イランという国で
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2005年 11月 30日 |
 今日はゲシュム島で起こった地震について書こうと思っていたのですが、朝起きて、メールのチェックをした後にブログを開いてみたら、スパムTBがどっさりと入っていました。色々な方から聞いた対抗策をとっても、三日もするとそれをかいくぐってスパムの嵐です。
 この手のスパムTBから実際にそこを訪れる人というのはいるのでしょうか?私のような、地味で、それほどアクセス数が見込めないところから導かれる人などほとんどゼロではないかと思うのですが。

 まあ、そんなこんなで、スパムの削除だけでとんでもなく手間がかかってしまい、新しいエントリーを書く気力が萎えてしまいました。今日数えてみたら、400件弱です。いい加減にして欲しいものです。

 ということで、これからしばらく、エキサイトが抜本的な対策を取ってくれるまで、TBは基本的に禁止にしました。いつ解除できるかは、エキサイトさん次第だと思います。

 スパムが少ないところへの引っ越しも考えた方がいいのかなあなどと、ただいま思案中です。
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by sarasayajp | 2005-11-30 18:42 | いろいろ |
2005年 11月 29日 |
 イラン暦アーザル月7日、イスラーム・ヒジュラ暦シャッワール月25日、西暦11月28日

 この日はイマーム・ジャアファル・サーデクの殉教日です。

 詳しくはこちらをご参照下さい。

 今日のカレンダーは、特にイマームの殉教日関連だと書くことがあまりないので、手抜きになってしまいます。

 それと、イマーム・ジャアファルに罪はないのですが、今日が休日だったことから面倒なことになってしまったために、なおのことこの休日に言及する意欲が削がれてしまったのです。
 諸般の事情からヴィザの手続きに問題が起こり、この休日があったがため、最低一日、不法滞在をすることが確定してしまったのです。それも、以前は不法滞在の罰金が何日であろうと1万リヤールだったのが、今は一日あたり15万リヤールととんでもなく値上げされているため、手続きのことやら罰金のことやら、考えただけで憂鬱です。


 イランでのヴィザの手続きは色々と面倒です。恐らく日本に滞在している外国人も同じように感じているとは思いますが。
 イランの面倒なところは、書類上の困難だけではなく、ヴィザオフィスそのものが機能的でないために面倒が多いというところです。

 それほど広くないオフィスに、アフガン人労働者や旅行者、駐在員のヴィザ手続きの代行するイラン人がひしめき合い、阿鼻叫喚の世界が繰り広げられています。
 これを、アフガン人労働者、旅行者、駐在員と学生と、三つのフロアに分けてくれたら随分とすっきりとするだろうにといつも思うのですが、なかなかそうもいかないようです。

 それから、列の順番を守らない人が多いので、気が弱い人だとなかなか窓口にたどり着けません。それから、ここに来るのはなぜか圧倒的に男性が多いのでこれも私にとってはちょっと嫌な点です。
 割り込んだり、割り込みをさせまいと前の人にぴったりくっついたり、前の人がまだ窓口でやりとりをしているのに強引に窓口に申請書を突っ込んだりと、ぎゅうぎゅうに押しくらまんじゅう状態になることもしばしばで、こんな中に入り込むのは女性にとって苦行以外の何ものでもありません。

 私がイランに来たばかりのオフィスに比べるとずっと良くなっているのですが、番号札を配るとか、申請と受け取りの窓口を分けてくれるとか、もう少し工夫をしてくれるともっと良くなるのになあと、ちょっとため息が出てしまうのです。
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2005年 11月 28日 |
 ペルシア湾に浮かぶゲシュム島(日本のニュースでは何故か「ケシム」と)で地震が起こり、いくつかの村が被害を受けているとのことです。
 ニュースを見ていても、まだあまり詳しい情報が入ってきていないのですが、被害ができるだけ少なく済んでいることを祈っています。

 
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 ペルシア湾に浮かぶ赤く示した島がゲシュム。

 開発の手があまり入っていなくて、マングローブの林があったり、伝統的な衣装の女性たちが歩いていたりと、まったり、のんびりとした雰囲気で、私はイランの人が大好きな珊瑚礁のキーシュ島よりもゲシュムの方が好きです。

 
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 ゲシュム島のマングローブの林。
 林の中をボートで散策できる。


 イラン南部は最近、地下の動きが活発になっているのだと地質学者が話していましたが、この数年、本当に地震が多くて不安です。
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by sarasayajp | 2005-11-28 06:18 | いろいろ |
2005年 11月 27日 |
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 「最近姿を見ないから」

