イランという国で
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2004年 10月 31日 |
 ラマダーン中に増えるもの。

 食料品の消費量、交通事故、そして物乞い。

 ラマダーン中にあちこちで目につくようになるものの一つに、物乞いがあります。

 ラマダーン中に行う善行は普段よりも高く来世において評価されるとされているため、この時期は、エフタールを親戚や友人にふるまうことに始まって、エフタールをモスクや聖者廟でふるまったり、養護施設や老人ホームでエフタールをふるまったり、集会場や学校で子供たちを招いてエフタールをふるまうなど、エフタールを使った善行がまず目につきます。

 あるいは、お金を募金箱へいつもより多く入れたり、孤児院やその他事前施設へ寄付をしたり、モスクや宗教施設へお金やものを寄付したりといったことも行われます。

 エフタールが大きくふるまわれている会場には、にわか物乞いも沢山集まってきます。また、道路脇の物乞いの数もこの時期には増えます。

 この時期には持たざる人への同情心が高まっていて、そうした人々に普段よりも快くお金を出す人が増えます。あるいは、最後の審判での得点を稼ぐためにお金を出す人もいます。

 イスラームでは「来世のため」にお金を出したりエフタールをふるまうことは決して「偽善」とは見なされません。自分の来世を畏れて善行を行うことは自分のためではありますけど、宗教的には「意図」を持った行為とされているからです。
 しかし、「ここでお金を出したら、○○さんが自分を高く評価してくれるに違いない」とか、「この地区の人に自分が善行を行ったことを見せびらかそう」と考えて善行を行うことは「偽善」であり、来世においてマイナスポイントになります。これは現世において自分の利益を得ようとする行為だからです。あらゆる行為は、来世での利益のために行われなければなりません。

 こうした考え方に基づいて、自分が善行を行っていることをあからさまにしないよう、エフタールをふるまうという行為ではなく、募金箱にお金を入れたり、物乞いに通りすがりにお金をあげるといった行いを選ぶ人も多いのです。


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2004年 10月 30日 |
 今日はイラン暦アーバーン月9日、イスラーム・ヒジュラ暦ラマダーン月15日、西暦10月30日

 今日はシーア派第二代目イマーム・ハサンの誕生日です。

 彼は初代イマーム・アリーと預言者の娘ファーティマの長子です。

 彼は、自分の血を伝えるものとして預言者に非常にかわいがられていました。

 父であるアリーの死後、預言者とアリーの血を引くものとして、イラクの民を中心に支持を集め、カリフを名乗りましたが、年金をもらうのと引き替えにその権利を、父を殺したウマイヤ朝のムアーウィヤに譲渡しました。

 彼は何度も結婚と離婚を繰り返し、離婚者(ミトラーク)という異名で知られるほどでした。性格も優柔不断で、弟のフサインと衝突を繰り返したと言われています。

 45歳頃にメディナで病死しましたが、シーア派の伝承によると毒殺されたことになっています。


 イスラーム圏には、サイイド(ペルシア語ではセイエド)と呼ばれる、預言者の血を引くとされる人が沢山存在します。サイイドにはこのハサンと弟フサインの血を引く二つの系統があり、本来ならその家系図がないとサイイドを名乗れないのですが、イランでは不思議と自分がどの系統のセイエドなのか知らない人が沢山います。

 イランでは、セイエドだけが身につけることのできる鮮やかな緑色があります。この色の帽子をかぶっていたり、帯を身につけていたりするとその人がセイエドであるということが分かるのです。
 また、ルーハーニー(イスラーム法学者)が頭にかぶっているターバン(ペルシア語ではアンマーメ)も、セイエドは黒い色で、それ以外の人は白いものを巻いていますので一目でセイエドかどうか分かります。

 イラン・イスラーム共和国建国の祖エマーム・ホメイニー師も、ハータミー大統領も黒いアンマーメを巻いています。現在では価値は下がっているとはいえ、やはりセイエドであることは指導者として大切な要素であることを示しているように思います。

