イランという国で
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2005年 01月 31日 |
 今日はバフマン月12日、ズィー・ハッジャ月20日、1月31日

 今日はイスラーム革命旬間のはじまりです。
 1979年のこの日、フランスに追放されていたホメイニー師がエール・フランス特別機により帰国、テヘランのメヘラバード空港に降り立ちました。

 パフラヴィー朝のシャー(国王)を中心とする人々がイランの富を独占していると感じていた人々による革命活動は、革命理論の精神的支柱であったホメイニー師の帰国により最高潮に達しました。

 既に1月16日にシャーは、大学生を中心とする民衆デモを収拾できず、アメリカの支援により中東一と言われていた国軍も中立を宣言、権力基盤を失い、休暇という名目でイランから亡命していました。


 革命前のイランは、石油価格の高騰とアメリカの支援により、日本のバブル期のように好景気に沸いていました。しかしその一方で、工場や農地はシャーを中心とする一部の人々の手に握られている状態でした。インフレは進み、農村は搾取により荒廃し、職を求めて農村から都市に流入する人々で都市の治安は不安定になりました。秘密警察による反政府活動の取り締まりも厳しいものでした。
 こうした国王の独裁に対して異議を唱えたグループの一つが、ホメイニー師を中心とするゴムの宗教者たちでした。
 宗教と政治の分離を唱えたシャーは、人々に対して影響力を持つ宗教者たちの力をそぐために様々な形で弾圧を加えていました。ホメイニー師はこうしたシャーの国内政治や、シャーのアメリカやイスラエル寄りの外交路線に対して批判を展開しました。


 革命は、決してイスラーム政権を打ち立てるためのものではありませんでした。革命初期には共産主義勢力、宗教勢力、反米勢力などいくつかのグループが、独裁政権打倒を目指したものであり、人々の様々な思惑を一つにして急速にイラン全土に広まりました。
 こうした反シャー運動を展開する各グループの中でも、ホメイニー師の掲げる「社会における正義の確立」「被抑圧者の救済」という思想は人々に大きな影響を与えました。
 ホメイニー師の影響力を恐れたシャーは、まずホメイニー師を逮捕、トルコに追放しました。ホメイニー師はその後イラクのナジャフに住み、そこからイラン国内の宗教勢力に指示を与えました。後にナジャフからフランスに追放されましたが、フランスからも電話などを通して人々の反国王運動、革命運動を指導しました。

 イラン・イスラーム政権にとって革命運動の成功の象徴がこのホメイニー師の帰還なのです。

 イランではこの日から革命記念日までの10日間、革命記念行事一色になるのです。




 私もホメイニー師のイラン帰還をテレビのニュースで見た記憶があります。「革命」とは歴史の本の中でのみ起こる事柄だと考えていた小学校低学年の私にとって、目の前で(テレビのブラウン管ですが)起こっている「革命」に驚いたものでした。
 私ははっきりと覚えていないのですが、私がお世話になっている日本の先生によると、「エール・フランスのタラップをぺたぺたと下りてくるホメイニー師が、サンダル履きだったことが非常に印象的だった」とのこと。思わず笑ってしまうエピソードでした。
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2005年 01月 31日 |
 テヘラン大学では昨日の日曜日から新学期が始まりました。
 学生たちがそれぞれの学科の掲示板の前で新学期の時間割をメモしたり、登録のために事務室を訪れたりしてにぎやかでした。

 大学内で先生を捜してうろうろしている時に、いくつかの張り紙に気がつきました。
 一つは、学科事務室の扉に貼ってあったもので、「試験の結果についての質問や抗議は一切受け付けません。先生が採点し、教務課に提出したものであり、事務室は一切関係ありません」というような内容でした。いかに学生が試験の点数のことで抗議に来るかということが分かる張り紙でした。
 私が教授たちの会議が終わるのを待っている間にも、試験の点数に関して疑問のある、あるいは抗議のある学生が何人も会議室の前でうろうろしては、用足しのために出てくる先生方を捕まえては抗議を行っていました。

