イランという国で
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2004年 12月 31日 |
 2004年も今日で終わり。明日から新しい一年が始まります。
 というのは西暦を使っている国のお話し。イランではイラン暦を採用しているため、正月は春分の日です。文字通りの「新春」です。

 ということでこちらでは年末年始の気分は全くありません。
 それどころか、仕事で訪れた市内の高級ホテルでは、まだクリスマスツリーが飾ってあったりして、がっくりきてしまいました。
 それにしても、ほぼ国営のホテルで「西欧の」習慣であるクリスマスの象徴であるツリーが堂々と飾られるようになったのだなあと、この数年のイランの変化には感慨深いものがあります。

 実はこの一年は、私にとってあまりいい年ではありませんでした。そのほとんどが個人的なことなのでここであげるほどのこともないのですが、小さな嫌なことも積み重なるとやはり厳しいのだなあということを実感した年でした
 そんなちょっと暗い一年でしたが、良いこともありました。
 一番の収穫は、新たに素晴らしい友人が(と私が勝手に思っているだけかもしれませんが)できたこと。ブログを通して、イランに少しでも親しみを持ってくれる人に出会えたこと。
 論文を書くという作業のために家に引き籠もった生活をせざるを得なかったのですが、それでも様々な出会いを作り出してくれたネットというものに感謝です。

 これからの一年が私にとってどんな一年になるのか全く分かりませんが、いい年であって欲しいと思います。もちろん良いものにできるように努力はしますけど。
 皆様にとってもこれから迎える一年が、幸せなものでありますようお祈りしています。
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by sarasayajp | 2004-12-31 14:59 | いろいろ |
2004年 12月 30日 |
 イラクでもサウジアラビアでもテロ。

 彼らは「神」の名をテロの大儀によく使っています。しかし神はそのようなことを許しているでしょうか。ムスリムが罪のないムスリムを殺すことは最大の罪であるはずです。そのような人物は最後の審判で必ずや地獄へ落とされるとされていたはずです。非ムスリムについても、「戦いをやめようよ」と言ってきた相手には寛容であれと神は教えていたはずです。


 私はよくイラン人のことを「へぼへぼ」と言います。これは悪口なのですけども、決して悪い意味だけではありません。
 彼らは臆病で猜疑心が強く、自分の利益のためになることをまず考える嫌な人たちです。その一方で、家族への愛情や友人となった人への友情を惜しみなく見せてくれます。

 臆病だから暴力を伴うような喧嘩や戦争は嫌だし、自分の利益と家族のことを考えたらやはりできるだけ安全なところにいたい。頭が回って口の達者な人たちが多いので、口げんかはしょっちゅうですが。それでさえ、周囲の人たちがなだめて、完全に決裂してしまわないように持って行くのですから上手いものです。

 プライドが高くてどこか芸術家肌で、そのくせどこか抜けていて、それでいて小ずるいところもあって。何年住んでいていてもよく分からない人たちですが、彼らが戦争やテロに向いていない人たちだということは分かります。イランに住み始めて感じたことは、「どうしてこの人たちが8年も戦争をしていられたのか、どうして負けなかったのか分からないなあ」でした。もちろん好戦的なイラン人も、何かしらの信条のためにテロを容認する人もいますが、全体的に見ると「へぼへぼ」な色が強いように感じます。

 各地でテロを行っている人たちも、イラン人のようにへぼへぼだったら自爆テロなどできないだろうにと思うのです。
 「生きて家族と一緒に暮らすことが一番」と思ってくれたら、「生きてお金持ちになりたいね」と思えたら、「血を見るのは怖いから嫌」と素直に思えたならと。

 イスラームの登場後、アラブ人、トルコ人、モンゴル人など様々な人たちに支配されてきたイランですが、たとえ誰に支配されていても彼らはイラン人であり続け、最終的に、文化的には支配者を支配してきました。
 月並みな言い方ですけど、暴力は暴力しか呼ばないというのは本当だと思うのです。現代世界では難しいかもしれませんが、イラン人の「負けて勝つ」生き方は武力に劣る国の一つのあり方を示しているように思うのです。

 預言者のハディースによると、「聖戦」に赴く際は必ず両親の許可を取ることと、預言者が聖戦に参加しようとした若者に言ったそうです。「家族を大切にすること」がイスラームの基本であるはずなのに、どうしてそれをゆがめてしまうのかと、テロリストたちの主張を聞く度に暗い気分になってしまうのです。
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by sarasayajp | 2004-12-30 14:44 | イラン人 |
2004年 12月 29日 |
 今回の調査旅行中もそうでしたけど、イラン国内を旅行していて厳しいのは、長距離の移動だけではありません。