 と、このところ、人に会うために外に出てばかりであまり家にいない私を心配して、大家さんが自分の持っているバーグ(果樹園)で取れたものという柿を二つ持って様子を見に来てくれました。

 「貧乏暇なし」とはよく言ったもので、大学以外に特に仕事をしているわけでもないのに、ばたばたとあちこち走り回り、部屋にあまりいないので、いったい何をしているのやらと大家さんが心配するのも何となく分かります。

 大家さんが持ってきてくれた柿は、日本だったら食べ頃とされそうな堅さだったのですが、大家さんによれば「もう何日かおくと柔らかくなるから」とのこと。
 イランの人は、スプーンですくって食べるくらいのとろとろに柔らかい柿が好きなようです。

 柿はペルシア語ではホルマールー(khoruma-lu)。
 ぱっとこの単語だけを見ると、何となく不思議な感じがする言葉です。ホルマーはナツメヤシのことで、ルーというのは「~の沢山ある場所」という意味の接尾辞を連想させるので、「ナツメヤシが沢山あるところ?」と、その意味を深読みしたくなってしまいます。
 ちょっと気になったのでペルシア語大辞典で調べてみましたが、「果物の名前。イラン北部(カスピ海岸のこと)に多く見られ、その実はホルマーの色をして小さい。日本のものは赤くて種のない大きな実を持つ」となっています。要するに、「ホルマーに似ている」ということなのかな、という感じです。

 私はそれほど食べ物の好き嫌いはないのですが、柿はちょっとしぶしぶしたところがあまり好きではなく、さて、どうやって食べようかと思案中です。
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2005年 11月 25日 |
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 こちらは小学生の下校風景。
 白いマグナエと、学年毎に色が違う制服がなんともかわいらしくて、本当なら正面から写真を撮りたかったのですが、お母さんたちの視線が怖くて後ろ姿のみ。

 このところ、子どもたち~特に女の子~の間で流行り始めているのが、この子たちも引っ張っているキャリーケース型のカバン。

 私の周囲でもお母さんにねだっている子が何人かいましたが、「まだ使えるでしょ」の一言で却下され、「でも○○ちゃんも持っているし、○○ちゃんもこの前買ってもらったよ」と一生懸命訴えるのは、イランでも日本でも同じだなあと、思わず笑ってしまったのでした。
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2005年 11月 24日 |
 私が初めてアルゲ・バムへ行ったのは1996年の末でした。
 その頃はまだそれほど注目されている遺跡ではなく、入り口に入場料を徴収するための窓口があったくらいで、ほとんど人もおらず、日本から遊びに来た友人と二人で、一日中、心ゆくまでのんびりと遺跡の中を歩き回っていたことを覚えています。

 それから何度かここを訪れる機会がありましたが、そのたびに姿を変えていくアルグの様子に、何となく違和感を感じているうちに、地震が起こりました。

 地震後初めてここを訪れた時、地震によって破壊され、かえって以前の様子に近づいたアルグに、何とも形容しがたい複雑な気持ちを抱いたのでした。

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 1996年の写真。
 保管が良くなかったので退色が進んでいるが、ほとんど修復の手が入っていない遺跡の様子はよく分かる。

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 1997年の写真。
 これは退色ではなく白黒写真。

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 1999年の写真。
 正面入り口からバーザールを通って、アルグを臨むあたり。
 このあたりは大分修復が進んでいるのが分かる。

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 2001年の写真。
 町の中心部。修復の手が大夫入っている。あまりにきれいで、とても違和感を感じたのだが、私の後ろにいたイラン人のカップルは、「なんて素敵なのかしら!」と喜んでいた。

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 同じく2001年。
 城塞から見下ろしたアルグの様子。
 非常にきれいに整備されていて、「本当にこんな形だったの?」と疑問に思うくらいきれいに建物が造られていた。

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 2001年。
 修復に使うための日干し煉瓦を作っていたおじいさん。
 木の枠にそこらの土に水を混ぜて練っただけの泥を詰めて、枠をはずすと煉瓦のできあがり。後は天日で干すだけ。
 いつ行っても、このおじいさんしか仕事をしておらず、こんなのんびりしたペースだと、いつ修復が終わるんだろう、などと思ったものだった。

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 地震の後の城塞。
 物見塔がすっかり崩れ落ちているのが分かる。

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 一面のがれき。

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 バーザール付近。
 以前はおみやげ物などを売る店があったのだが、すっかりがれきの山と化してしまった。
 それでもここを訪れる人たちのため、写真左隅に見えるような木橋が渡されて遺跡の一部を歩くことができる。
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2005年 11月 24日 |
 このところまた、海外からのスパムTBが殺到しています。

