イランという国で
sarasaya.exblog.jp
  ブログトップ
<   2005年 02月 ( 34 )   > この月の画像一覧
|
|
2005年 02月 28日 |
 何人かから同じ内容のご相談をいただきましたので、ここでまとめてお返事いたします。

 3月25日にイランで行われるワールドカップ・アジア予選のイラン対日本戦についてです。

 この試合の前後のホテルの予約とチケット入手をご希望の方、早めにご連絡いただけましたら、現地旅行社の協力により、双方とも手配ができます。

 チケットはアウェイ側ゴール裏、ホテルはご希望のクラスのホテルが用意できるそうです。
 
 また、もし、何人か希望者がいらっしゃるようでしたら、ホテルとスタジアムの間の往復のバス(あるいはマイクロバス)も一緒に手配するそうです。(公共交通機関がないに等しいのでこれは必要だと思います)

 ご興味がある方はメールでお知らせ下さい。

 試合のある日はイランの正月休み期間中に当たり、ホテルなどの予約が非常に難しいです。そのため、1月中旬以降は、お申し出があっても受けられないことをお断りしておきます。


 お願い

 この何日か、チケットの問い合わせメールが私のメールボックスに目立ちます。
 残念ながらここで書いています通り、2月も下旬の今、ホテルはもう予約で一杯ですし、チケットも手配は難しいです。
 また、私自身が忙しく、お手伝いをすることは物理的にも不可能な状態です。
 大変に申し訳ありませんが、ご自身で日本の旅行代理店あるいは在テヘラン日本大使館にお問い合わせいただきますようお願い申し上げます。
 万が一余分のチケットが手に入った場合は、ブログの中でお知らせすると思いますが、個人的な予約、問い合わせのメールはお受けできません。
[PR]
by sarasayajp | 2005-02-28 19:46 | いろいろ |
2005年 02月 28日 |
 テヘランにも何年か前に地下鉄がようやく開通しました。まだ南北線と東西線くらいしかないのですが、交通渋滞緩和のため、中国の協力を仰いで路線を増やしていくつもりだと聞いています。
 私が住む地区も私が通っている大学も、地下鉄の路線からは離れていますし、特に地下鉄を使う用事もなかったのですが、アーシュラーの取材のためにバーザールに通っているうち、どうしても乗ってみたくなってしまいました。バーザールの近くにはいくつか地下鉄の駅があるのです。

 テヘランの地下鉄敷設計画は革命前に遡ります。今を遡ること約30年前、フランスの協力により、メトロの工事が始まりました。
 ところが、革命が起こり、契約は棚上げになり、また革命後すぐに戦争が始まり、地下鉄工事は止まってしまいました。
 しかし戦争が終わり、経済状態が少しずつ改善されるに従い、テヘランの交通渋滞が社会問題となりました。そして渋滞緩和のため、自動車の排ガスなどによる大気汚染緩和のため、地下鉄の敷設が急がれました。
 この時、以前契約をしていたフランスの会社を使うかどうかで色々と議論があったようですが、結局安い見積もりを出してきた中国の会社と契約を結び、工事の完成を急ぎました。そして完成したのが現在のメトロです。そして現在も地下鉄敷設工事は行われています。
 交通渋滞緩和と大気汚染軽減のため、地下鉄のより一層の普及が望まれていますが、テヘランの住宅建築方法の問題と、地下鉄工事のために地上の道路を通行止めにしてまた渋滞を引き起こしてしまうという問題から、なかなか工事は進んでいないようです。

 とここまでが、テヘランの地下鉄の簡単な歴史です。
 ともかくも、地下鉄に乗ってみました。


b0006449_3512855.jpg
 バーザールからほど近いエマーム・ホメイニー駅の入り口。東西線と南北線が交差している駅のため、乗降客がとても多い。バーザールに近く、男性の方が随分と多い。





b0006449_352105.jpg
 駅に入るとすぐに地下へ下りる階段。画面上部に見えるのは駅名のプレート。まだ新しいからか、思っていたよりもずっときれい。








b0006449_3524646.jpg
 こちらは切符売り場。自動券売機はまだなく、人力販売。それほど混んでいない時間帯だったので、窓口は半分閉まっていた。
 切符を買う私に係員が一言「日本人?」。仕事をしながらも、この質問は忘れない。私が答えるまで何度でも同じ質問を繰り返すところは下町故か?