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2004年 10月 30日 |
 国際感覚、あるいは常識について考える時、忘れられないエピソードがあります。

 ご存じのようにイランは、「イスラーム共和国体制」をとっていて、そこに住む人は「イスラーム的規範」に従うことを余儀なくされています。
 その一つが女性に対するヘジャーブ着用義務です。

 これに従い、女性はたとえムスリムでなかろうと、外出時には髪が見えないようにスカーフで覆い、体型があらわにならないよう、コートあるいはチャードルを着なくてはなりません。

 非ムスリムがヘジャーブを着用しなかったからといって罰する法律はないのですが、不快な目に遭うことを避けるため着用することが一般的です。まあ、郷に入ったら郷に従えということです。


 ところが、イランに駐在している各国大使館館員や企業駐在員夫人たちにとってこのヘジャーブ着用は苦痛以外の何ものでもないそうです。
 確かに、近くの店までちょっと買い物に、という時でさえスカーフをかぶらなければならないというのは面倒かもしれませんが、それにしても拷問であるかのように文句を言う彼女たちを見ていると不思議な感じがします。
 外国人、特にアジア系の国々の人が日本へ来れば日本の慣習に従うことが当たり前だと彼女たちは言うだろうにと。


 そうしたある日、ヘジャーブ着用にうんざりしたある大使館員夫人が、アメリカの星条旗をコートに仕立てて外出するという暴挙を行いました。


 イランはアメリカとイスラエルを「敵国」として、何か集会があれば必ず「アメリカに死を、イスラエルに死を」とシュプレヒコールをあげる国です。
 そんな国でのこの大使館員夫人の行動はいったい何だったのでしょうか。
 異教徒にヘジャーブを強要するイラン政府への抗議だったのか、ストレス解消のためのパフォーマンスだったのか。私には理解できません。
 もちろんイランでも日本がアメリカべったりな国であることは知られています。それにしてもイラン側を挑発すると取られても不思議でないようなこの行動、呆れないではいられません。たとえ私的とはいえ、イラン人が出席している場です。自分の立場が分かっていないのでしょうか。

 日本を他国へ持ち込むことが「国際人」なのかなあ、と思った出来事でした。


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by sarasayajp | 2004-10-30 00:27 | いろいろ |
2004年 10月 29日 |
 「自分の目で真実を見たいんだ」と言って無茶をするバックパッカー諸氏の話を読んで、「真実とは何だろう」と考えてしまいました。

 自分の目で見たものだけが真実なのか、ということについて。

 少し論点は違うかもしれませんが、思い出した詩がありました。
 ペルシア語文化圏において最も人気のある神秘主義詩人モウラヴィー(12世紀末の詩人で、日本ではルーミーという名で知られています)が、目に見えないものを知ることについて非常に比喩的な詩を残しています。


象の形

暗い部屋の中に一頭の象がいた
インド人たちが見せ物にと連れてきた象だった
多くの人がその動物を見にやって来た
みんなが部屋の暗闇の中へ入って行った
目で見ることができなかったので
その闇の中で象に触れてみるしかできなかった
ところが、一人の手は象の鼻に触れたため
「この動物は水管のようだ」と言った
もう一人の手は耳に触れたため
象の形が扇のように感じられた
また一人の手はその足に触れたため
象の形は柱のように思われた
また一人の手はその背をなでたため
「象とは王座のようだ」と言った
こうして話を聞いた人々には
それぞれの人が触った部分のことしか分からなかった
触ったところがそれぞれ別であったため
ある人はそれをアレフと見なして、ある人はまたダールと考えた(※)
一人一人がろうそくを手に持っていたのなら
皆の言葉が違うことはなかったであろう
目が見るものとは手のひらのようなものであり
手のひらは象の体全体には届かないのだ

  蒲生禮一訳「精神的マスナヴィー」『世界文学大系68 アラビア、ペルシア集』筑摩書房,1964.



