イランという国で
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2005年 07月 29日 |
 日本に滞在していたイラン人の何割かが体験していることだそうです。

 スーパーへ買い物へ行き、ある食品を見て、イランの食卓に欠かせないある食品だと思いこんで購入。部屋へ戻って食べてびっくり。
「なにこれ!!!全然違う!!!まず~~~」

 彼らは「豆腐」をチーズと間違えるのだそうです。

「あれはびっくりしたよ」
 と、体験者の皆さんは口をそろえて仰います。

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 ということで、こちらが、イランのパニール(チーズ)の写真です。
 これは地方のバーザールで売られているその土地の(マハッリー)パニールですが、確かにこの質感は何となく豆腐に似ています。スーパーマーケットやミニスーパーなどで売られている市販品の中には、日本の豆腐のように立方体で水の中に浮いているものもあるため、ますます豆腐に似ています。

 イランのパニールは、牛、羊、山羊の乳から作られる、いわゆるフェタチーズが普通です。というか、それ以外のパニールを見たことがありません。
 ナンとパニール、キャレ(バター)、モラッバー(ジャム)、アサル(蜂蜜)というのがイランの一般的な朝食だと思います。昼食や夕食でも、ナンが食卓に乗るならパニールも添えられているはずです。
 お金がなくて食費を節約しなくてはと言う時に、日本では「ご飯に塩をかけて食べる」と言いますが、イランでは「ナンとキャレ、パニールで過ごす」と言うらしいです。

 イランの町や村を歩いていると、「ラバニヤート屋」が目につきます。ラバニヤートとは乳製品のこと。そこではシール(牛乳)、パニール、キャレ、ハーメ(生クリーム)、マースト(ヨーグルト)、ドゥーグ(ヨーグルト飲料)などの乳製品が売られています。
 こうした商店やスーパーなどで売られている製品は、牛乳から作られたものがほとんどです。これは、牛の乳は羊や山羊に比べてくせが少ないことと乳の量が多いことによります。
 ところが、山羊や羊の乳のくせが好き、という人もいますし、地方出身者などにとっては村で食べていた懐かしい味だったりするということで、町の商店でも時々、「羊の乳のマーストあります」とか「羊の乳のパニールあります」という看板を出している商店があります。私は、山羊乳パニールはわりと好きですが、キャレはかなりくせがあってちょっと苦手です。ある日本人研究者は「獣の味がする」と言っていましたが、まさにそんな感じです。

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 こちらはまた別な種類のパニール。上の写真で、後ろの赤い桶の中にあるぽろぽろしているものもパニール。
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2005年 07月 22日 |
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 サラーム!

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 おじょうちゃん、おなまえは?

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 わたしはこどもじゃないわよ!

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 あら、ごめんなさいね。ごきげんいかが?

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 りょこうはたのしいわね!

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 もうさよならなんて、さびしいなあ。

 ほんとうに。たのしかったね。
 でも、もうさよならしなくちゃね。

 じゃあ、みんな、なごりはつきないけど、ばいばい。
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by sarasayajp | 2005-07-22 22:37 | いろいろ |
2005年 07月 21日 |
 相も変わらず体調不良が続いています。
 今はあちこちのリンパ節とやらが腫れたりしてちょっと大変です。

 そんな風に体調が良くないところに、あるいは体調が良くないからそう感じるのか、気になる言葉がいくつかあります。

 博士号が無事に取得できましたと報告する私に対して、「旦那さんは偉いわねえ」とか「8年も我慢してくれたご主人に感謝しなきゃね」と言う人がいます。
 言われなくとも感謝しています。
 こう言われるたびに気になるのが、この人は奥さんを日本に置いて留学した人にも、「奥さんに感謝しなきゃね」と言うのだろうかということです。私が8年間イランで努力したことよりも、彼らにとっては夫が留学を寛大にも許可してくれたことの方が重要なのかな、と、何となく気になります。

 はっきり言えば、私と夫の間の問題は私と夫だけのものであって、他の人がどうこう言うものではないのではないかと思うのです。留学に関して、私たちの間でどういう話し合いがあって、どういう経緯で留学をすることになったのか何も知らない人が、どうして簡単に「感謝しなきゃね」などと言うのでしょうか。「ご主人孝行をしなきゃね」って何でしょうか?