b0006449_353378.jpg
 切符。どこまで乗ろうと650リヤール(約7.5円)の都バス方式。自動改札があると聞いていたのに、紙のもぎり式。それに自動改札は動いていなくて、おじさんが二人手で切符をちぎっている。
 切符の裏にはいくつか注意事項が書いてあって、そこには、「切符は下りるまでちゃんと持っているように」と書いてあるのだが、おじさんは切符をちぎった後の半券をそのまま足下の箱へ放り込んでしまった。「半券は渡してくれないのか?」と聞くと、どうしてそんなものをほしがるのかと言わんばかりの顔をされてしまった。


b0006449_3541471.jpg
 これが、まだ使用されていない自動改札。駅の様子を見ている限り、もうしばらくは使われそうにない感じ。
 一緒にいた人たちと、自動券売機や自動改札にすると、失業者を増やすことになるからかもと話し合う。実際、工事が再開されてから、地下鉄が開通すると仕事が奪われると、乗り合いタクシーやバスの運転手が反対運動を行っていたと聞いたことがある。






b0006449_355392.jpg
 ホームへ下りるエスカレーター。私の前にいたこのチャードルのおばあさんは、エスカレーターに乗ったことがないらしく、足を下ろすことができずにおろおろしていた。「早すぎて怖いわ!」手を取ってあげようと思ったのだが、カメラを構えた日本人が怪しげだったらしく、逃げられてしまった。考えてみたら、テヘラン市内にエスカレーターのある施設というのはほとんどないため、まだエスカレーターに慣れていない人も多いことは確か。


 地下鉄構内の雰囲気というのは日本でも海外でも、どこもあまり変わらないものなのだなあというのが正直な感想。次回はホームと車内の様子をご紹介する予定。
[PR]
2005年 02月 25日 |
 再びアーシュラーの様子から。
 今回は、アーシュラーの舞台裏。
 アーシュラーの期間、ダステに参加する人、見物する人には、飲み物や食べ物がふるまわれます。これは全て、ヘイアトへの寄付金で賄われます。またこうした振る舞いは、ヘイアトと関係なく何かナズル(願掛け)のある人が個人的に行うこともあります。


b0006449_17305879.jpg
 シャルバト(甘く冷たい飲み物)を作っている人たち。振る舞いの飲み物は、お茶、薔薇水入りホットミルク、シャルバトが一般的。時々、シャルバトの中にはハシュキールという植物の種が入っていることも。
 飲み物をふるまうことは、水の補給を断たれ、渇きの中で死んでいったイマーム・フサイン一統を偲ぶ行為であるとのこと。


b0006449_1731504.jpg
 振る舞いご飯の下ごしらえを手伝う女性たち。炊き出しは基本的に男性の仕事であるが、材料を洗ったり切ったりという下ごしらえの段階では女性が手伝うこともある。アーシュラーの一日目から八日目までは基本的に夜のみの振る舞いだが、九日目(タースワー)は昼と夜の二回の振る舞いとなるため、朝から夜までずっと下ごしらえや調理が続く。


b0006449_17322380.jpg
 大鍋(ディーグ)に下ごしらえのできた材料を入れる男性と、それをかき回す男性。ディーグの大きさを見て分かる通り、一つの鍋で50~100人分。これは男性でないと扱いきれない。ヘイアトの規模によって、こうしたディーグの数が変わる。一つだけのところもあれば、数十のディーグが並ぶ壮大なヘイアトもある。


b0006449_17331471.jpg
 こちらはおまけ。
 ダステが行進する時にリズムを取るために使う太鼓各種。これらは全て新品。激しく太鼓を叩くため、アーシュラーの期間中に壊れてしまい新しいものを購入に来る人も多いとのこと。ちょっと画質が悪いのでよく分からないかもしれないが、全て「YAMAHA」のシールが貼ってある。

b0006449_17335710.jpg

 こちらはダステで使われるザンジール(束にして持ち手をつけた鎖)を選んでいるおばさん。あれこれ鎖や持ち手の具合を真剣に吟味中。
[PR]
2005年 02月 24日 |
 ケルマーン州のザランドで起こった地震の被害の様子が盛んに報道されています。

