イランという国で
sarasaya.exblog.jp
  ブログトップ
<   2005年 08月 ( 13 )   > この月の画像一覧
|
|
2005年 08月 30日 |
 お休みはまだもう少し続きそうです。

b0006449_15121960.jpg


 お茶でもどうぞ。
[PR]
2005年 08月 28日 |
 ただいま、締め切りがいくつか重なってしまい、こちらの更新が滞っています。
 毎日チェックして下さっている皆様、申し訳ありません。
 9月に入ったら恐らく復帰できますので、それまでお待ち下さい。

b0006449_18142449.jpg


 ということで、食事でも取りながらお待ち下さい。

 イランの代表的家庭料理の一つ、ゲイメ・バーデンジャーン(口語ではバーデンジューン)。上に乗っているフライドポテトの方が目立っていますが、羊肉となすのトマト味シチューです。黄色いご飯はサフランライス。
[PR]
2005年 08月 24日 |
b0006449_1555685.jpg


 ということで、おいしいハルボゼを召し上がれ。
[PR]
2005年 08月 21日 |
 毎日暑い日が続いていますが、こういう日はよく冷えたみずみずしい果物が食べたくなります。今、無性に食べたいのが「ハルボゼ」です。
 イランの夏の果物ではこれが一番好きかもしれません。ただ、悲しいことに、日本では(恐らく)売られていません。

 ↓これです。実は一度落としてしまったので、ひびが入っているのが悲しいのですが。


b0006449_22155392.jpg


 ご覧になって分かる通り、瓜の一種です。
 ターレビーというカボチャのような形のメロンもありますが、ハルボゼの方が甘さが控えめなところが好きなのです。ただ、これが結構大きくて、日本のように二分の一、四分の一カットなどでは売っていませんから、一つ買ってしまうと、何日も食べ続けなくてはならなくなるのが難点で、一夏に何回も買うことはできません。もっとも、友人の家などに遊びに行くと、スイカかターレビーかこれを出してくれるので、そこで食べることができるのですけど。


b0006449_2314455.jpg

 ついでなので、ハルボゼの切り方の一つのご紹介を。

 ① ハルボゼを縦方向に四つに切る。

 ② 両側からナイフを入れて皮をはずす。

 ③ 端から食べやすい厚さに切る。

 この切り方を「ショトリー=らくだ型」と言うらしいです。

 ④のようにしてみると、確かに、駱駝の背のように見えます。
 これを「らくだ型」と言うところに、イランにいるらくだがひとこぶらくだなのだということがよく分かります。



 ハルボゼは、以前はエスファハーンの名産とされていましたが、今はマシュハド産が一番おいしいと言われ、どの果物屋に行っても、「うちのハルボゼはマシュハドのだよ」と言って売っています。本当にマシュハド産なのかどうかは保証の限りではありませんが、私が食べる分にはどこのでもおいしいので、あまり気にはしませんが。

 ということで、こちらがバーザールなどのハルボゼ売り。1キログラム120トマーンと出ていますが、この写真は3年前のものなので、今年はもう少し高いです。重さは一つ3~5キロくらい。

b0006449_2355639.jpg



 おまけ。テヘラン東北部の高原で見つけたらくだの子ども。背中はちゃんとらくだの形。

b0006449_239221.jpg

[PR]
2005年 08月 20日 |
 今年二度目の一時帰国。これほど間をおかずに一時帰国をするのは珍しいことです。

 よく「日本はどうですか?」と聞かれます。

 さて、どうなんでしょう。


「女の子たちがすごい格好をしているなあ〜」
 イランから来ると、女の子たちの露出の多さにくらくらしてしまいます。

「髪がふくらむなあ」
 割と髪の量が多いので、日本の湿気を吸った髪がふくらみ、まとまりが悪くなってしまいます。

「よく眠れてうれしい」
 高度の関係か、イランにいる時よりも寝付きが良く、眠りが深くなります。

「ネットの速度が速くてうれしい!」
 光回線の入ったマンションに住んでいるので、画像のたくさん入ったページでも楽に開けるのが感動です。

「外出しても視線を感じないですむのが気楽」
 日本人だからという理由で好奇の視線を向けられることがないのがとても気楽。ヘジャーブ(スカーフやコートなどイスラミックコードに従った服装)なしで済むのは楽でしょう?と言われますが、私はイランでのヘジャーブを着用しての外出は意外と平気なのです。

「日本語の本がたくさん読めてうれしい」
 活字中毒なので、これはもう当然ですね。早くペルシア語も日本語並みに読めるようになりたいのですが、まだまだ修行不足です。

「ご飯がおいしい!」
 実家から送ってもらう新潟の米と魚が最高!