 同じように腹立たしいのが、イラン人がよく言う、「あなたがいないなら、あなたの夫は間違いなく浮気をしているよ」「日本に帰ったら旦那さんには女がいるよ」です。
 はっきり言って余計なお世話です。
 これを言われるたび、「あなたは奥さんがいなければ(あるいは夫がいなければ)浮気をするんでしょうね」と心の中で言わずにいられません。イラン人というのは、男あるいは女なしでは一日でもいられないのだろうかと疑問に思わずにいられない台詞です。

 夫婦の間は夫婦の間のこと。よく知りもしない人に余計なことを言われたくないものです。
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by sarasayajp | 2005-07-21 22:50 | いろいろ |
2005年 07月 20日 |
 イランの町には「メイダーン(テヘラン方言の口語ではメイドゥーン)」と呼ばれる場所が多くあります。

 メイダーンとは古典的な用法では「戦場」「広々とした場所」で、そこから転じて「広場」という意味が出てきます。でも、町の中で使う場合、ロータリーのような形をした十字路を指す場合がほとんどです。これを「広場」と訳してしまうとちょっと意味と雰囲気が違ってしまいますので、私はメイダーンという言葉をそのまま使わせていただきます。

 このメイダーンですが、バーザール近くの古い地区には、以前にご紹介したエマーム・ホメイニー広場の他にも、古く、歴史的な建造物が残っているメイダーンも多くあります。
 その一つが、メイダーネ・エマーム・ホメイニーからエマーム・ホメイニー通りを西へ約600メートル、お隣の11区との境界になっているメイダーネ・ハサナーバードです。地図上の正式名称は、革命に関係する「シャフリーヴァル月31日メイダーン」ですが、誰もそんな名称では呼ばず、古くからの「ハサナーバード(Hasan-abad)」を使っています。

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 緑の文字の部分がハサナーバード(正確にはハサン・アーバードと呼ぶのでしょうが、普段、リエゾンしてこのような発音になって呼ばれている)。

 この場所がどうしてハサナーバードというかというと、ガージャール朝のナーセロッディーン・シャー時代(西暦19世紀)にこのメイダーンの建設をしたミールザー・ユーセフ・アーシュティヤーニーという大臣が、自分の息子であるミールザー・ハサンにちなんで命名を行ったからです。

 イラン暦の1302年から12年まで(西暦1923-33年くらい)の10年をかけて、メイダーンの四方にイタリアのルネッサンス様式を模した(と言われている)建物が建設されました。

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 これは1999年頃の写真。メイダーンの南東部。

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 こちらは2002年頃。メイダーンの北東部。

 その後、1345年(西暦1966年頃)にメイダーンの南東部の建物を取り壊し、メッリー銀行が建てられましたが、1379年(西暦1999-2000年)に文化財保護庁テヘラン支部の努力により、もう一度同じ形の建物に建て替えられました。

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 これが再建された南東部の写真。2005年撮影。

 現在、ハサナーバードには地下鉄の駅もあり、新しさと古さが見られる場所となっています。
 それから、このあたりは東西を走る通りには毛糸を売る商店や国旗などを売る店、それから道路工事関連の機材などを売る店が集まり、南北を走る通りには家具屋が集中しています。

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 これは地下鉄ハサナーバード駅。メイダーンの北西角。駅の向こうに見えているのが南東部。

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 これは南西部角。この建物に入っている商店はほとんどが毛糸屋。

参照
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2005年 07月 18日 |
 もしかしなくとも日本に住んでいる人なら知っているのかもしれませんが、友人からのメールがあまりにおかしかったので。