 もう一つは、教室の扉に貼ってある手書きの張り紙で、試験に際しての注意書きでした。

 それによると、携帯電話使用者は全ての試験の点数をなしにするとのこと。誰か携帯電話を使ってカンニングをしたので、急遽こうした張り紙をしたのでしょうか。

 しかし考えてみたら、こちらの女性はみんなコートを着てスカーフをかぶっています。その上からさらにチャードルを着ている人も多いです。マナーモードにして、ハンズフリーのイヤホンをスカーフの下に隠してしまえば、携帯電話によるカンニングはしたい放題なのだろうと思います。
 そして、そうしたカンニングに気付いたとしても、男性教授や職員は女子学生に対して身体検査をすることはできません。学生がしらを切り通せばそれでおしまいです。女性職員を呼んでくる間に証拠隠滅はできてしまうでしょう。

 万引き商品をチャードルの下に隠して店を出て行くおばさんを見て以来、女性のベールの下には何が隠されているか分からないとついつい思ってしまうのでした。


 文学部では、試験の結果が一覧になって掲示板に張り出されます。自分の成績が誰の目にも明らかなわけで、これはちょっと嫌だなあと思いますし、できるだけ良い点数を取りたいと思う学生たちの気持ちも分からないでもありません。
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by sarasayajp | 2005-01-31 02:37 | いろいろ |
2005年 01月 30日 |
 先日、ある人に問い合わせのためのメールを出しました。
 特に何も考えずに、件名を「こんばんは」として出したのですが、その方からの返信の最後に、「『こんばんわ』が正しいのだと思っていましたが、辞書で調べたら『こんばんは』が正しいのですね。勉強になりました」と添えられていました。

 私は、私の送ったメールの件名を見て、「おや?」と思い、その方が辞書を調べたということにちょっと驚きました。
 自分の書き物をする時の態度を振り返った時に、日本語でもペルシア語でも、「これで良かったっけ?」と思った時にちゃんと辞書を引いているとは言えないからです。
 疑問に思った時、自信がない時など、きちんとそれを調べておかないと身に付かないことは重々承知していながら、最近は面倒だと思う気持ちが先に立ってしまい、きちんと辞書を引いて調べるという作業をおざなりにしている自分に改めて気付いたのです。

 ネイティブチェックをしてくれた人にもよく、同じ間違いを繰り返していると指摘されました。これは、チェックをしてもらった原稿を機械的に訂正するだけで、自分がどこを間違えたのか、どうすれば正しい、ペルシア語らしい表現になるかということを全く気にしていなかったということです。

 そういう、基本的で大切なことを思い出させてもらったメールでした。



 私自身、日本語を正しく使えているかといえば全く自信がないので、ら抜き言葉を使われても、敬語がおかしくても、こんにちわと書かれてもそれほど気にはしないのですが、メールをもらう中でどうしても気になることが一つあります。

 この時期になると、イランを旅行したいという学生さんから、アドバイスなどを求めるメールがちらほら舞い込みます。彼らの多くは大学で教えている私の知り合いから紹介されてメールをしてくるのですが、「初めまして○○○です♪」などと書いてくるのはちょっとどうかと思ってしまうのです。自分がよく知っている先生の友だちだから、と親しみを持ってくれているということなのか、何も考えていないのかよく分かりませんが、初めての人に対する、それも問い合わせのためのメールなのに、これはないだろうと思うのですが、私の頭が固いのでしょうか。ちょっと悩むところです。目くじらを立てるほどのことでもないでしょうが、最後の「♪」はちょっと余計じゃないかと思うのです。

 ブログのコメントはまたこうしたメールとは別な媒体だと思うので、♪を使おうと顔文字を使おうとこれは全然平気なのですけど。
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by sarasayajp | 2005-01-30 08:31 | いろいろ |
2005年 01月 29日 |
 イラクで行われる選挙の在外投票が始まりました。
 イラク難民の多いイランでも国内の何カ所かに投票所が設けられています。
 イラン国内のニュースを見ていると、この数日、この選挙とカルザイ大統領訪イランにガディール・ホンムのことばかりです。