 そこで、エキサイトのユーザー以外の皆様にお願いです。
 今、外部からのコメントとTBをかなり制限している状態です。そのため、コメントをされる時に、URLを記入しないでコメントをしてくださるようお願い致します。

 こんな制限をしないでも済むようにしたいのですが、残念です。

 でも、実際、スパムの消去のために時間を取られてしまうのは、イランのナローバンド環境ではちょっと大変なのです。ご理解下さい。
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by sarasayajp | 2005-11-24 06:57 | いろいろ |
2005年 11月 23日 |
 先日、パキスタンで起こった地震では、7万人を超える死者が出ているそうですが、厳しい冬を迎えた今、現地がどうなっているのか、情報が少なくなっているためなかなか様子が伝わってきません。それでもイランは隣国でもあるため、時折、被災地の様子がテレビや新聞などで見られ、バムの時よりもずっと厳しそうな様子に心が痛みます。バムよりも被害が広範囲に広がり、テントや仮設住宅もまだまだ足りず、援助物資もなかなか届かない地域があるとのこと。
 私にできることは、わずかではありますが募金をすることしかありません。

 そんな中、ある人から、「震災孤児を日本へ招く計画があるそうですがどう思いますか?」という質問を受けました。
 以前、バムの地震の震災孤児を日本へ招くことに対する違和感について書いたことがあるのを覚えていらした方だったのでしょう。
 答えはやはり「違和感を感じますね」です。

 以前にも書いた通り、震災孤児を日本に招いて励まそうという気持ち自体を否定するつもりは全くありません。しかし、何かが違っているのではないかという違和感がぬぐえないのです。あくまでこれは個人的な感想でしかありませんが。

 厳しい寒さを迎えている現地の様子を見ると、震災孤児を何人か日本へ招くよりもまずやるべきことがあるように思うのです。


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 バムの地震による死者だけが葬られている墓地。
 一瞬でこれだけの人が亡くなったのかと呆然とするくらいの数の墓が延々と続いている。
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by sarasayajp | 2005-11-23 14:45 | いろいろ |
2005年 11月 22日 |
 未完成の校舎に学生の不満が爆発し、一週間の休講となっていた大学ですが、さすがはイランと言うべきか、一週間で何とか必要最低限の工事を終わらせて、無事に今週は授業再開です。やればできるのに、追いつめられないとやらないところがイランらしいところです。

 とりあえず窓を塞ぎ、吹き抜けの屋根をつけ、現在使用している教室にだけ暖房を入れることに成功したようです。ただし、教室以外の部屋にはまだ暖房が入っていないため、事務棟や先生方の研究室はまだ寒いままです。それでも、風邪をひく心配がなく授業ができるようになったのは助かります。

 学生の話によると、夏休み一杯で工事が終わらなかったということは請負業者による契約違反なのだそうですが、違約金を払ったりする必要がなく、逆に、工賃をそれだけ長くもらえるから終わらないというか終わらせないのだというのですがどうなのでしょうか。本当だとしたら嫌な話です。


 話は全く変わりますが、外国語学部の教室は全てホワイトボードです。
 実は私はこれが非常に苦手なのです。
 マジックの太さとも関係があるのですが、まず、大きな字が書きにくいということが一つ。それから、すらすら~っと書けてしまうために、ついつい字を崩してしまって、日本語に慣れていない学生にとって読みにくい字になってしまうということが一つ。
 もともとそんなに字が上手くないので、学生には申し訳ないなあと思いながら板書をする羽目に陥っています。授業の内容で冷や汗をかき、字を書きながらどきどきし、と、先生って大変なんだなあと、しみじみする毎日です。


 ところで、文学部の校舎はほとんどが黒板にチョークでした。
 これだと太い線で文字を書けるため、ペルシア語だけでなく、日本語を書く時にも非常に書きやすかったのです。
 そういえば、日本では丸いチョークが普通ですが、こちらではペルシア語の文字が書きやすいように、四角いチョークが普通です。

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 こちらは文学部校舎の廊下の片隅に置いてあるチョーク。
 授業前に先生が、何本か取って教室へ。
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2005年 11月 20日 |
 イラクでは、シーア派とスンニー派がそれぞれを狙ったテロ攻撃を激化させているようで、毎日のようにテロのニュースが聞かれます。
 被害に遭っているのはごく普通の市民です。この情況はどう考えてもおかしいとしか言いようがないように思います。

 ヨルダンのホテルのテロでは、テロ首謀者たちが、「我々はムスリムを狙ってはいなかった」などと言っているようですが、結果的にムスリムの死傷者が多数出ています。それも、結婚式会場に集まっていただけの、政治とは全く関係のない人たちです。ホテルの爆破を行えば、巻き添えを食う人が出ることなど容易に想像できるはずです。