 大学時代からの友人の一人は島根県の出身です。
 彼女のその故郷の周辺の市町村が最近の流れに乗って合併、「雲南市」になったそうです。
 そして、その「雲南市」に住む人宛に手紙を出すと、何通かに一通の割合で「中国雲南省」へその手紙が旅をしてしまうとのこと。
 冗談かと思っていたのですが、彼女の家族によると、実際にそうやって一度雲南省へ行き、宛先不明で帰ってきた手紙が存在するとのこと。何ともおかしな話です。

 それで思い出したのですが、イランの郵便通信省は恐らく皆さんの想像以上に仕事をきちんとしています。
 例えば、日本へ出した手紙が転居先不明でイランに戻ってきた場合、さぼってそれを捨てたりしないでちゃんとこちらの手元まで戻してくれます。日本へ出す手紙や小包も紛失はまずありませんし、郵便に関してはかなり信用できる国であるということは嬉しいことです。
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by sarasayajp | 2005-07-18 19:16 | いろいろ |
2005年 07月 16日 |
 イランの次期大統領としてアフマディーネジャード氏が登場することになり、彼の支持基盤の一つである「バスィージ」という言葉が日本のマスコミに登場しているようです。そのためか、「バスィージ」って何ですか?という質問を受けるようになりました。これについて一言で説明するのが難しいので、こちらでお話ししてみたいと思います。私自身、まだ良く把握していない部分があるので、一部曖昧な説明になってしまう部分がありますことをお断りしておきます。


 バスィージとは、一言で言えば「民兵」です。
 普段は八百屋やパン屋で働いている人たちが、自分たちの国(町でも)に危難が迫った時に武器を持って立ち上がる。これがバスィージです。正規の軍隊ではない兵ということです。

 イスラーム革命後、イランは軍隊の再編を行う前にイラクによる攻撃を受け、また、アメリカをはじめとする国々からの経済制裁による兵器の不足により、大変な状態にありました。
 正規軍だけではとうてい戦線を維持できず、それまでイランの領土であった場所にまで攻め込まれ、占領されるようになりました。
 こうした情況の中、イランの若者(とは限りませんでしたが)が自分たちの国と革命を守るためにバスィージとして立ち上がり、バスィージ軍として戦場に赴くようになりました。イラン・イラク戦争の末期のイランは、こうしたバスィージを大量動員して戦線に送り込むことでようやく戦線を維持している状態でした。バスィージがいなかったら、イランはもっと早くに戦争に負けていたかもしれません。
 彼らは正規兵ではなかったため、戦士をしても家族に手当てなどほとんど出ませんし、それどころか、正規兵のようなネームプレートをつけていない人も多かったため遺体が家族の許に届かないということも多かったそうです。未だに「生死不明」の家族を待つ人は各地にいます。

 戦争中に多くの死者を出したバスィージたちは、戦争後、イラン国内で特殊な地位を持つようになりました。彼らは大学や官庁などの中でバスィージ組織を作り、あまつさえ、その中で事務室などを構え、新たな構成員を募り、訓練を行い、政治的な活動を行っています。
 官公庁の中での組織がどのような活動をしているのか、大学内の組織の構成や活動内容は、外国人であり女である私にはよく見えないのですが、彼らがそれなりの力を持っていることは確かです。
 彼らは本来軍隊や警察以外では許されないはずの武器を持ち、訓練を行い、繁華街の道路を封鎖して、「堕落した」男女を捕まえ、暴力をふるったりしています。軍でも警察でもない組織がそういったことをどうして行うことができるのか私には分かりませんし、納得のいく説明をしてくれた人もいませんでしたが、現実に彼らはそういった活動を行っています。
 また、大学内で、反政府的な発言をした(と彼らが考えた)教授を、大学に圧力をかけてクビにするということも行っています。こういった情況ですから、大学では「体制万歳」を叫ぶ教授以外は教鞭を執ることができません。
 大学内で納得ができないことの一つに、試験前になるとバスィージの事務室に試験の問題用紙が届くということがあります。それを目当てにバスィージに身を投ずる大学生もいるとかいないとか聞きます。