 イラン国内のイラク人がどれほど選挙に行くのか、投票が終わってみないと分かりません。イラン国内のイラク人の多くが、あまりに不安定なイラク情勢に、未だ帰国の決意ができない状態です。彼らが選挙によって国内が安定すると考えているのか、かえって混乱を引き起こすと考えているのか、残念ながらほとんど伝わってきません。

 イラク国民の過半数を占めるシーア派がこの選挙によって政権を担うであろうこと、そして同じシーア派であることからイラクに対する影響力が行使できるであろうことを期待しているイラン政府は、今回の選挙が正当なものであり、いかに素晴らしいものであるかを宣伝しています。しかし、この選挙に対してイラン国民の多くは無関心であるように思います。第一、同じ12イマーム・シーア派であるとはいっても、これまでの歴史的経緯から、彼らはイラク人であり、自分たちはイラン人であると考えているのですから、イラクの政権がシーア派になろうとスンニー派になろうと、あまり自分たちには関係ないと考える人の方が多いようです。

 イラン政府が警戒していることの一つは、クルド人が政権内で大きな立場を占めることであるように思います。クルド人の自治権が大きくなり、それによってイラン国内のクルド人の動きが不穏化することを警戒しているのです。
 現在は、イラン国内のクルド人もそれほど独立に対する活発な活動を行っていませんが、イラク国内の動きによってはどうなるか分かりません。このため、シーア派に絶対多数派になってもらいたいのでしょう。


 東西の国境を接している二国が未だに不安定であることがイランに対してどのような影響を及ぼすのか、安定したならどうなるのか、私にはよく分かりません。
 第一隣国の心配をする前に、イラン自身、春に行われる大統領選挙がどうなるのか、未だに立候補予定者も明らかでない状態です。
 テレビやラジオのニュース、新聞などでは盛んに両国のことを報道していますが、多くのイラン人はイラクのこともアフガニスタンのことも、そしてイランの政治に関してすら興味を失っているようです。以前は政治に対して活発な意見を述べていた大学生ですら、政治には失望し、関心を失っています。しかしここがイラン人らしいと思うのですが、色々と悲観的なことを口に出して文句を言う割に、妙に将来に対して楽観的であるようにも見えます。「なんとかなるさ」
 歴史的に困難な状況を何度も乗り越えて、なおかつイラン人であり続けた人たちですから、確かに何とかなるのかもしれません。
 核問題に関連したアメリカの攻撃的な態度も、イラクやアフガニスタンの混乱も、自分たちとは関係ない遠い世界のこと。自分たちは何とかなるさ。そんな雰囲気を感じる今日この頃です。
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by sarasayajp | 2005-01-29 15:00 | イラン人 |
2005年 01月 29日 |
 今日はバフマン月10日、ズィー・ハッジャ月18日、1月29日

 今日はガディール・ホンムの日です。

 これまでにも何回かお話ししているように、シーア派は、預言者ムハンマドの甥で娘婿であるアリーとその子孫こそが預言者の後継者であると信じることが基本となっています。
 シーア派の人々は、ヒジュラ暦10年に預言者が生涯最後のハッジを行い、マディーナへ帰る時に、ガディール・ホンムというところで、娘婿アリーを後継者に指名したと信じており、この日を記念して祝います。

 実際には、預言者の死後、イスラーム教団(ウンマ)の指導者としての役割は、ウンマの中の有力者が選挙によって選ばれました。これは預言者のスンナ(慣習)に従ったもので、ハリーファ(カリフ)=代理人と呼ばれました。こうしたハリーファの選び方が正しいと信じる人たちがスンナ派(スンニー派とも)です。

 アリーも四代目のハリーファですが、ウマイヤ家という有力者と対立し、暗殺されてしまいます。そしてウマイヤ家は、選挙によらず、実力でハリーファの位を奪ったのです。この後、ハリーファは世襲となり、選挙で選ばれることはなくなりました。