 水曜日の朝刊によると、「バムでのことを考えると、ずっと早くに援助が入り、より良い活動が行われた」とのことです。
 これがどのくらい信用のできる言葉かどうか、現地へ行っていない私は判断することができませんが、かなり疑問はありますし、イランのこうした災害時の救援活動が難しいであろうことだけは容易に想像ができます。

 日本の方が詳細に報道されているかと思いますが、マグニチュード6.4、震源の深さが10~15キロメートルとのことですから、バムの地震とほぼ同じ規模です。昨日も書いた通り、ケルマーン州内の活断層が活発に活動しているというのは事実のようです。火曜日の深夜までの時点で余震が67回とのことですから、救助活動もなかなかはかどらないことと思います。

 新聞記事やニュースで分かることと、これまでのイランでの差街救助の実態をインタビューした時の経験から分かることと想像できることについてお話ししてみたいと思います。

 新聞の写真やテレビのニュース画面を見ている限り、ほとんど人力で瓦礫を掘り返して被害者の捜索を行っているようですから大変です。寒気がイラン上空に居座っている中、救助が遅れることは死者を増やすことに繋がるでしょうから、速やかな救助が行われることを願わずにいられません。
 しかしイランでは州都のレベルでもこうした時に使える機材の数は足りず、人力に頼らざるを得ません。バムの復興を阻むものの一つが、瓦礫を撤去することのできる重機などの不足にあるというほどです。
 また、山間部の農村では村と村の距離が離れ、孤立しているところもあります。そして通信網が未整備なところが多いため、電話は村にある電話局にしかないというところも多くあります。このため村の電話局が被災してしまうと途端に孤立してしまう村が出てきます。そのため被災状況が全く分からなくなってしまうのです。そして山間部で道路が寸断されてしまうと、村へたどり着くことも容易ではなくなってしまいます。地震から何日も経つ今でも正確な被災状況は分かっていません。

 ケルマーン州知事が、全ての被災した町や村に必要な物資を移送すると発表していますし、ムーサヴィー・ラーリー内務相が会議を開催し、救援活動の調整などを行うとしましたが、これまでの各地での援助活動を見ているとこうしたことがきちんと行われるかかなり疑問があります。バムの地震の後、バムの人々に聞いたところ、イラン国内外から集まったはずの援助物資がちゃんと届いたとは思えない情況でした。そしてテヘランのバーザールなどで援助物資が売られていたという目撃情報もかなりの数に上ります。毛布、ミネラルウォーター、缶詰が少し配られただけで、他の食物など手に入らなかったというバム市民の声を沢山聞いたものでした。
 公的機関としては、赤新月社(日本などの赤十字に当たる組織)や福祉局、エマーム・ホメイニー救援委員会など、様々な組織が災害被害地に対して援助を行いますが、互いに連絡がないので効率の良い援助が行われないという問題も、これまでに何度か指摘されていながらなかなか改善されません。
 そして何よりも、「カーガズ・バーズィー」と呼ばれる書類のたらい回しに時間ばかりがかかり、効率の良い活動などできません。何か器具を一つ動かすにも書類にいくつものサインをもらわなくてはならない国であり、こうした災害救助の時でもそれは変わらなかったということを話してくれた知り合いもいました。バムの地震の際には救援隊と報道関係者はノービザで受け入れると言いながら、テヘランの入管レベルで入国拒否をされた人もいたそうです。「そんな話は聞いていません」だそうです。また、確認のために各国にあるイラン大使館に問い合わせをした人にも同じような答えを返した大使館員も一部にはいたそうです。命令が末端に届くまでとんでもない時間がかかる国のようです。