 これは未確認情報なのですが、バスィージになると現金やその他支給品がもらえるということです。そのため、地方の貧しい地域出身の若者がバスィージとなることが多いといいます。保守的な色の濃い地方都市や村の出身者にとって、バスィージ組織の中でイスラームや革命理念をたたき込まれることはあまり違和感のないことでしょうから、バスィージとなって手当を受け取ることができるのならバスィージになるという若者がいても不思議ではありません。
 こちらは嫌な方の動機ですが、やはり彼らが何をしても政府など権力によって黙認されるということも大きいように思います。彼らは、バスィージだというだけで威張り、気に入らない人をいじめることができるのですから、普段、権力や金持ちに叶わない人々がバスィージになってそういう人たちに仕返しを、という気分になるのも分からないではありません。実際に、そのためにバスィージになったと言っている人に会ったこともあります。

 イラン・イラク戦争時には彼らバスィージの存在が非常に大きなものでした。彼らがいなかったら、イランはもっと早くイラクに負けていたかもしれません。しかし、戦争が終わってもなお「民兵」が組織を作り、国の予算やら人々からの寄付金を使って活動しているというのはなんだか不思議な状態だと思わずにいられません。
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by sarasayajp | 2005-07-16 16:15 | いろいろ |
2005年 07月 13日 |
 日本ではイラン人の父を持つダルヴィッシュくんが話題になっているようですが、本家(?)イランのダルヴィーシュ(こちらが本来のペルシア語の発音)はこちらです。

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 実はダルヴィーシュという存在は、私の研究テーマに深く関わる存在ですので、イランでまだであったことのないダルヴィーシュという名前を持つ人が日本にいるというのは何とも驚きであり、不思議な感じがします。

 ダルヴィーシュについてのお話しはこちら
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2005年 07月 10日 |
 ロンドンでムスリムのテロ組織がテロを行ったとのこと。何とも悲しむべきことが起こってしまいました。

 何のためにこのようなことを行わなくてはならないのか、彼らテロリストたちの論理は、今なおアフガニスタンやイラクに駐留するアメリカの論理と同じくらい私には理解できません。

 彼ら「イスラームの正義のための戦士」たちの行動こそが、ごく普通に生活しているムスリムを様々な意味での危険にさらしているというのに。こうした事件が繰り返されるたび、非ムスリムによるムスリム=テロリストという公式が強化され、イスラームがあたかもテロリストを作り出すための宗教であるかのように見なされ、各地のムスリムが非ムスリムによる攻撃の対象となってしまいます。こうした情況は、イスラームとイスラーム社会を研究する者としてとても悲しく、嫌なものでしかありません。

 911の後アメリカのブッシュが一時期声高に叫んでいたテロとの戦いだという「十字軍」も、テロ集団が虐げられたムスリムたちを解放するためのものだと言う「ジハード(聖戦)」も、宗教を利用したテロ行為に過ぎず、結局はごく普通に生活する人々を、たとえそれがキリスト教徒であろうとムスリムであろうと無差別に殺戮する行為でしかないものです。

 現在の俗に言う中東やマグリブをはじめとするムスリム社会が、様々な面で困難な情況にあることは確かでしょう。しかしその原因を全て欧米に押しつけることには無理があります。欧米的資本主義の押しつけによる経済的・社会的な混乱は、確かに現在これらの地域が直面している問題の一つであるでしょう。しかしその根底には、彼ら自身がまず解決すべき問題が山積しています。
 イスラームの名によって女性の権利を制限していることや、イスラームによって認められていない肌の色による差別、排他性、その他あげればきりがないくらいにイスラーム社会自身に問題は存在しているのです。非ムスリム世界に対する敵対行為によってこうした自身の問題に対する不満を解決しようなどということは、全く意味のない行為であり、問題は永遠に解決しないでしょう。自らの問題から目をそらす行為はいい加減にやめるべきです。

 貧しい中でも、イスラームの精神に従い、持っているものの中からできるだけのもてなしをしようとしてくれる人々が、ムスリムであるというだけでテロリスト扱いされてしまうようなことがない世の中になって欲しいのですが、道はまだまだ遠いようです。
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by sarasayajp | 2005-07-10 19:46 | いろいろ |
2005年 07月 07日 |
 それではこちらがテヘラン第12区の地図です。