「物価が高くて買い物をするのが怖い」
 イランと比べたらいけないのは分かっていますが、やっぱり物価が高い。特に果物は買えないです。高くって。品物は豊富なので物欲は増すのですが。

「役所や商店の開始時刻が遅い」
 陽ざしが強く、暑くなる前に仕事を済ませたいのに。

「歩く」
 イランなら乗り合いタクシーなどに乗ってしまう距離でも、そういう交通手段のない日本にいると歩くようになります。それが面倒でついつい外出がおっくうに。あ、自転車があればいいのか。

「傘を持つ習慣が必要」
 イランにいると、雨雪の時でも意外と傘を差さないし、雨期の一時期しか降らないので、傘を持つ習慣をなくしてしまいます。おかげで雨に降られてびしょぬれに。


 もっと色々あるような気もするのですけど、いざ書こうとすると案外思い浮かばないものですね。

 一つ大切なことを思い出しました。

「バスタブに浸かる幸せ」
 風呂に文庫を持ち込み、のんびり読みながら浸かるのが好きなのですが、イランではバスタブのあるアパートが少なくてできないのです。
 大家に交渉して、バスタブを入れてもらえないかどうか思案中です。
[PR]
by sarasayajp | 2005-08-20 12:26 | いろいろ |
2005年 08月 17日 |
 ワールドカップ最終予選で、日本がイランに勝ったそうですね。おめでとうございます。

 アリー・ダーイーは新婚太りをしていたという噂ですが、あのイランの食事を三食食べて、身体を動かしていなかったなら確かに太るだろうなあと思います。

 ところで、試合が終わってしまったので何となく間が抜けているのですが、イランからおみやげに持ってきたイランの代表チームのレプリカユニフォームが何枚か余ったので、ご希望の方がいらっしゃいましたらお譲りします。

 背番号が赤い、少し前のものですが、それでも良いという方は、左のリンクの欄からメールをお送り下さい。

 アリー・ダーイーが一枚
 マフダヴィーキヤーが二枚

 以上です。どちらが希望かもメールにお書き下さい。18日一杯受付致します。

 ということで、お知らせでした。
[PR]
by sarasayajp | 2005-08-17 22:48 | スポーツ |
2005年 08月 16日 |
 日本ではそろそろ夏休みを海外で過ごした人たちの帰国ラッシュが始まっているそうですね。

 私も休みは終わり、久々に、資料整理と原稿書きに追われています。
 それと同時に、友人、先生、仕事相手など、毎日のように人に会っています。こんなことも随分と久しぶりです。
 久しぶりといえば、秋から始まる仕事に備え、準備やビザの切り替えのために日本へ帰ってきました。春にも帰っていたのですけど、日本の夏は久しぶりです。


 日本へ一時帰国する前も後も、毎日のように人に会っているわけですが、色々と新しいことを教えてもらったり、別な角度からものを考えるきっかけを与えてもらったりしています。