 今回のザランドの地震でも、救援物資は届かない、瓦礫の下敷きになった人を救出するための手段もないということで、被災者たちのいらいらは相当に募っているようです。それなのに、政府高官が護衛やお取り巻きを沢山引き連れ、スーツやらアバーにアンマーメ(聖職者としての正装)で現れ、聞こえの良い言葉だけをかけて去って行く。人々は、「被災地見舞い」の政府高官たちの載る車に、どうしてスコップの一つでも積んでこないのかと瓦礫を投げつけたそうです。これと同じ光景は、二年前にハマダーン州で起こった地震の時にも、バムの地震の時にも見られました。

 こうした情況を何度も見ていると、経験を生かすための努力が本当に行われているのかどうか疑問を持たずにいられません。
 今回は海外からの救援も断っているようです。「バムの経験があるから大丈夫」「バムに比べれば大きな被害は出ていないから問題ない」だそうです。その言葉が本当なのかどうか、行動で見せていただきたいものだと思います。
[PR]
by sarasayajp | 2005-02-24 13:31 | いろいろ |
2005年 02月 23日 |
 相変わらず忙しいです。
 今日は2時間睡眠ですが、今寝ると起きられなくなりそうなので、約束の時間まで起きていなくてはいけません。
 ということで、今年のアーシュラーのビデオ編集の続きをしているのですが、飽きてきたのでお口直し。アーシュラーの日に見かけたアリー・アスガルちゃんたちです。画像があまり良くないのはお許し下さい。
 アリー・アスガルは、第四代目イマーム・アリー(=ザイヌルアービディーンあるいはサッジャード)の弟です。アスガルというのは「小さい」という意味で、「小アリー」くらいの意味。長兄のアリーと同じ名前なので、弟であることを示すため「アスガル」がついているのです。
 悲劇的な死を遂げたアリー・アスガルを偲び、自分の子どもにアリー・アスガルの扮装をさせるのです。


b0006449_15154541.jpg

 お兄ちゃんに連れられてダステを見物していたアリー・アスガルちゃん。






b0006449_1516344.jpg


 こちらはお父さんに連れられたアリー・アスガルちゃん。子供用の小さなザンジールを持って振り回しながら楽しそう。






b0006449_15172971.jpg

 こちらもお父さんに抱かれたアリー・アスガルちゃん。ちょっと眠そう。








b0006449_1518930.jpg

 こちらはキュウリをかじるアリー・アスガルちゃん。名前を聞いてみたところ、実は女の子。最近は、このように女の子に男の子であるアリー・アスガルの扮装をさせる親もちらほら見られる。






b0006449_1518503.jpg

 こちらはお母さんに抱かれたアリー・アスガルちゃん。お父さんはダステに参加しているらしく、左側に見えるダステと一緒に歩いていた。






b0006449_15193834.jpg

 こちらは、ガメ・ザダン(刃物で頭などを傷つけること)を見物中のアリー・アスガルちゃん。この子のお父さんがガメ・ザダンに参加していた。お父さんの勇姿(?)に見入っているのだが、こんな小さなうちに流血の行事を見せていいのかどうかはちょっと悩むところ。



 最後になってしまいましたが、地震お見舞いを下さった皆さん。どうもありがとうございます。テヘランは何もなかったのですが、ケルマーン州では大きな被害が出ているようです。海外では、死者の数が400人とか500人とか言われているようですが、イランの国内の情報ではもっと少ないだろうとのことです。
 以前の取材で聞いたのですが、現在、ケルマーン州内のいくつかの断層が活発に活動しているとのことです。以前にもお話ししたように、できるだけ早くイラン国内に耐震建築が普及することを願わずにいられません。イランの地震被害の多くは、家屋を耐震建築にするだけで随分と防げるものであることは明らかだからです。
[PR]
by sarasayajp | 2005-02-23 03:52 | いろいろ |
2005年 02月 22日 |
 今日はエスファンド月4日、ムハッラム月12日、2月22日

 今日はシーア派第四代目イマーム・ザイヌルアーバディーン(ペルシア語ではエマーム・ゼイノルアーベディーン)の殉教日です。

 ムハッラム月10日に第三代目イマーム・フサインが付き従った人々と共にカルバラーの野で殺されました。この時、イマームの長子であるアリー(=ザイヌルアーバディーン)は病気のため、マディーナ(メディナ)に残っていました。このため、父やその一統と共に殺されることがありませんでした。
 父であるイマーム・フサインの死後、第四代目イマームとなったアリーは、生来病弱であったこともあり、政治的に目立った活動を行うことなく、学問と礼拝に日々を送っていました。
 彼は時間があれば常に礼拝を行っていたため、人々に「サッジャード(跪拝するもの)」と呼ばれていました。