 イランでは「家で食べるご飯が一番」ということで、外食文化がかなり貧弱であるということは以前にもお話ししました。
 それでも都市部ならまだなんとか、多少のバリエーションを持たせることができるのですが、地方へ出ると大変です。

 食堂のメニューは、「チェロウ・キャバーブ(ご飯と挽肉の串焼き)」「ジュージェ・キャバーブ(鶏肉の串焼き)」「「チェロウ・モルグ(ご飯と鶏の煮込み)」の三種類くらいになってしまいます。ちょっと良いところですとここに、もう一種類くらいキャバーブが加わったりしますが、味付けは一緒なのでちっとも変化になりません。そして運が良ければ魚のフライがありますが、内陸部の食堂では鮮度に問題があるので食べる気になれません。そしてさらに運が良いとホレシュ(シチュー)がありますが、これもなかなか見つかりません。
 大体、イランの食堂やレストランは、メニューは沢山お品書きが書いてあっても、実際には上にあげた三種類の料理しかない、ということがあまりに多いのです。
 沢山のメニューを用意するのは手間がかかりますし、材料費もかさみます。それよりは、簡単な食材と調理法で済む上の三種類だけで経営をした方がいいということなのでしょう。
 おかげで、レストランに入ってまず確認することは、「ここに書いてある料理は全部あるの?」です。

 朝食は宿でパンとバターとジャム、チーズ、お茶。
 そして昼食と夕食を上に上げた三種類から選ばなくてはなりません。これははっきり言って苦痛です。
 三日くらいの旅行ならまだ我慢できても、これが三週間くらい続く調査だと難行苦行のレベルです。肉が苦手な人、同じメニューが続くのが駄目な人は、イランの旅行中にかなり体重が減るようです。

 それにしても、魚料理があるカスピ海岸やペルシア湾岸でも、結局のところ、レストランや食堂で食べられるのは魚のフライだけ、というのがイランのつらいところです。

 ある日本人研究者が言ったという、「イランは外食文化果つる地」という表現がまさしくぴったりなのではないかと思うのです。
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2004年 12月 28日 |
 友人からのメールや、コメントいただいた中にもありましたが、日本のスポーツ紙などが、3月にイランで行われるワールドカップアジア予選の対イラン戦について、「女性サポーターは服装規定を守るように」と在テヘラン日本大使館が注意をした。という記事を載せたそうです。

 友人によると、「サラならきっと鼻で笑っちゃうような内容だよ~」ということなので、記事を覗いてみました。
 なるほど、ちょっと「この記事は何?」と思うようなものでした。

 「イランはサウジアラビアなどと並んで服装規定が厳しい国である」
 まあ、これは否定できません。しかし次です。
 「同国の女性は屋外では黒い民族衣装で顔以外を覆い隠すが、こうした習慣は外国人には浸透していない」
 意図不明です。
 この「黒い民族衣装」とはチャードルを指すのでしょうか?確かにチャードルを着る女性もいますが、スカーフとコートという女性の方がテヘランでは圧倒的に多いので、日本大使館員がもしこう発言したのだとしたら、テヘランのどこを見てそう言ったのかちょっと疑問です。これではまるでチャードルをかぶらないとイランに入国できないかのようです。
 それから「こうした習慣は外国人には浸透していない」とはイラン国外の人々はこの習慣を知らないということなのか、イランに住む外国人が服そう規定を守っていないということなのか、一瞬悩みます。次の文章で、「イラン国外では知られていない」という意味だと分かりますが、それにしてもひどい表現です。

 そして「服装は黒で、肌は出さないように、素足も不可」という指導が日本大使館から出たそうですが、これも決して間違いではないですけど中途半端です。この指導に従ってイランに来た日本人女性は空港で入国を拒否される可能性が高いです。

 指導するのならちゃんと正しい情報を与えて、標準的な服装を示すべきだろうにと思ったのでした。

 イランにいらっしゃる女性は、まず、スカーフをかぶって髪を隠し、あまり体型があらわにならないような、最低でも膝丈くらいある長袖のコートを着て、足首までしっかり隠れるズボンをはき、必ず靴下あるいは黒いストッキングをはいてください。帽子で髪を隠すというのは不可です。必ずスカーフをかぶってください。素肌が見えなければサンダル履きでも問題ありません。
 男性でも、半袖・短パンは避けた方がいいです。もっとも試合の日はまだ寒いのでそんな格好はできませんけど。