(※) アレフもダールもペルシア語のアルファベットの一文字のこと。アレフは数字の1のようにまっすぐな形で、ダールは半円形。


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by sarasayajp | 2004-10-29 01:10 | いろいろ |
2004年 10月 28日 |
 らくださんの「なんちゃってジャーナリスト、サイクリングへゆく。」からのTBです。



 イラクでまた日本人が誘拐されたそうです。

 自衛隊派遣の是非については、選挙で投票をすることができなかった私にどうこう言うことはできないと思いますのでとりあえず置いておきます。

 ただ、今回誘拐された人の行動を聞いて、色々と思い出したことがありましたので、それについてお話ししてみたいと思います。

 前回、日本人が誘拐された時に「自己責任」なる言葉が流行したそうですが、政府やマスコミが意図した意味がどういうものかよく分かりません。しかし、「自分の行動に責任を持つ」ということは大切だと思っていますし、人間として、「大人」としての基本だと思っています。もちろん、だから誘拐されても放っておいて構わないという意味ではありません。


 イランに住んでいて、いわゆるバックパッカーや語学研修に来る若い人たちに会うことがあります。そうした人たちの中には、人として最低限のことができていない人がいて、子供のままアジア諸国を旅しているように見えることがままあります。

 人に助けてもらって当たり前、何か起こったらその国の責任。そんな考え方をする人がいるのは残念ながら事実です。そしてバックパッカーである自分に酔っている人も。

 ドミトリーに荷物を置いて外出して有り金を全て取られてしまった、何とかして下さい。そんな風に日本大使館に連絡をしてくる人が年間何人もいるそうです。
 大使館の領事部としては何とかしないわけにいきません。そうして助けてもらいながら、「済みませんでした」「ありがとうございます」が言えないバックパッカーが多くて嫌になりますと、大使館員にこぼされたことがあります。

 自分が旅行をしている国の習慣を全く無視した行動を取る人もいます。
 例えば、イスラームの規定を厳しく守っている地域で、スカーフなしの半袖で女性が歩いていて、男性が話しかけるのに答えれば売春婦のように思われても仕方がありません。

 また、治安がよくないからやめておいた方がいいですよ、というところへ行って危ない目に遭う人もいます。「自分はそんな目に遭わないだろう」と甘く考えているのでしょう。自分の身は自分で守るものだということをもう少し知った方がいいと思います。

 ちょっとその国を通り過ぎただけで、「自分はその国の人々を理解した」と思っている人がなんと多いことか。あそこではこうです、ここではこうです、ととても断定的な口調で教えていただいたことが何度もあります。あなたはテヘランしか知らないでしょうから教えてあげますよ、という口調です。そしてこちらの言うことには耳を傾けようとしません。この子供っぽさはどういうことなのだろうと不思議に思うほどです。
 自分がたまたま危険な目に遭わなかっただけだということも分からずに、危険なところを通ってきたと自慢する人たち。
「ターリバーンと一緒にアフガニスタンから来たんですよ」
 絶句するしかありません。

 また、イランで会うバックパッカーの中に時々人間性を疑ってしまうような人がいます。
「イランはいいですよねー。一銭も使わずに旅行ができそうですよ」
 なんですかそれは、です。
 イラン人は旅行者に親切ですし、食事を奢ってくれたり家に泊めてくれたりします。それに甘えること自体は別に構いませんし、そうしたことを通して何か得るものもあるのではないかと思います。しかしそうした親切に対して、「ありがとう」ではなくて「便利でいいですね」とは何でしょうか。照れ隠しや冗談なのかと思いましたが、どうやらそうではないと分かった時には驚かずにはいられませんでした。

 自分が通ってきた国の多さを自慢する人がいますが、それらの国々で何を見てきたのだろうと不思議に思います。出入国スタンプが増えれば満足なのでしょうか。
 自分が通ってきた国々で、様々な体験をしたでしょうに、そこから自分を守ること、人とのつきあい方、その国の慣習を尊重すること、そういったことを全く学んでいないというのはどういうことなのでしょうか。そういう人に、「本当のことを知る」ことができるとは思えません。