 イランのシーア派の伝承によると、イマーム・サッジャードはイラン人の血を引いています。
預言者ムハンマドの死後イランを征服したイスラーム・アラブ軍は、イランのサーサーン朝最後の王の娘を捕らえました。アラブ人は初め、彼女をバーザールで売って金にしようと考えましたが、そこを通りかかったイマーム・アリーが「王の血を引くものを売ってはならない」という預言者の言葉を人々に伝え、彼女を売ることをやめさせました。そして彼女をイラン人ムスリムの手に預けました。
 彼女が成人し、結婚相手を探すことになった時彼女は自ら、イマーム・アリーの息子、フサインを選びました。そして生まれたのがアリー(=ザイヌルアーバディーン)でした。

 この伝承には年代的に無理があり、真実としては受け入れがたいものですが、イラン人はこの伝承を信じており、子ども向けの宗教書などには必ずこの物語が載せられています。
 イスラーム・アラブ軍によって占領される以前のイランは、ゾロアスター教という独自の宗教を持っていました。そこへ持ち込まれたイスラームは、イラン人にとって「アラブ人の宗教」でしかありませんでした。このため、アラブによって占領された他の地域が割と速やかにアラブ化、イスラーム化したのに対し、イランがイスラームを受け入れ、イスラーム化するまでに二世紀以上かかりました。
 このような精神的な抵抗に対して、預言者の高貴な血筋にイラン王家の高貴な血が混じったという伝承が有効に働いたと考えられています。この伝承により、イラン人は完全に他民族の宗教であるイスラームを受け入れる苦痛を和らげることができたというのです。

 イマーム・サッジャードは、歴史書などによると病死をしましたが、シーア派の人々は、彼が父の復讐をすることを恐れたウマイヤ朝のハリーファ(=カリフ)によって殺されたと信じています。
[PR]
2005年 02月 21日 |
 今日(日本時間だと昨日)はムハッラム月10日、アーシュラーの日でした。
 この日の正午に殺されたイマーム・フサインを悼み、シーア派の人々は正午までダステを繰り出し、街を練り歩きます。そして、イマームが殺されたとされる時間に合わせて礼拝を行い、アーシュラーの主な行事は終わります。
 今日は昼間の行事ですが、アーシュラーのダステは9日目まで主に夜に繰り出します。何日か遅れですが、夜に行われるダステの様子をご紹介したいと思います。


b0006449_23591123.jpg

 後ろに見えるテントの中で大人たちはロウゼ(悲劇語り)を聞き、イマームとイマームに従う人々の悲劇に涙しているのに、ロウゼに飽きてしまった子どもたちはテントの外で出番待ち。しかし零下に下がっている気温に、暖を取ろうとして、エスファンド(芸香)を燃やすためのマンガル(炭火を入れるブリキの入れ物)を持ち出して、炭に火をつけようと努力中。
 エスファンドは火の中にくべると盛大に煙が発し、この煙が邪を払うとされている。

b0006449_23594974.jpg

 出番が近づいてきた子どもたちは、ザンジール・ザニー(鎖で自分の体を打つこと)の練習。これは独特のリズムと順番があり、リズム感が悪いと周囲の人と合わなくなってしまうので、ちょっと真剣。
 でも、その脇で、お互いのザンジール(持ち手つきの鎖の束)を見せ合って、「僕のは金色の鎖が入っているんだ」などと道具自慢をする子も。

b0006449_002986.jpg

 出番が近づき、行列の先頭に立つ先日ご紹介したヘイアトの旗や、写真に見える色とりどりの旗を持った子供たちが整列。ダステが出発するまでの間、旗を振り回したりして遊んでいる。ヘイアトにもよるが、こうした旗を持つのは子どもの役割というところが多い。