 これから外務省によってちゃんとこうした服装指導が出されるのかもしれませんが、まとめてみるとこんなところでしょうか。

 しかし、こうした服装指導の前に、「女性がスタジアムには入れるのかどうか」を確認するのが先ではないかと思うのですが、どうなのでしょう。何と言っても、「スタジアムは女性厳禁」という国なのですから、いくらワールドカップ予選でもその規制がはずされるとは限らないのですから。
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by sarasayajp | 2004-12-28 22:35 | いろいろ |
2004年 12月 28日 |
 今回のような調査旅行中、一番トラブルになるのがタクシー代です。
 全ての運転手がそうだというわけではないのですが、観光地の運転手(に限りませんが)には、「外国人からは沢山取ってもいい」と思っている人もいて、言い合いになることもしばしばです。

 お客を案内している時などはなるべくおとなしく、「私は適正価格を知っているんですけど、それはおかしな金額でしょう?」と穏やかに交渉するように努めているのですが、今回のように知り合いと一緒の場合、ついつい「売られた喧嘩はきっちり買うぞ」という性格が顔を出し、激しい言い合いをしてしまったりします。

 今回も一度やってしまいました。その結果、同行者A氏に「いや~、迫力ありますねえ」と感心されてしまう始末。
 喧嘩をしている時は文法といったものを一切気にせず、言いたいことをべらべらとまくし立てるだけなので、私が一番流暢にペルシア語を話すのは、実は、喧嘩をする時だと言われているくらいです。

 東洋人で女性だというだけで、きちんとした対応をしてくれない人を相手に喧嘩をしたところでどうしようもないし、外国人はイラン人より金を持っているからイラン人よりも多く取ってもいいと考えている人に適正価格を説いたところでやはりどうしようもないのですけど、ついつい戦闘モードになってしまいます。

 もっとも、イラン人の外国人に対するぼり方など、エジプトやトルコの観光地に比べるとずっとかわいいものですし、正直な人の方が多いのですけど。
 本当なら60万リヤール(約68ドル)のところを70万(約80ドル)と言ってみようかな、というくらいのふっかけ方ですし、日本円に直せばそれほど大きな金額ではないので大げんかをするほどではないのかもしれないのですが。

 よくよく考えてみたら、いくらガソリンと人件費が安いからといって、タクシーで500キロメートルを移動して50万リヤール(約55ドル)というのは、日本の物価から考えればとんでもなく安いわけで、自分のためならともかく、どこかしらの予算を取ってきた日本人のために喧嘩をするのは実は大人げないのでは、と喧嘩の後にはいつも悩んで、落ち込んでしまうのです。
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by sarasayajp | 2004-12-28 03:06 | いろいろ |
2004年 12月 27日 |
さて、また調査旅行の話です。

 ファールス州の中をぐるぐると走り回って、二日目の夜、シーラーズの町へたどり着きました。町中電飾できらきらしていて、ちょうどクリスマスイブだったこともあり、日本人研究者A氏が私に言いました。
「クリスマスだからこんなに飾り付けているんですか?」

 いくら自由化が進みつつあると言ってもそれはありません。
「いえ、エマーム・レザーの誕生日だからです」
「そうですか、また随分と紛らわしい日に生まれたんですね」
「いえ、今年はたまたまです。イスラーム暦は毎年ずれますから」

 イスラーム暦は太陰暦なので、一年の長さが太陽暦よりも約11日短いのです。そのため、毎年暦が西暦に対してずれていきます。今年はたまたまエマーム・レザーの誕生日がクリスマスシーズンに重なってしまいましたが、来年はもう11日ほど早い日に誕生日がやってきます。

 ところでこのエマーム・レザー(アラビア語ではイマーム・リダー)とは誰でしょうか。
 彼はイスラーム・ヒジュラ暦148年ズィー・カアダ月11日(西暦765年12月29日)にマディーナ(メディナ)で生まれました。彼の本名は、アリーといい、リダーとは異名です。
 30代半ばで父である第7代目イマーム・ムーサー・カーズィム(ペルシア語ではカーゼム)の死によりイマームの位につきました。彼はイマームとして、マディーナを中心に弟子たちにイスラーム学を教えていました。
 彼は非常に穏やかな性格で、全てのことに満足を感じることができる人物でした。そのためにリダー(ペルシア語ではレザー=満足の意)と呼ばれました。

