イランという国で
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2004年 09月 30日 |
 イランの商店では、店の主人と客が他の客そっちのけで話に夢中になっていることがよくあります。

 イランに来たばかりの頃は、「早く話が終わらないかなー」と待っていたのですが、それでは絶対に買い物ができないとすぐに悟りました。こちらに気付いて「何?」と言ってくれる人もいますが、特に顔見知りでもない店だと放っておかれることの方が多いからです。

 話し好きの議論好き。情報統制されている国にありながら意外と情報通です。
 テレビや新聞が好きで、誰か衛星放送を持っている人がいればその人からの情報を口コミで広めていく。イランの店先で見られるのはそうした光景です。口コミ情報ネットワーク社会の片鱗を見る思いです。

 政治経済の話題も多いですが、軽い話題としてスポーツの話も大好きです。

 イランのサッカー選手がヨーロッパのチームに在籍していることもあり、衛星放送のスポーツ番組はよく見ているようです。これは言葉が分からなくとも理解できるということもポイントが高いのでしょう。

 先日も、買い物に行った店で突然、「昨日の高原は良かったよね」と話しかけられてびっくりでしたし、今日も、「イランのU19チームがどうして中国とカタールに負けたか」という話題で盛り上がっていました。私よりずっと情報が早かったりします。

 このところ、サッカーの試合では、中国と当たる組み合わせが不思議と多いらしく、「中国は本当に嫌いだよ」とぼやかれてしまいました。
 「イランはアジアで一番強い」という自負があったのに、最近はどうにもぱっとしない成績なので、どうにももどかしいようです。そして大嫌いな中国に負けているのがどうにも悔しいようです。

 これまでは、「日本には絶対に負けたくない」という意識が強いながらも親日的感情を持っていたのが、最近はなんだか「中国を共通の敵に持つ同士」という気分のようです。日本に負けるのももちろん悔しいけど、中国に負けるのはもっと嫌という感じのようです。

 店先での彼らの会話は、私にとっても色々なことを知る情報源でもあるのです。
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by sarasayajp | 2004-09-30 22:51 | イラン人 |
2004年 09月 30日 |
 犬について書いたので猫についても書かなくては公平でないだろうということで、今回は猫の話です。

 猫の一品種に「ペルシャ猫」があります。白い長毛種で、すこし顔が平たい猫です。

 ペルシャ猫というくらいだから、イランに来ればそういう猫が沢山いるのだろうと思っていました。猫好きとしてはかなりの期待を持っていたのです。

 しかし現実には、長毛種の猫など見かけることはありません。日本にもいるようなキジトラや茶トラ、ブチにクロ、三毛、日本と違うのは、全部尻尾が長いというところくらいです。時々毛の長いものもいますが、長毛種というには物足りないものでしかありません。

 テヘラン以外ならどうかと思ったのですが、イラン各地、どこへ行っても同じでした。

 調べてみたら、イランの宮廷などで飼われていた猫がベースになって生まれたのがペルシャのようなので、野良猫に同じような姿を求めるのが間違いだったのです。
 でもまあ、ペルシアの地の猫なんだからペルシャ猫でいいだろうと思うことにしました。

 犬は不浄な動物としてかなりいじめられていますが、猫は清浄な動物ということになっているので犬ほど迫害されていません。私の住んでいる地区など野良猫天国です。どこにでも野良猫がいて、のんびり寝ていたりえさをあさっていたりします。家によってはえさをあげているところもあるようです。

 もっとも、家の中をぴかぴかに磨き上げるイランの主婦たちは家の中で動物を飼うことを好まないので、猫を飼っている家は少ないようなのですが。こちらは犬と違って、「穢れるから」という宗教的な理由ではなく、「汚れるから」という理由で嫌われるようです。

 イラン人のきれい好きは病的なほどで、犬は口の中にばい菌を持っているから、猫は毛をまき散らすから、鳩は何とかという病原菌を持っているから等々、ともかく理由をつけて動物を家に寄せ付けません。せいぜい小鳥を飼ったり金魚を飼うくらいです。

 宗教上「清浄」とお墨付きをもらっている猫も現実には邪険にされ、同じく清浄な羊は食べられちゃうんだなあと、清浄も不浄も、動物の立場からしたらあまり変わらないのではないかと異教徒は思ってしまったのでした。


 私の友人があるイラン人を案内して東京観光をしていたところ、イラン人の彼がまじめな顔をして聞いてきたそうです。
「どうして日本人は猫の尻尾を切っちゃうの?」
 彼女は日本人が動物虐待をしていると思われてはいけないと、日本の猫はそういう品種なのだと説明したのだそうですが、今ひとつ納得がいかないという顔をしていたそうです。
 確かに、尻尾以外の見かけはほとんど一緒なのですから疑問に思うのは当然なのでしょう。そういえば、日本の猫が初めて海外に紹介された時には、やはりあの短い尻尾がヨーロッパの猫愛好家に衝撃を与えたという話をどこかで聞いたことがあります。
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by sarasayajp | 2004-09-30 12:52 | いろいろ |
2004年 09月 29日 |
 再び犬の話です。