b0006449_011782.jpg

 二列に(ダステによっては三列)並んで、列の間に太鼓を叩くグループを挟んで、ザンジール・ザニーを行う男性たち。外国人シーア派留学生が非難するように、真剣に自分を叩くのではなく、リズムを取って軽く鎖を振り回すだけの人が多いが、カメラが自分にむいていることや女の子たちの視線を感じると途端に真剣になるところが現金な感じ。
 ザンジール・ザニーは、太鼓のリズムとロウゼ・ハーニー(悲劇語り)が歌うその日に関連した殉教者の悲劇に合わせて粛々と進む。ロウゼの要所要所では立ち止まり、かけ声をかけながらひときわ激しく体を打つ。この日はアブール・ファズルが殺された日だったので、「ヤー・アブール・ファズル!」「ヤー・エマーム・ホセイン」のかけ声。
 ザンジール・ザニーを真剣に毎日続けると、何日かするとシャツの背中が破れてしまうこともあるが、破れたシャツをそのまま着続けてアーシュラーの日を迎える。シャツがぼろぼろになっているということは、真剣にザンジール・ザニーを行っていた証拠だが、テヘランではなかなか見かけない。

b0006449_02667.jpg

 正面に見えるのは、アラム(旗)と呼ばれる一種の山車。鉄製で幅1~5メートルくらいで、重さも30~200キログラムまで様々なサイズがある。このヘイアトのものは100キロ強とのこと。ヘイアトの中の力自慢が数十メートルごとに交代でこれを担いで行進をする。 
[PR]
2005年 02月 20日 |
 アーシュラーがシーア派第三代目イマーム・フサインが惨殺されたことを、シーア派の信徒が悼み悲しむ行事であるということはお話ししました。

 今回は、もう少し歴史的背景も加えてご説明してみたいと思います。

 預言者ムハンマドが亡くなった後、イスラームの信徒たちは信徒たちの代表による選挙を通して、預言者が作り上げた社会的共同体(ウンマ)を指導するための後継者(ハリーファ=カリフ)を選びました。これが初代ハリーファ・アブー・バクルです。
 しかし、預言者の従兄弟で娘婿でもあるアリーこそが、預言者の後継者であると信じるグループは、このハリーファを認めませんでした。

 アブー・バクルの後、ウマル、ウスマーンを経て、ようやくアリーが第四代目のハリーファに就任し、イスラーム共同体の指導者となりました。
 しかし、第三代目ハリーファのウスマーンが属していたウマイヤ家のムアーウィヤは、アリーに敵対し、戦争が起こりました。戦闘はアリーに優位な情況でありましたが、アリーはムアーウィヤが出した和議を受け入れ、戦闘を終結させました。
 アリーがこの和議を受け入れたことに反対するアリー軍の中の一派は、アリーの許を去り、アリーは最終的にこの一派の刺客により暗殺されました。

 アリーの死後、ムアーウィヤはハリーファ位を奪取しました。

 アリーこそが預言者の正当な子孫であると信じる人々に推され、アリーの長男であるハサンがハリーファ位を名乗りましたが、ムアーウィヤの圧倒的な武力には対抗しきれず、ムアーウィヤから巨額の金を受け取ることでハリーファ位に対する権利を放棄しました。
 ハサンの死後、シーア派の人々はフサインをシーア派の指導者、イマームとして推戴しました。
 彼は初め、ムアーウィヤに対して威厳ある態度を取りつつも、対立することなく、マディーナ(メディナ)に隠遁生活を送っていました。