 そうした話の中から気になったものを一つ二つあげてみたいと思います。


 一つめは、「建設的な議論をすること」「他人の意見を聞くこと」です。

 イラン人の先生と話していた時に、私の博士論文の口頭試問の時のことになりました。
論文の内容に関する質疑応答の後、指導教官による論文の講評があり、「最後に、外国人であるあなたに聞きたいことがあります」と、話し出しました。
 非ムスリムであり、外国人である私には冷静に判断できるだろうから、ぜひ聞きたいことがあるのだ、と前置きをして指導教官のS教授が私に問いかけたのは、イスラーム以前と以後のイランに思想の連続性が見られるかどうか、ということでした。
 非常に難しい問題であり、まだ明確な答えが見つけられていない状態であるため、そのように正直に答えたのですが、「イラン文学を研究しています」と言った時に、イラン人以外にイラン文学やイランの文化を理解できるわけがない、という態度を示されることもあるため、イランでもっとも高名な研究者の一人と言って良い先生が意見を求めてきたことにびっくりしました。
 「あのときは本当に驚いたんですよ」と言った私に、先生(指導教官とは別な先生)は、外にいる人の方が問題を冷静に分析することができることもあるのだから、S教授があなたに意見を求めたからといっても全然不思議ではないでしょう?その国の人でなければ問題を理解できないとか、意見を述べてはいけないというのは変な話だし、それでは健全な議論はできないのでは?ということを仰いました。
 確かにその通りです。
 外国人だから理解できる部分とできない部分があるのは当然です。だからといって外からの意見を最初から排除するのでは、可能性を捨てることにつながるでしょう。「外国人だから」という理由だけでその人の意見を排除するのではなく、その意見を聞き、取り入れるべきところを取り入れ、またもし間違えている部分があるのならそれを指摘し、正すことで議論が発展するのではないでしょうか。
 もちろんこれは外国人に限らず、自分とは別な意見と言い換えることもできます。ともかく、自分と違う立場、位置からの意見や視点というものも大切だということです。入手できる情報量の問題なのか、(そういうものがあるのなら)民族性なのか、自分を含め、イランでも日本でも、「もう少し人の話を聞こうよ」と感じることがあります。

 議論と言えば、日本へ戻ってからある雑誌の編集者と会った時にも、議論の大切さの話となりました。
 雑誌に投書をしてくる人の中には、人の言うことに全く耳を傾けず、自分の言いたいことだけを言い、感情的な言葉だけを投げつけてくる人がいて困ることがよくあるとのことでした。

 誰かの言葉が気に入らないと、相手の人格までをも傷つけるような言葉で攻撃してくる人がいます。もし、相手の言葉が間違えているというのなら、どこがどのように間違えているのか、それを読む人が納得できるような言葉で、そして冷静に自分の意見を主張するべきだと思うのに、「あなたは間違えている」「問題の本質を理解していない」「嘘を言うな」などといった言葉で相手を否定するのみで、どこに問題があるのかを示そうとしません。
 こうした人たちは、どうして自分の正しさを示すために言葉を使うことができないのでしょうか?もし自分の意見が絶対に正しいと自信を持っているのなら、それを言葉によって示すことができるのではないでしょうか?
 ところが彼らはそういうことをせず、根拠がどこにあるのか分からない攻撃を繰り返します。困ったことに、そうした行動はエスカレートすることもあります。「あなたにこの問題を語る資格はない」「分をわきまえろ」「身の程を知れ」等々。
 ある問題を語るために必要な資格とはどのようなものなのでしょうか?それを与えるのは誰なのでしょうか?

 上の編集者が言いました。
「子供がけんかをして最後に訳が分からなくなってきて、『おまえのかあちゃんでべそ』って言っているようなものですよねえ。それじゃあ話にならないんですよ」

 言葉を使えるから人間であり、それがまた大人の証なのだと思います。
 私自身、きちんと人の話を聞くことができていたかどうか、反省すると共に、これからも健全な議論ができるように気をつけなくてはと思ったのでした。
[PR]
by sarasayajp | 2005-08-16 21:16 | いろいろ |
2005年 08月 11日 |
 このところ体調不良などでぼ~~~っとしていることが多かったのですが、思い切り寝て過ごしたのが良かったのか、元気になりつつあります。
 皆様からは心配と励ましのコメントやメールを沢山いただきました。ご心配をおかけして済みませんでした。そして、本当にありがとうございました。

 そんな風にのんびりぼんやりと過ごしていたのですが、ここにきて、ほぼ本業(?)である調査報告書執筆や翻訳などの仕事が舞い込み、気分もしゃっきりしつつあります。忙しい方が元気という貧乏性なのかもしれません。