 どうして犬(ペルシア語でsag、アラビア語でkalb)がナジェス(不浄)なのか、というご質問をいただき、自分が理由を知らなかったことに気付きました。そこで、ちょっと調べてみました。

 結論から先に言いますと、理由はありません。それもコーランにはこうした記述は見つからないようです。
 預言者ムハンマドがそう言ったので「不浄」であると見なされてしまっただけのようです。

 もちろん、狩猟犬、牧畜犬、番犬として犬を飼うことは許されていますし、犬の誠実さや賢さなどに関しては賞賛されています。

 しかし、犬は豚と同じく食べてはならない肉であり、犬が口を付けた水は穢れるためそれを使って沐浴などをしてはいけません。このため、水くみ場などに犬を近づけません。

 また、犬がなめたものも不浄となるので、市場などでも犬は排除しなくてはいけません。万が一犬がなめた食材を使ってしまったら大変だからです。

 犬が入った部屋は不浄となり、犬がいる家には天使が入れないそうです。これはイスラーム的見地からして大変なことです。イスラームによると、人間にはそれぞれ天使が二人ついていて、片方が善行を、もう一方が悪行を記録しています。その記録が最後の審判の時に使用されますので、犬のために天使が家に入れないとなると、家の中で行った善行も悪行も記録されず、最後の審判の時に困ることになります。
 例えばモスクで礼拝中にモスクに犬が入ってきた場合は、礼拝が無効となってしまいますし、モスクが穢れてしまいますので大変です。

 こうした犬によってもたらされる汚れを避けるため、特に犬を必要としない都市部では、犬を徹底的に排除してきました。このため、中東の町では野良犬を見かけることがほとんどないようです。

 アラビア語でも似た言い方をするらしいのですが、ペルシア語で最上級(?)のののしり言葉の一つは、「pedar sag!」です。イランでこれをうっかり使うと、相手が激高すること間違いなしですので、ここ一番という時まで使わないことをおすすめする汚い言葉の一つです(じゃあ教えるな、という突っ込みはなしにしておいてください)。

 イラン文学の中で「恩を知らない人間は恩を知る犬に劣る」という言い方がよく使われます。犬の忠誠心を認めつつさげすむところが微妙です。

 人間の役に立っているのにこれだけさげすまれる犬もかわいそうだと思わずにはいられませんでした。

 そういえば、黒い犬は悪魔と見なされるそうです。私の住むアパートのはす向かいのアパートには、部屋の中で小さな黒い犬を飼っているお宅があるのですが、彼らがこれをどう思っているのか一度聞いてみたいです。
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2004年 09月 29日 |
 今日はメフル月8日、シャアバーン月13日、西暦9月29日

 今日はイランで最も有名な神秘主義詩人、モウラヴィー(日本ではルーミーの名で知られている)の記念日です。

 モウラヴィーとは、現在のトルコのコニヤに本拠地を置くメウレウィー教団の創始者として名高い神秘主義者です。

 彼は西暦1207年に中央アジアのバルフに生まれましたが、モンゴル人の侵略を避けるため、1219年頃、家族と共に西方へと放浪の旅に出、約10年後、コニヤに定住しました。

 彼の父は高名な神学者であり、はじめは父の元で、その後父の高弟の指導によりイスラーム神学と神秘主義を学び、一流の学者として知られるようになりました。

 1944年、放浪の托鉢僧シャムス・タブリーズィーと出会い、彼に神の愛の完全な像を見いだし、神学者から神秘主義者へと変貌を遂げました。
 この時代、彼はシャムス・タブリーズィーを通して神への愛情を詠う抒情詩を次々と詠み、シャムス・タブリーズィーとの別離の後は、ペルシア語のコーランとも評される膨大な神秘主義叙事詩を作詩しました。

 彼の代表的な神秘主義詩は神への愛情とその別離を切々と詠う陶酔の抒情詩と、神秘主義の精髄を様々な物語に織り交ぜた叙事詩の二つがあげられます。

 1273年、コニヤで没し、その廟はコニヤに現存し、彼の詩を愛する人々が訪れる場所となっています。

 またコニヤでは現在も彼が始めた神秘主義教団「メウレウィー教団」が活動をしており、年に一度、モウラヴィーの命日に、白く長いスカートと細長い帽子をかぶった教団員が音楽に合わせてくるくると回りながら陶酔し、神との合一へと至る儀式が行われています。

 イランの三大詩人として、このモウラヴィー、シーラーズ出身の二大詩人、サアディーとハーフェズがあげられることが多いようです。
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2004年 09月 29日 |
 人と会う用があり、テヘラン市内のあるホテルのロビーにいたら、知り合いのツアーガイドにばったりと会いました。