 イラクに住むシーア派の人々はたびたびイマーム・フサインに武力蜂起を呼びかけましたが、イマーム・フサインはそれを拒み続けていました。しかし、ムアーウィヤが自分の息子ヤズィードへのハリーファ位継承を決定し、ウマイヤ朝という世襲王朝を確立しようとした時に、イマーム・フサインは自分を支持する人々の要請に従うことを考え始めました。
 イラクにおけるシーア派の人々の情勢を知ったイマーム・フサインはことを起こすことを決意し、ヤズィードに対する中世の誓いを拒否、イラクの支持者たちに合流するため、クーファへ向けて出発しました。
 しかしこれを知ったウマイヤ朝軍はアラビア半島からイラクへ通じる道を閉鎖し、イマームの一行を追い返そうとしました。イマーム・フサイン一行はイラクの支持者たちの援助を期待していましたが、イマームの死者を処刑したヤズィード軍の行為に恐れを抱いた人々は、イマームを助けようとはしませんでした。
 そしてクーファに近いカルバラーで、ヤズィード軍はイマーム・フサインと72人の男性たちを次々と殺害、ヒジュラ暦61年ムハッラム月10日のアーシュラーの日(西暦680年10月10日)に、婦女子を除いた全ての人々が殺害されました。


 10日間に渡って行われるアーシュラーの行事は、ヤズィード軍によって殺されたイマーム・フサインをはじめとする72人の男性たちを悼むものです。
 ロウゼと呼ばれるアーシュラーの悲劇物語が毎晩語られ、人々はその物語を聞きながら涙を流し、胸を叩き、あるいは鎖で我が身を叩きながら殺されていった人々の苦痛を追憶するのです。
 また、タアズィーエと呼ばれる殉教劇もあちこちで上演され、町や村の人々がイマーム軍やヤズィード軍に扮して、カルバラーの悲劇を人々に教えるための劇を上演します。

 イマームに付き従った72人の男性たちは、日を追って一人一人殺されていきます。ロウゼやタアズィーエでは、主な人物たちの死を10日間に割り当てています。このロウゼやタアズィーエの山場は二つあり、一つは、イマーム・フサインの末息子、生後六ヶ月ほどだった「アリー・アスガル」の死です。イマーム・フサインが「この子だけは助けてくれ」とヤズィード軍に頼みますが、ヤズィード軍はこの幼児すら容赦なく殺してしまいます。このシーンは女性たちにとって特に心に響くらしく、アリー・アスガルの死の瞬間には女性たちの鳴き声がひときわ大きくなります。アーシュラーのダステの見物をしている人々の中には、自分の小さな子どもにアラブ風の服装をさせ、アリー・アスガルに擬する人が見られます。

 もう一つの山場は、ムハッラム8日目の夜のアブール・ファズルの死です。
 カルバラーは水のない荒野です。この荒野に何日も閉じこめられたイマーム・フサイン一行は、渇きに苦しめられます。
 イマーム・フサインを初めとする人々の渇きを癒すため、イマームの異母弟であるアブール・ファズルは、ヤズィード軍の包囲網をくぐり抜けて水を汲みに行きます。
 川辺にたどり着き、彼は水を飲もうとしますが他の人々の渇きを思い出し、自分が先に水を飲むことはできないと思いとどまり、持ってきた革袋に水を詰めました。その時、ヤズィード軍に発見され、戦った末、片腕を切り落とされました。しかしそれでも彼は残った片腕で水を運ぼうとしましたが、その手も切り落とされ、殺されてしまいます。
 アブール・ファズルのロウゼを聞きながら、人々はイマーム・フサインたちの渇きを思うのです。
 こうした逸話から、イランの水飲み場の多くには、「ヤー・アブール・ファズル(アブール・ファズルよ!)」と書かれています。アブール・ファズルを思い、水のありがたさを肝に銘ずるのです。

 そして今日、ムハッラム月10日の正午に殺されたイマーム・フサインを追悼するため、人々は正午に合わせてダステを繰り出し、街を練り歩いた後、正午に路上で礼拝を行い、アーシュラーの主な行事は終わります。
[PR]
2005年 02月 19日 |
 この数日、ビデオの録画、編集、翻訳などに追われています。平均睡眠時間4時間。
 これまではデジカメを持っていないことや、通信環境が良くないことから、画像を諦めていたのですが、ちょっと気分転換に、ビデオから写真を取り込んでUPしてみることにしました。こちらでも使えるよう、かなり画質を落としてありますので、ちょっと画質が良くありませんが、雰囲気だけでも見ていただけたらと思います。