 彼はホラーサーン地方(イラン東北部からアフガニスタン、中央アジアにかけての地域)のシーア派信徒たちの招きにより、彼らにシーア派の学問を授けるため、イランへ向かいました。
 当時イスラーム世界を支配していたアッバース朝のカリフは、彼がシーア派信徒たちを率いて反乱を起こすのではないかと心配し、彼がイランへ行くことに反対をしましたが、最終的にいくつかの条件を付けて承諾し、イマーム・リダーはホラーサーン入りしました。

 彼はホラーサーンで二年ほどシーア派信徒たちに学問を教えて過ごしましたが、やはり不安要素をなくしてしまおうと決意したアッバース朝のカリフ・マアムーンにより、彼は毒殺されました。享年55歳であったと言われています。

 イマーム・リダーが葬られたマシュハドには、壮麗な廟が建てられ、イランにある唯一のイマーム廟として、イラン国内や周辺諸国のシーア派信徒たちが巡礼に訪れる場所となっています。

 現在のレザー廟は、イランにおける宗教学の一大センターとして、イスラーム学の中心地の一つであり、また巡礼者が多く訪れる観光都市でもあります。
 レザー廟の地下は一大墓地となっており、イマーム・レザーの近くで来世を迎えたいと願う人々が各地からここに運ばれ、葬られています。

 イスラームでは死者を埋葬する際に、決まった形をした経帷子を着せます。イラン国内のシーア派信徒には、このマシュハドともう一つの宗教都市ゴムで作られた経帷子が最も人気があり、巡礼土産として自分や近親者のためにと経帷子を買って帰る人もいるそうです。日本ではちょっと考えにくいおみやげです。
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2004年 12月 27日 |
 計四日ほどPCをほったらかして旅行をしている間に、メールボックスに随分とメールが溜まっていました。
 旅行に出ている時に限ってメールが増えるのはなぜでしょう。

 昨日は一日そうしたメールへの返信と、あちこちへの電話連絡でした。

 こうした作業自体は、家を空けていたこちらの責任ですのでべつにどうということはないのですが、少し気になるメールがありました。

 私が以前に本文の一部を執筆した本が再版されるという連絡メールでした。
 執筆者全員に一括で同じ文面を送ったからでしょう。宛先欄に全員のメールアドレスが表示されていました。
 出版社ともあろうものが、メールアドレスという個人情報に対してこの程度の意識なの?と驚いてしまいました。普通はCCだと思うのですが。
 執筆者の多くは知り合いで、お互いにメールアドレスも知っているとはいえ、だからといって個人情報を公開していいという問題ではないと思うのですがどうなのでしょう。思わず自分の常識の方がおかしいのかと疑ってしまいました。


 話はちょっと違いますが、私にメールを送ってくださる方の中に時々、恐らく夫のメールアドレスを使っていらっしゃる方がいます。もしかしたら夫の名前をアドレスに利用しているだけなのかもしれませんが、こういう方からのメールはちょっと返事を出すのを思わずためらってしまいます。もし本当に共有アドレスだった場合、夫と自分の個人情報を分ける気がないのか、それとも自分の名前を隠したいからなのかと。どちらにしても返事をすることに気の重さを感じないではいられないです。


 またちょっと話が変わりますが、私はいくつかのメールアドレスを使い分けています。その中で一番古くから使っていて多くの人が知っているアドレスには、これまでにほとんど迷惑メールが来たことがありません。またこのブログで公開しているアドレスも、意外とおかしなメールは来ません。
 ところが、イラン国内でつい最近使い始めた、知っている人が恐らく一番少ないであろうアドレスは毎日ものすごい勢いで迷惑メール、ウィルスメールが送りつけられてきます。一体どうやってこのアドレスを知ったのやらと不思議でなりません。

 個人情報の管理というのは難しいものなのだなあと、思い知った今日この頃です。
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by sarasayajp | 2004-12-27 03:19 | いろいろ |
2004年 12月 26日 |
 何日か予告なしにお休みして、ご心配をおかけしてしまったようで申し訳ありません。