 二年ほど前から、シリアがイランからシリアへ入ろうとする旅行者へのビザ発給を停止しました。イランの居住ビザを持つ人に対してはビザを出しますが、ツーリストビザしか持っていない外国人に対してはビザを出さないという措置を打ち出したのです。
 理由は様々なようですが、その一つがバックパッカー対策だという話です。

 もちろん思わず唖然とするような旅行者はごく一部に過ぎません。そしてそういう人は、私がこう言ったところで自分のことだとは思わないでしょう。でも言わずにはいられないのです。
 自分の行動には責任を持って、自分と他人に迷惑をかけることがないよう極力注意をして下さい。「自分だけは大丈夫」ということはないのです。
 自分の目で色々なところを確かめたいという気持ちは分からないでもないですが、それが何を意味するか、何をもたらすかを考えることも必要だということをきちんと理解して下さい。現地の人の好意を利用するだけ利用して踏みにじる行為は、その後その土地へ来る人に対する不信感となって跳ね返ります。自分だけが楽しければいいという、あまりに身勝手な行為はやめてください。

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by sarasayajp | 2004-10-28 02:15 | いろいろ |
2004年 10月 27日 |
 テヘランはこの数日かなり冷え込んでいます。大家さんがボイラー室のチェックをしていたので、暖房が入るのももうすぐでしょう。友人のいる寮ではもう暖房が入ったそうです。
 私のアパートは寝室が南側なのですが、こうして作業をする場所は北向きなので、夜は草履(竹皮草履愛用者です)を履いたつま先が冷たく感じてしまいます。

 こんな寒い夕方、エフタールのお裾分けとして差し入れられる各種のスープはとてもありがたく感じます。油が多いので太るだろうなあということさえ除けば。


 去年のラマダーンは、日本から調査のために来ていた友人と一緒に、毎日のようにエフタールに出かけていました。

 テヘランでは(恐らく他の都市でも)、一部のモスクやその他宗教施設(昨年は100カ所)では政府が資金援助をして、毎日のようにエフタールがふるまわれます。これは誰でもその席に連なることができるもので、近所の人たちが集まってきます。
 私たちも、アパートから比較的行きやすい場所を選んで毎日のように出かけ、そこに集まる人たちについて調査をしていました。

 テヘラン北西部にあるエマームザーデ(聖者廟)へ行った時のことでした。
 ここでは、廟内で食事をふるまうのではなく、アーシェ・レシュテ(イラン風麺入りスープ)だけを大量に配っていました。
 我々も一つずつもらい、それで手を温めながら空いた場所を探して歩いていました。冷え込みのきつい日で(11月上旬でした)、アーシュの暖かさがありがたかったことを覚えています。
 その時です、突然拡声器でアナウンスが入りました。
「アザーンはまだです!アーシュを食べないように!断食が無効になります!食べないように!!!アザーンはまだです!!!!!」
 周囲を見回せば、みんなアーシュを掻き込んでいます。
「寒いもんね」
「うん、さめたらおいしくないしね」
「でも、みんな断食をしていなかったってことだよね」
「そうだね」

 私たちは断食はしていませんでしたが、ちゃんと、アザーンを聞いてから少しさめたアーシュをいただきました。


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by sarasayajp | 2004-10-27 13:17 | イラン人 |
2004年 10月 26日 |
 夏の集中豪雨による洪水と、今回の地震と、二度も大きな災害に遭ってしまった自分の故郷を思い、何となく落ち着かない毎日を送っています。