 シーア派にとって、アリーまでの四人のハリーファには敬意を払いますが、ウマイヤ朝以後のハリーファについては簒奪者であるとして認めません。
 シーア派の人々の間では、ガディール・ホンムで預言者自ら後継者としてアリーが指名されたのに、年齢が若かったために指導者として認められなかったのだと信じられています。

 シーア派の人々にとって、今日は、自分たちの最初の指導者が、預言者という権威によって後継者に指名された大切な日なのです。
 イランでは二日も前から、ラジオでもテレビでも「ガディール・ホンムおめでとう」という番組ばかりです。そして、このめでたい日に合わせて、大学生の集団結婚式も行われます。これについてはまた後日お話しします。
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2005年 01月 28日 |
 これも乗り合いタクシーに乗っていた時の出来事。

 大学から家へ帰ろうと、乗り合いタクシーの乗り場へ行ったのですが、なぜか私の住む地区行きのタクシーが全くやってきません。
 タクシーの乗客をさばく差配人が、何とかしなくてはと思ったのでしょう。ちょうど通りかかった空のタクシーに何事か交渉し、すったもんだの挙げ句、そのタクシーが行ってくれることになりました。

 ちょうど昼食時で道路は大渋滞。
 タクシーに乗るまでにさんざん待たされていた他の乗客はかなりいらいらしています。そしてタクシーはそのままガソリンスタンドへ向かいます。
 一人の乗客の男性は激怒です。
「私はカーレ・ゼンデギー(重大な仕事くらいの意味)があるんだ。もしガソリンスタンドに寄るのなら、我々が乗る時にそれを言うべきだ!そしたらこの車には乗らないで他の車に乗ったのに!」
 しかし、こんなことはイランでは当たり前です。
 観光地の観光用タクシーでさえ、お客を乗せてからガソリンスタンドへ給油に行くのは当たり前のことです。日本のようにお客を待たせてはいけないという考え方はほとんど見られませんし、お客の方でもそのくらいのことに目くじらを立てたりしません。

 ぶつぶつと文句を言い続けるお客に運転手も言い返しています。
「こっちだって、本当はお客なんか乗せるつもりはなかったんですよ。ガソリンを入れなきゃいけないからって最初っから断っているのに、差配に頼まれたから客を乗せたんだから」

 彼がぷりぷりと怒りながら降りた後、残ったお客が呆れたように言いました。
「イランで5分や10分遅れたからって、あんなに怒らなきゃいけない仕事ってあるのかねえ」
「彼は長生きできないね」
「大体、他の車なんてなかっただろうに」
 全くその通りです。たとえ遅刻をしても、「いや~渋滞がひどくって」で済んでしまうのですから。ただ、5分10分にかりかりする必要はないかもしれないけど、約束はちゃんと守って欲しいと、大学に行ったものの先生に約束をすっぽかされた私は思ったのでした。
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by sarasayajp | 2005-01-28 13:11 | イラン人 |
2005年 01月 27日 |
 論文を書き終えて、頭がぼーっとしています。
 何となく時間をもてあます感じで、この数日、部屋の掃除やら買い物やらこれまであまりできなかったことをしています。

 哲学やら神学やら道徳やらの頭が爆発しそうに面倒な本ばかり読んでいたので、ちょっと気分を変えて、ベッドでごろごろしながら読める本をと思い、ずっと前に買っていながら読む機会がなかったイランの民話集を読み始めました。
 各地の老人から採集した民話が現地の言葉とペルシア語訳で書いてあって、なかなか興味深い本です。
 内容も、世界各地の民話と似た内容だったり、同じような筋立てでも結末が全然違っていたりでおもしろいものです。

 その民話集の中から短いお話しを一つご紹介しましょう。胡蝶の夢をちょっとだけ思い起こさせるお話しです。
 翻訳がぎこちないかもしれませんがお許し下さい。

ナーデルの物語
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by sarasayajp | 2005-01-27 21:40 | いろいろ |
2005年 01月 27日 |
 ようやく口頭試問までこぎ着けた博士論文ですが、最後の最後ですったもんだしてしまいました。
 指導教官一人に副指導教官二人なのですが、何と恐ろしいことに、指導教官と副指導教官の一人に、「代筆疑惑」をかけられてしまったのです。