b0006449_1392992.jpg

 バーザールの一角で、お茶や薔薇水入りのミルクをサービスしているおじさんたち。
 私が写真を撮るのに夢中でいたら、わざわざ私のところまでやって来てミルクのカップを渡してくれた。薔薇水の香りと牛乳の香りが混じり合って、何とも言えない味。
 ここでサービスしているものは、全てヘイアト(運営委員会のようなもの)が寄付を集めて行っているもので、労力もヘイアトのメンバーが無償で行っているもの。実は政府はこうした活動にそれほど援助は行っていないとのこと。
 通路の両側の店がみんなシャッターを閉めていることから分かるように、宗教的に熱心な人の多いバーザール商人たちの中はアーシュラーの期間、自分の店を閉めてしまってこうした活動に専念する人も多い。もちろん、こうしたダステがひっきりなしに通るので商売にならないからと休んでいるだけの人も。

b0006449_13101161.jpg

 こちらは外の宗教グッズ店でおじさんたちがミシン刺しゅうをしていた旗の完成形。ダステ(行列)の先頭には、イマーム・フサインの名前や彼に関わる人々の名前、ダステを主催するヘイアトの名前が刺しゅうされたこの旗が。このヘイアトは、ホセイニーという名前らしい。
 この画像では少し分かりにくいのですが、旗には先が二つに割れた剣が描かれていて、これはシーア派初代イマーム・アリーの佩刀ズ・ル・ファカール。イマーム・アリーの勇気のシンボルとして好んで使われる。

b0006449_13113730.jpg

 天井から下がっている絵はイマーム・フサインの弟のアブール・ファズル(口語だとアボル・ファズル)。兄への献身的な行為により、シーア派の人々の敬愛を受け、献身の象徴とされている。重量挙げ金メダリスト、レザーザーデが彼に傾倒し、自分の子どもをアブール・ファズルと名付けたのはイランでは有名な話。
 この絵の下に立っているのはロウゼ・ハーニー(ロウゼ語り)と呼ばれ、イマームとイマームに従う人たちがどのように悲劇的な死を遂げたかを、独特の節回しで読み上げる。その読謡のリズムに合わせて、ダステに参加している人々やそれを見物している人たちは胸を叩いたり、鎖で自分の体を叩いたりする。
 一般的に、ザンジール・ザダン(鎖で体を叩くこと)はファールスィー(ペルシア語を母語とするイラン人)が行い、スィーネ・ザダン(手で胸を叩くこと)はトルコ系が行うとされている。もちろん、一つのダステの中で両方が見られることもあるし、トルコ系でもザンジール・ザダンを行う人もいるので、目安という程度ですが。
 
b0006449_1312937.jpg

 お父さんに連れられてダステを見物している兄弟。手前の小さい方の弟君は、びっくりしているのかぽかんとダステに見入っていた。カメラに気付いた途端お父さんの陰に隠れてしまったので、正面からの写真はなし。ちょっと残念。
[PR]
2005年 02月 19日 |
 アーシュラーを迎えて活気づく、バーザール内の宗教グッズ各店の様子から。
 ビデオカメラからの画像なので、少し画像が良くないのですけど、雰囲気を見ていただけたらと思います。

b0006449_2231556.jpg

 こちらは垂れ幕や旗などに、イマームたちの名前などのミシン刺しゅうをしているところ。
 男性たちがすごい勢いでミシンを踏んでいる姿は一見の価値有り。
 写真やビデオを撮っていた私たちに、「このミシンも日本製だよ」。
b0006449_2232339.jpg

 こちらはバーザール内ではあまり見ないアフガニスタンのハザラ系の男性。
 挨拶をしたところ、不思議そうな顔でこちらを見て、また自分の仕事にすぐ戻ってしまった。カメラを向けたらちょっと照れくさそう。
b0006449_22325691.jpg




 行列を組んで練り歩く際、リズムを取るために太鼓は必需品。新品を買うグループもあれば、古いものを修理しながら使うグループも。
 ここでは古いドラムの皮を張り替えているところ。
 イラン製に違いないのですが、なぜかどのドラムにも「YAMAHA」のシールが貼ってあるのがおもしろいところ。
[PR]
ページトップ
XML | ATOM

個人情報保護
情報取得について
免責事項
Yuzuki Skin by Sun&Moon