 自宅は幸いに二度とも被害を免れましたが、自分のよく知っている地名をニュースの中で目にする度、ざわざわと落ち着かない気分を味わいます。
 「故郷」というものに対する感傷だと言ってしまえばそれまでなのですけど。それでも、故郷以外の土地に住んだ時間の方が長くなってしまおうと、今ある「自分」はあの土地があったからであり、自分と切り離せない場所なのだなあと感じました。たとえ一生イランに住むことを選んだとしても。



 こんな感傷的な気分に追い打ちをかけたのが、日本人留学生の間で交わされた「故郷の名物」論議でした。
 自分の地元で、「一番のごちそう」と思われている刺身は何か、というところから始まったのですが、食べ物を通じて郷愁をかき立てられてしまいました。

 ちなみに、私の故郷では、やはり何といっても「ぶり」の刺身が一番のごちそうでした。大晦日など、脂で箸から滑り落ちるようなぶりの刺身が必ず食卓にあがりましたし、今でも帰省をすると、季節であれば必ずこれでもてなされます。それと、今は少なくなってしまったらしいのですが、「甘エビ」。
 ちょっと変わったところでは、アンコウを捌いて、蒸して、酢みそで食べる刺身もありました。あんきもは必ず父が食べるので子供には回ってきませんでしたけど。

 米は農家から直接買う、「南魚沼産コシヒカリ」でしたし、牛肉も今やブランド牛となった「長岡牛」を食べていました。

 別にお金持ちでも何でもないごく普通の家でしたけど、食に関しては自慢できるくらい恵まれていたんだなあと懐かしく思い出してしまいました。

 母が何でも手作りをしてしまう人でしたので、草餅やら笹団子やら、毎週のように手伝わされていたのも懐かしい思い出です。

 こうして書いているうちに、ますますメランコリックな気分になってしまいました。どうも、私の故郷の思い出は味と密接に結びついているようです。

これって新潟だけ?
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by sarasayajp | 2004-10-26 21:47 | いろいろ |
2004年 10月 26日 |
 うっかりしていました。

 昨日はアーバーン月4日、ラマダーン月10日、西暦10月25日でした。

 この日は、イスラームの預言者ムハンマドの最初の妻、ハディージャが亡くなった日ということになっています。

 預言者ムハンマドは、生まれる前に父を亡くし、叔父であるアブー・ターリブの保護を受けていました。
 叔父と共に隊商に加わり仕事をしていた預言者は、その誠実な人柄で有名となりました。それを聞いたハディージャは彼を雇い、シリアへの隊商の長として派遣しました。
 仕事を誠実に成し遂げた預言者に心を引かれたハディージャは、彼に結婚を申し込みました。

 この時預言者は25歳、ハディージャは40歳であったといわれています。彼女は二度の結婚歴があり、二度とも夫と死別し、財産を持つ裕福な商人として有名でした。
 もっともこの年齢には疑問が持たれています。彼女が預言者より年上であったであろうことは疑いありませんが、その後6人もの子供をもうけていることなどから、最近の研究ではもう少し若かったのではないかと言われています。

 ハディージャにはキリスト教徒の従兄弟がおり、神からの啓示を受けたムハンマドが、それを啓示であると理解したのは、この従兄弟とハディージャの助けによるものと伝えられています。

 彼女はイスラームに帰依した最初の人物としても知られています。

 イスラームが受け入れられず、迫害を受けていた間も彼女はムハンマドを励まし、信頼を寄せ続けました。それに対してムハンマドは深く感謝し、彼女が生きている間は他に妻を娶ることはしませんでした。

 二人の間には男二人、女四人の子供がありましたが、男の子は幼くして亡くなってしまいました。息子がないことを馬鹿にするアラブ人に対して神は啓示を下し、ハディージャとの末娘、ファーティマを通して預言者の血統を伝えるとしました。

 ハディージャは、イスラームがまだ激しい迫害を受ける中、西暦619年に亡くなったとされています。

 「イスラーム共和国」イランではありますが、「ハディージェ(ペルシア語の発音)」という名前の女の子はいません。どうしてなのだろうと不思議なのですが、未だに明確な答えが見つかっていません。二人の間の娘ファーティマ(ペルシア語ではファーテメ)の名前を付けた女の子は沢山いるのですが。