 ある日、大学内をうろうろしていた私に、論文のネイティブチェックを頼んでいた知り合いが深刻な顔をして近づいてきました。
「さっき、先生が、彼女の論文は君が書いたのかねって聞いてきたんだよ」
「は?」
「だから、君の代わりに僕が論文を書いたんじゃないかって疑っているんだ」
「はあ!?」
「もちろん、自分は彼女のペルシア語を直しただけで、内容には一切タッチしていないって言っておいたけど」
「そりゃ当然でしょ。でも、本当に疑っているならこれまでチェックしてもらった原稿を先生に見せてもいいよ」
「もし本当に信じてもらえなかったらそれしかないよ」
「うん。第一、本当に書いてもらったなら三年も前に終わっているって」
 その直後に先生に会ったもののなんだか不機嫌だったため、言い訳がましいことを言っても仕方がないと事務的な話だけをして帰ってきたのですが、これがどういうことなのかを理解するのに随分と悩んでしまいました。

 で、大雪を押して訪ねた副指導教官の研究所でも言われてしまいました。
「これは誰かが手伝ったの?」
「はあ、ペルシア語のチェックは頼みましたけど」
「そう。資料は全部自分で読んだんだよね?」
「はい。もし誰か別な人が読んだならもうとっくに終わっていますよ」
「確かに」
 もしかしてここでも代筆疑惑が?と思い当たったのは研究所を出てからでした。

 いろいろと誤解があってのことだったらしいのですが、これまで何も言われなかったのがどうして?ネイティブチェックをしてくれている彼には非常に不評な論文なのに、どうして?と、ちょっと悩んでしまったのでした。


 種を明かせば何ということはない、私が謝辞の中で、ネイティブチェックの彼に対する謝礼を書き忘れていたために、先生方が誤解したらしいのですが、それにしてもあんまりなと言いたい話です。
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2005年 01月 26日 |
 移動中の乗り合いタクシーで、聞くともなしに聞いていたラジオ番組で、大気汚染を減らすためにどういった対策を取るべきかという問題について論じられていました。
 パネリストの一人が強調していたのが、太陽光利用でした。
「イランは一年のうち300日は晴れているのです。その300日を有効に利用すべきです。各家庭が屋上などにパネルを取り付け、お湯を沸かしたり、発電をすれば、それだけでも大気汚染が何パーセントか軽減できるのです。最初の設置にお金がかかるかもしれませんが、それでもこれは検討すべきです」
 というのがその要旨でした。

 これを聞いて、以前留学生の間でこれと同じようなことが話題になったことを思い出しました。

 イランの国土うち、全く利用できない土地がかなりの割合を占めます。この荒れ地に太陽電池パネルを敷き詰めたら、雨がほとんど降らないのだし、土地の有効利用になるのではないか、と笑い合っていたのでした。
 風力発電に関しては実験が行われているようですが、太陽光や地熱に関しては取り組みがあるのかどうか聞いたことがありません。

 もっとも、各家庭に太陽光利用を勧めても、ガスや電気代が安いこの国で、設備費をかけてまで設置が進むかどうかかなり疑問があるのも事実です。
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by sarasayajp | 2005-01-26 18:27 | いろいろ |
2005年 01月 26日 |
 今日はバフマン月7日、ズィー・ハッジャ月15日、1月26日

 今日は12イマーム派第10代目イマーム・アリー・ナキーの誕生日です。
 彼はイランでは、イマーム・ハーディーとも呼ばれています。

 イマームに関しては書くことがだんだんとなくなってきたのですが、預言者とその娘ファーティマ、そして12人のイマーム(これをイランでは14人の清らかな人(Chahardah ma’sume)と言います)についての子供向けの読み物を見つけたので、その中からイマーム・ハーディーについて書かれたものをご紹介しましょう。彼がイマームの位につくまでの部分です。

イマーム・ハーディーの物語~誕生編
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