 彼らはイスラームの教えを名目にテロを行っているわけですが、どう考えても納得がいきません。一応、イスラーム倫理学をテーマに研究を行っている身としては、腹立たしくさえ感じています。

 まず、非ムスリム世界を相手にするテロリストたちが必ず引用するコーランの一節、「騒擾がすっかりなくなる時まで、宗教が全くアッラーの宗教ただ一筋になるまで、彼らを相手に戦い抜け」(コーラン牝牛章第193節)ですが、この節には続きがあり、彼らはそれを無視します。

「しかしもし向こうが止めたなら、汝らも害意を捨てねばならぬぞ。悪心抜き難き者どもだけは別として」


 オフィスビルで仕事をしていたり、地下鉄やバスに乗っている人たちのどこが「悪心抜き難き者ども」なのでしょうか?葬式や結婚式に集まっている人たちが「騒擾を起こす者ども」なのでしょうか?アッラーの言葉に従い、争いをやめ、協調路線をとろうとすることがどうして「悪」なのでしょうか?

 また、イスラームにおいてはムスリムは全て「兄弟」であり「同胞」であると位置づけられています。「兄弟」「同胞」を理由もなく殺すことは最大の悪であるはずです。

「信徒が信徒を殺すことは絶対に許されぬ、誤ってした場合は別として…」(コーラン女章第92節)
「だが信徒を故意に殺した者は、ジャハンナム(ゲヘナ=地獄)を罰として、そこに永久に住みつこうぞ。アッラーこれに怒り給い、これを呪い給い、恐ろしい罰をそなえ給う」(コーラン女章第93節)


 自爆テロの現場にいて亡くなった人たちは「誤ってした場合」にあたるのだ、という主張もあるようですが、これは間違いなく「故意に殺した」ことになるのではないでしょうか。

 イスラームの復讐法が強調されるあまり、イスラームとは怖い宗教だと思われることが多いですが、これは本来おかしいのです。相手が手を引いたらやめなさい、できるだけ寛容に相手を許しなさい、コーランには繰り返しこれが強調されています。

「すなわち、大きな罪は一つも犯さず、破廉恥を避け、かっと怒ってもよく赦してやる人々。主の呼びかけにこころよくお応え申し、礼拝の務めをよく果たし、どんなことも互いによく相談し合い、我ら(アッラーの一人称)の授けた日々の糧を惜しみなく施す人々。悪には同じような悪を持って報いるのが当然のこと。だが、こころよく相手を赦し、仲直りする方が良い。そうすればきっとアッラーがご褒美下さろう。アッラーは道に外れたことをする者が大嫌いでいらっしゃる。だが不当なことをされた者が報復したとて、それは何も非難されることではない。いけないのは、他人に不当なことをして、むやみやたら日常で横暴を働く者ども。こういう者どもは今にひどい天罰を蒙ろうぞ。だが本当は、害されてもじっと堪え、赦してやるのが誠の道というもの」(コーラン相談章第37-42節)

「こんな事情があったればこそ、我らはイスラエルの子らにたいして明文の法規を定め、人を殺したとか、あるいは地上で何か悪事をなしたとかいう理由もないのに他人を殺害する者は、全人類を一度に殺したのと同等に見なされ、反対に誰か他人の命を一つでも救った者はあたかも全人類を一度に救ったのと同等に見なされる、とした」(コーラン食卓章第32節)

「これ、汝ら、信徒の者、正々堂々とアッラーの前に立ち、正義の証人たれ。自分の敵とする人々を憎むあまり正義の道を踏み外してはならぬ。常に公正であれ。それこそ真の敬神に近い。アッラーを懼れまつれ。アッラーは汝らの所行一切に通暁し給う」(コーラン食卓章第8節)

 復讐はムスリムに保障された権利ですが、絶対に行使しなければならない義務であるなどとは言われていません。
 コーランの次にムスリムの行動規範となっているハディース(預言者の言行録)にはこう書かれています。

 神の使徒が「加害者であれ、被害者であれ、汝の兄弟を助けよ」と命じた時、或る男が「害を受けている人を私は助けますが、害を加える者をどうして助けることができるでしょうか」と言うと、彼は「害をさせないようにすること、それが助けることなのだ」と応えた。


 この預言者の言葉の意味を、全ての人が考えるべきではないかと思うのです。


 参考文献
 井筒俊彦訳「コーラン」全三巻、岩波文庫
 牧野信也訳「ハディース」全六巻、中公文庫
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