預言者の言葉
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2004年 10月 25日 |
 友人のところで、「日本で大きな地震があって、私の両親の家も大変だったんだよ」と言ったところ、「どのくらいの地震だったの?」と聞かれました。
 どう言えば分かりやすいのだろうかと考え、思い出しました。

「バムで起こった地震よりも大きかったんだよ」
 友人たちはそれはもう大変な驚きようでした。
「家族は大丈夫だったの?」
「一体どのくらい被害があったの?」
「どうしてこんなところでのんびりしているの?」

「うちは大丈夫だったって。棚のものが落ちたくらいで。でも、被害が一番大きかったところだと、家がつぶれたり、山が崩れたりして死者も出たって」
 みんな悲愴な顔をしています。
「何人くらい死んだの?」
「死者が25人で、けが人が2000人って言っていた」
「25千人?(2万5千人)」
「違う、25人」
「25人?それでもバムより大きな地震だったの?」

 今度は別な意味でショックだったようです。バムでは4万人以上の死者が出ていたのですから。

 人口密度も違っていますし、簡単に比較はできないのでしょうけど、やはりイランの地震では死者が出すぎです。日本ほどではないにせよ、地震国なのですから、もう少し建築を見直すべきではないかと改めて感じたのでした。
 今現在、地震が起こったら死ぬだろうなと覚悟している身としては、できるだけ早く、地震に耐えられる住宅を建てて欲しいと思わずにはいられません。
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by sarasayajp | 2004-10-25 23:54 | いろいろ |
2004年 10月 25日 |
 前にもお話ししたことがありますが、私は以前IRIB(イラン国営放送)の日本語放送でバイトをしていたことがあります。

 バイト中にラマダーンにあたったこともあります。
 この間のバイトは色々な意味で大変でした。

 勤務時間は12時から6時までで、通常は昼食休憩がありました。
 しかしラマダーン中は当然、昼食休憩はありません。スタッフが日本人だけならお弁当を持っていったでしょうけど、イラン人スタッフが何人かいて、まじめに断食をしているのでその目の前でお弁当を食べるのも悪くて、自然とこちらも断食状態でした。
 とりあえずこれは家を出る前に食べることでしのいだのですが、移動時間もあり午前10時くらいにお昼を食べることになり、4時半からの生放送は空腹を抱えての本番でした。

 IRIBではエフタールの時間になると、「エフタールセット」をその時間に勤務している職員全員に配っていました。
 パンとチーズ、ナツメヤシ、おかし、果物がパックされたもので、その頃エフタールの時間だった5時前に配られていました。

 このエフタールセットを配る時間が、日本語放送の生放送時間とちょうどぶつかっていたことが我々スタッフにとって面倒を引き起こすもととなってしまっていたのでした。

 スタジオの機材を扱うスタッフはイラン人で、局内にいるからにはまじめに断食せざるを得ません。そのため、エフタールの時間が近づくとエフタールを食べることしか考えられない状態になっています。
 そのため、しなくても良いようなミスが沢山出たものでした。そしてそのミスを、「日本人の指示が悪い」としてこちらに押しつけてくるのですから大変です。

 本番中に機械を操作しながらエフタールを食べている人もいました。食べるのに夢中でこちらの指示を見ていないので、放送に妙な間が開くこともままありました。
 また、何といっても驚いたのは、エフタールセットを探しに、マイクをオンにしたままブースを離れてしまう人もいたことです。この時はニュース原稿を読みながら血の気が引きました。ブースの向こう側にスタッフがいないのですから。もう一人のアナウンサーに原稿を任せ、音を立てないようにスタジオを出て、技術者を探すという、恐ろしい出来事も何回かありました。

 自分の仕事に対する責任を果たせないで行う断食に意味があるのだろうかと、思わず考えてしまったものでした。

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