 実は、日本からいらした研究者の方と一緒に、ファールス州(イラン南部にある州世界遺産のペルセポリスのあることで有名な州)にある古代遺跡の調査に行っていました。

 ファールス州というのがイランでも大きな州の一つで、この大きな州の中にイスラーム以前の古代イランに関係する遺跡が点々としています。その点在する遺跡を求めて、車を雇って走る走る、そして自分の足でも歩く歩くで、非常に疲れる調査でした。おもしろくはあったのですが。
 特に初日と二日目は、それぞれ一日で500キロメートルずつを走破。ぐったりとした三日目には、300キロメートルを走り、3キロメートルに渡る急な崖のような斜面を自分の足で登り、すっかり筋肉痛です。
 三日間の走行距離1700キロメートル。やっぱりイランは広いです。国土の面積でいえば日本の四倍はあるのですから当然ですけど、乾燥した水のない土地で、人が住める土地は限られていて、町と町の間が100キロメートルくらい離れているということもあるのですから、移動だけでも大変です。
 ひたすらに続く土漠と、その向こうに見える雪をうっすらとかぶったザグロス山脈と、そこを延々と続くアスファルトの道路。時々現れる村とその周辺にだけナツメヤシの林と柑橘類の果樹園。「オアシス」という言葉が本当に身に迫るものとして感じられます。比較的季候の良い冬でもそう感じるのですから、気温が50度に迫ろうかという夏など、町や村の緑がどれほど嬉しいか分かろうというものです。

 それと、何が大変といって、あまりに広々としているために物陰がなくて、町や村にたどり着くまでトイレ休憩がなかなか取れないことと、昼食を取るための食堂すら大きな町まで行かないとないということでした。初日はお昼抜き、三日目は昼食が4時頃というなんだかものすごい状態でした。

 そんなこんなで、もともとクリスマスなどという言葉とはほとんど縁のない国なのですが、とてもハードなクリスマスを過ごしてしまったのでした。
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by sarasayajp | 2004-12-26 15:39 | いろいろ |
2004年 12月 21日 |
 昨夜はシャベ・ヤルダーで、夜更かしをした人が多かったはずです。
 そのため、今日の午前中はあちこちで寝不足気味の人が多かったようです。

 大学ももちろん平日ですから、シャベ・ヤルダーの翌日だからといって授業は休みになりません。
 しかし学生たちは、示し合わせて授業をさぼったりします。
 自分だけが休むのは嫌なので、何人かが積極的にクラスのみんなに圧力をかけて、全員で一斉に休んでしまうのです。
 普段は人と協力することは苦手なのに、こういう時だけは団体行動ができるようです。

 私も日本ではよく授業をさぼって遊びに行っていたので、あまり人のことは言えないのですが、休むなら自分だけ休めばいいのに、どうして人を巻き添えにして休まなければいけないのだろうと、ちょっと不思議なのでした。


 もちろん、こんな風に団体で授業をさぼるのはごく一部の学生で、ほとんどは真面目に授業に出ています。でも、今日はさすがに欠席率が高かったようです。
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2004年 12月 20日 |
 街中で、スイカを荷台一杯に載せた軽トラックを見かけ、八百屋の店先にもやたらとスイカが並び、「なんで今日はこんなにスイカばかり目につくんだろう」と考えてみて思い出しました。

 今晩はシャベ・ヤルダーなのです。

 シャベ・ヤルダーとは「冬至の夜」のことです。
 今晩は一年で最も夜が長い日です。

 イランでは、シャベ・ヤルダーに家族が集まり、長い夜を一緒に過ごす習慣があります。
 日が落ちて、普段は別々に暮らしている家族が子供を連れておじいさん、おばあさんの家に集まります。

 そこでふるまわれるのは、まずは沢山の種類のナッツ類。これをぽりぽりと食べながらその家の家長を囲んで、ひとしきりおしゃべりに花が咲きます。お菓子や果物も次から次へとふるまわれます。

 夜が大分更けてきたところでようやく夕食です。みんなでごちそうを囲みます。

 食事が終わるといよいよスイカの登場です。

 なぜ冬至の夜にスイカなのか?これにはいくつか説があるようです。
 イランには「熱(garm)」と「冷(sard)」という概念があります。食べ物も全てこの二つに分類されています。熱を生み出すと考えられている食べ物は「熱」で、体を冷やすと考えられる食べ物が「冷」です。民間療法などでは今でもこれに従って食事療法や薬草の調剤をします。

 スイカは「冷」に分類されています。「冬至」という最も太陽の「熱」が弱い日に、「冷」の食べ物を食べ、マイナスとマイナスをかけることによりプラスに転じるようにする。というのがよく行われる説明の一つです。

 もう一つの説明が、「夏」のシンボルとも言えるスイカを「冬」の最初の日であるシャベ・ヤルダーに食べるのだというものです。こうして早く冬が過ぎ去って暖かくなるようにと願うのだ、というのです。

 夜遅くまで、おしゃべりをしたり、ハーフェズ占いをしたりして、一年で最も長い夜を家族で集まって過ごすのです。

ちなみに
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