 と、締め切りがある生活が舞い戻り、カレンダーを眺めてはっと気付きました。
 私はこの二ヶ月ほど、「今日のカレンダー」を忘れていたのでした。

 まあ、これを忘れていたからといって誰も困らないのですけど、何となくすっきりしないので、UPし忘れていた分をまとめてご紹介します。


 イラン暦ティール月19日、イスラーム・ヒジュラ暦ジャマーディー・アル・サーニー月3日、西暦7月10日

 この日はイスラームの預言者ムハンマドの末娘であり、シーア派初代イマーム・アリーの妻であったファーティマ・ザフラーの亡くなった日です。

 以前にも(2月20日)彼女の命日について説明しましたが、公式にはこのジャマーディー・アル・サーニー月3日が彼女の命日であり、イランの公式な休日となっています。


 イラン暦モルダード月5日、イスラーム・ヒジュラ暦ジャマーディー・アル・サーニー月20日、西暦7月27日

 この日は、イスラームの預言者ムハンマドの末娘であり、シーア派初代イマーム・アリーの妻であったファーティマ・ザフラーの誕生日です。

 彼女については、以前の記事を参考にしてください。

 それから、この日(モルダード月5日)はイラン・イスラーム共和国建国の祖、エマーム・ホメイニー師の誕生日でもあります。

 ホメイニー師は1902年のこの日に、ホメインという小さな町で生まれました。
 以前お話しした通り、代々ウラマー(イスラーム法学者)の家系で、祖父の代にインドからホメインに移住しました。
 こうした家系では当たり前のことでしたが、彼は幼い頃から世俗の学校へ行くことなく、親元で、それから神学校でイスラーム神学を学び続けました。高度な学問を修めるため、シーア派の聖地であり、学問の中心都市であったナジャフへ赴きました。

 イラン国内の聖地の一つであるゴムは、ホメイニー師がナジャフにあった当時、荒廃していました。それを復興するため、ホメイニー師はゴムへ赴き、その地の神学校で教鞭を執り、イラン国内におけるイスラーム神学校の興隆のために努力をしました。
 ホメイニー師は、神学校で教鞭を執る傍らで、政治的にも活動を始め、当時のイランの支配者であったパフラヴィー朝の王、レザー・シャーと対立するようになりました。

 こうしてイランはイスラーム革命へと向かったのでした。これについては語るととても長くなるので、興味のある方は、革命とその後のイラン・イスラーム共和国について書かれた日本語の本をご参照下さい。
[PR]
2005年 08月 08日 |
 「こらぼ さらくだ」からのお知らせです。

 らくさんの「丹波さんは納得するのか、ユダヤの死後の世界」に関する質問と、イスラームの死の後、復活の日に関する考え方の補足「最後の日の復活はどのように行われるか?」をUPしました。

 ユダヤとイスラームの細かい話に突っ込みつつありますが、興味のある方はどうぞ!!
[PR]
by sarasayajp | 2005-08-08 21:18 | お知らせ |
2005年 08月 08日 |
 私には各国からの留学生の友人もいます。

 彼らはほとんどが、中国、中央アジア、シリア、ヨルダン、イエメン、アフリカ諸国出身のムスリム、あるいはイランで改宗してムスリムになった人がほとんどです。

 イランの国立大学は基本的に無料です。それは留学生に対しても適用されていて(最近制度が変わって、テヘラン大学などはかなり高額の学費が必要になったそうですが)、多くの留学生が集まる理由ともなっていました。

 「革命理念の輸出」が留学生の大量受け入れの裏側にあったそうですが、わずかではあっても奨学金をもらい、無料で大学教育を受けることができたというのは、多くの留学生にとっては役に立つ制度であったはずです。私自身、非常にこの制度には感謝しています。

 ところが、最近、何人かの留学生から、「困ったわ~~」とこぼされました。

 彼らの話によると、国へ帰っても、「英語やアラビア語ならともかく、ペルシア語ができてもねえ」と言われ、なかなか仕事を見つけることができないとのこと。これは確かに私にとっても人ごとではありません。
 それと、イランで取った学位を国へ持って帰っても、「イスラーム革命史」といった革命関連の単位を国で認めてくれない場合があるとのこと。それは確かに困った問題です。

 留学というのは色々と難しい問題が次から次へと起こるものなのだなあと、しみじみと感じてしまうのでした。
 
[PR]
ページトップ
XML | ATOM

個人情報保護
情報取得について
免責事項
Yuzuki Skin by Sun&Moon