは何もない。町へ入ったところにあるロータリーにある、フラミンゴの巨大な像くらいしか見物はない。この像はシャム双生児のように建っている」

 これ以外に何の記述もありません。何とも酷い話です。筆者はきっと、ホイで何か酷い目に遭ったために真面目に記述をする気が起きなかったに違いありません。

 気を取り直してもう少し新しい版を調べると、古いバーザールや教会などいくつも見所があることが分かりました。
 西アゼルバイジャンは、アルメニア教徒やアッシリア教徒が今でも多いところです。彼らの建てた教会を見に出かけることにしたのです。


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 これが「巨大なシャム双生児なフラミンゴの像」。
 「鶴」じゃないのかなあ?そうじゃなければ「コウノトリ」。
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2006年 01月 23日 |
 先日、寒さの厳しいアゼルバイジャン地方を旅行してきたばかりだというのに、また、イラン人曰く、「マルキャゼ・サルマー(寒さの中心の意味)」コルデスターン州の州都、サナンダッジへと行ってきました。

 テヘランから長距離バスに乗って西へと約8時間。
 夜明け前のサナンダッジに到着して、あまりの寒さに凍り付くかと思ってしまいました。

 前日の気象情報によると、サナンダッジの北にある同じコルデスターン州の町、サッケズでは零下20度を記録していたというのですから、寒くて当たり前なのですが、それでも地元の人によるとそれほど寒くないよ、とのこと。さすが、頑強で知られたクルド人は違うと、がたがたとふるえながら感心してしまったのでした。

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 夕方、サナンダッジの町を見下ろす丘の上から。
 雪は少ないが、寒さは厳しい。写真からはあの寒さが伝わらないのが何とも残念。
 この丘まで来るのに乗ったタクシーの運転手は、なんと長袖のシャツ一枚で、見ている方が寒いくらいだった。
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2006年 01月 17日 |
 電話回線が復旧しました。

 何度電話をしてもなかなか来ようとしない修理人に業を煮やした大家さんが、自らペンチとビニールテープを持って中庭へ。
 隣のアパートとの境界になっている塀の上を通っている電話線を念入りにチェック。

 線が切れているところを発見。それをつないで、ビニールテープでしっかり巻いて修理完了。

 あっさり電話は繋がりました。

 この二日間はいったい何だったのでしょうか。脱力です。

 イランの人たちのこういうたくましさには常々感心させられています。
 修理を依頼しても約束を守らなかったり、技術を持たない「自称技術者」だったりということも多いため、イランのお父さんはちょっとした修理くらいなら、配線から自動車まで何でもこなしてしまいます。

 配線が切れた理由はどうやら、塀の上を行き来する猫たちが、上の階へ飛び上がるための足場にしていたらしいからだそうです。
 どうしてそんなところに電話線を剥き出しで這わせておくのかなあと、これまた脱力してしまったのでした。

 我が家の周囲は野良猫天国で、何匹もの猫たちが塀の上を行き来しています。塀の上でのんびりしてくれるのは全然構わないのですけど、電話線に触るのはやめてね、と、早速塀の上を歩いていた猫にお願いしてしまったのでした。

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 我が家のあたりを縄張りにしている猫。写真を撮ろうとしたら睨まれた。
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by sarasayajp | 2006-01-17 22:23 | いろいろ |
2006年 01月 16日 |
 旅行から帰って来るなり、留守中にテヘランに降っていた雨雪のため、電話回線がやられてしまいました。

 これは現在、アパートで唯一繋がっている、下の階の回線を使わせてもらってのお知らせです。

 回線がいつ繋がるのか、今のところ全く見通しが立っていません。
 電話局は回線に問題はないと言い、しかしながらアパートの電話回線4回線のうち3回線が通じなくなっているのは事実であり、どうでもいいけど、早く何とかして~~~というところです。
 ADSLが私の住んでいる地区まで早くやってきて、なおかつ値段も安くなってくれないかなあと、昨日から今日にかけて、本当に、心の底から願ってしまいました。

 ということで、旅行のご報告は、回線が回復してからになると思います。
 一日も早い復旧を祈っています。

 それでは。
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by sarasayajp | 2006-01-16 22:06 | いろいろ |
2006年 01月 14日 |
 今朝、タブリーズからテヘランに戻ってきました。

 朝7時にテヘランの鉄道駅に到着し、そのまま大学へ直行、試験監督をするというハードなスケジュールになってしまいました。

 旅行中は、全くネットが使えない情況でしたので、家へ戻ってすぐにメールのチェックをし、さて、ブログの方も更新を…と思ったら、たった今まで半日近く、全然ログインもできない情況でした。

 イラン北西部にあるアゼルバイジャン地方は、寒波がやってきていたこともあってとても寒く、「凍りそう~~」と悲鳴を上げながらの旅行になってしまいました。もちろん楽しかったのですが。

 詳しくはまた明日からご報告致しますが、無事戻ってきましたというご報告まで。

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 写真は今は使われていないアルメニア正教の教会。
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by sarasayajp | 2006-01-14 23:57 | いろいろ |
2006年 01月 10日 |
 テヘラン大学の日本語学科の学生有志による、イランの新聞の記事紹介ブログを始めました。

 まだ人数が多くないのと、試験直前でみんなそれどころじゃないのとでご紹介できる記事は少ないのですが、彼ら自身がおもしろいな、紹介してみたいな、と思った小さな記事を日本語に翻訳、ご紹介してみようという企画です。

 私を含む先生方は、日本語のチェックのみ。時々、注釈のために私が顔を出すことがありますが、基本的に学生による運営です。

 よかったらご覧になってみて下さい。
 こちらです。
 
「イランのニュースから」

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by sarasayajp | 2006-01-10 20:00 | いろいろ |
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