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 一番上濃い茶色のラインがエンゲラーブ通りで、そこからフェルドウスィー通りあるいはラーレザール通りを真っ直ぐに南下すると、エマーム・ホメイニー広場(メイダーネ・エマーム・ホメイニー)にぶつかります。

 このあたりから南はテヘランでも最も古い地区の一つで、19世紀頃にイランを統治していたガージャール朝によって町が形作られました。

 エマーム・ホメイニー広場周辺は王宮とバーザールが作られ、その当時の政治と経済の中心地でした。そしてガージャール朝からパフラヴィー朝を経てイスラーム政権となった現在でも、バーザールはほぼその当時のまま残され、またエマーム・ホメイニー広場付近には官公庁が多く存在しています。
 もっとも、テヘランが爆発的に拡大した今日では、経済の中心としてのバーザールの地位は低下し、官公庁も手狭で増改築もままならないこの近辺から、市内各地へと移転する動きもあり、少しその機能を変えつつありますが、それでもテヘランで最も活気のある場所の一つと言えるでしょう。ただし空気が良いとは言いがたいので、体調の良くない時などにはおすすめできません。

 エマーム・ホメイニー広場には、バスや乗り合いタクシーの発着所や地下鉄の駅があり、市内交通の起点の一つでもあります。

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 交通の要所の一つであり、バーザールなども近いことから、エマーム・ホメイニー広場周辺には安宿も沢山あります。ただ、この数年、テヘランの物価の上昇に伴って、こうした安宿も随分と値上がりしていて、びっくりするような金額を請求されることもあるようです。

 ところで、このエマーム・ホメイニー広場ですが、テヘランの人はそう呼びません。この広場の革命前の名称である「トゥープ・ハーネ(口語ではトゥープ・フーネ)」が一般的に使われているからです。

 「トゥープ・ハーネ」とは「大砲」あるいは「砲兵隊」の意味で、ガージャール朝時代、このあたりに砲兵隊が置かれていたためにそう呼ばれるようになったのだそうです。そしてガージャール朝からパフラヴィー朝を経て、現在のイスラーム政権になってもなお人々は、新しい名前を使うことを拒み、古い名前を使い続けているのです。

 私も今では「トゥープ・ハーネ」を使っていますが、まだテヘラン地図を片手におっかなびっくり移動していたイランに来たばかりの頃は、道を聞く度、「それはね、トゥープ・ハーネからこう行って…」などと説明され、どうやってもその地名を地図の中で見つけることができずに悩んだものでした。テヘランの人にとって、あたかも「エマーム・ホメイニー広場」という名前は存在していないかのような扱いです。ここを「エマーム・ホメイニー広場」と呼ぶ人がいたら、それは地方からテヘランに出てきたばかりの人である可能性が非常に高いでしょう。

 写真は地下鉄エマーム・ホメイニー駅
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2005年 07月 06日 |
 お次はテヘラン州の地図。

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 イランの州は、州都の他に、いくつかのシャフレスターン(日本で言う郡のような単位)に分けられています。それぞれのシャフレスターンの下にはいくつかのデヘスターン(いくつかの村を含む行政単位)が置かれています。

 この上の地図は、実は「文化財保護庁」の区分図で、行政区分とは微妙に違っています。本当なら行政区分地図を載せるべきなのですが、それがちょっと今手元にないので、とりあえずこちらを載せておきます。私の場合、こちらの方が良く使う区分だというのもありますし。
 行政区分だと、1,4,7が大体一つのくくりで、それから2,3,5、6も一つのくくりになるはずです。

 で、こちらはテヘラン市。上の図の1と4、それから7の一部が含まれています。

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 全部で22区。大学の位置を示す矢印を入れたレイヤーがどこかへ行ってしまったらしく、なくなってしまいました。後でまた探して入れておきます。

 これから、何回かに分けて、バーザール周辺からご紹介していこうと思います。
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