 私は待ち合わせ時間まで少し時間があったのと、向こうも時間が少し空いているからということでお茶を飲みながら話をしました。

 秋の観光シーズンがはじまり、各国からのツアーグループがイランに来ているようです。

 彼は日本語・英語ガイドなので、日本人ツアーのガイドを務めることが多いのですが、日本人グループはヨーロッパのグループと違う苦労があると嘆いていました。

 日本人グループは時間をとても良く守ってくれるし、見学中の態度もヨーロッパからのツアー客に比べるとずっと規律正しくて助かるとのこと。ヨーロッパや中国、韓国からのツアーはそのあたりが大変なのだそうです。
 それに、ガイドである自分に対してもとても丁寧な応対をしてくれるのがうれしいと言っていました。

 しかし日本人グループにも困ったところはあると言うのです。

「ねえ、どうして日本人の男性は、ビールが飲めないって怒るんだろう?8日や10日のツアー中を我慢できないくらいアル中なのかなあ?」
「お年寄りが多いからそういうことはあまりないんだけど、時々、売春婦を呼んで来いって言う男の人がいるんだよ。どうしたらいいんだろう?」
「女性たちがグループを作って喧嘩を始めた時はどうしたらいいと思う?時によっては、僕の取り合いになっていることもあるみたいで、手が出せないんだよ」

 彼の苦労がしのばれます。

「ビールと売春婦は、『用意はできますけど、警察も来ますが構いませんか?』って言いなさいよ。ホテルには監視カメラがあって、そういうのをチェックしていますからって。7割くらいは本当のことだから大丈夫だよ」

 外国人ツアー客が使うようなホテルには、廊下に監視カメラが取り付けてあったりして、男性の部屋に外部の女性が入るとすぐに従業員が飛んできて追い出します。
 私が仕事で行っても、「仕事の話ならロビーでしてください」となることがほとんどです。だから、それを説明してやればそれを押してまで売春婦を呼べとは言わないでしょうし、ビールもよこせとは言えないでしょう。

「女性たちの喧嘩はぜーったいに、手を出しちゃダメだよ。ひどいことになるだけだから。日本からの添乗員に任せておかないと。まあ、もてるんだと思って我慢するしかないね」

 それにしても彼の話を聞いて頭が痛くなってしまいました。私もツアーのガイドを務めることはありますが、ビールに対する苦情はともかく、売春婦を要求する人がいるという話は初めて聞きました。恐らく私が一応女性なので、男性は私には言いにくかっただけなのだということがよく分かってしまいました。

 こんなことを言うのはごくごく一部の人でしかないでしょう。でも、せっかく見るべきところがたくさんある国に来て、ビールと女性のことしか考えていないというのはもったいないと思います。そういう国であるということは最初から承知しているのでしょうから、まじめな現地ガイドさんを困らせないで欲しいと思ったのでした。

 まあ、乾燥していて、日中は暑いですから、よく冷えたビールがおいしいだろうと思ってビールを要求する人の気持ちも分からないでもないのですが、ここはイランですので、あまりおいしくないノンアルコールビールで中東を味わっていただきたいと思います。
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2004年 09月 28日 |
 レイラちゃんの写真不可について、「どうして?」という質問がありました。

 テヘランでは子供の誘拐が多く、外見のかわいい子は狙われやすいということが理由の一つです。私のこのBlogを見て彼女を誘拐しに行く人がいるとは思えませんが、お父さんにどこかに写真を出すことはしないでと頼まれているのです。

 誘拐を恐れるため、テヘランでは子供を外で遊ばせません。アパートの敷地の中、あるいは親や兄弟と一緒に公園で遊ぶくらいです。近所の子供たちとアパートの前の道路でサッカーをしたりすることはできますが、子供が一人にならないよう常に気をつけている状態です。
 家で子供が留守番、というのも滅多にありません。親の留守中に何が起こるか分からないからです。必ず、子供を一緒に連れて外出するか、親戚あるいは知人の家に預けます。
 学校も、スクールバスが送り迎えするか、もしスクールバスがない場合は必ず親か親戚が学校の門まで送り迎えします。あるいは、近所の人と数人でお金を出し合って、タクシーを雇って送り迎えすることもあります。

 子供の誘拐がどれほど起こっているのか、正確な統計資料がないので分かりませんが、新聞を読んでいると毎日のように、自分の子供の行方を捜す広告が載っているので少ないとは思えません。

 私の友人の友人が子供をさらわれ、必死で行方を捜したそうです。
 1年以上経って、テヘランの街角で物乞いをしている女性の前に寝かされているわが子を偶然に発見し、警察に通報、子供を取り戻すことができたそうです。

 テヘランの物乞いの一部は組織化されていて、差配のような人物が、配下の物乞いを軽トラックやミニバスに乗せて、朝、各地へ「配置」していき、夕方彼らを「回収」、収入の何割かを取るのだそうです。そして、人々の哀れみを請うため、かわいい子供を一緒に連れて歩かせるのです。
 物乞いが連れている子供たちはどうしていつも寝ているんだろうと思っていたら、子供が騒がないよう、逃げないようくすりを使っているのだと教えられました。

 ヨーロッパへ売られていく子供もいると聞きます。目的は考えたくありませんが。

 子供たちが自由に遊べる日が来ることを祈らずにいられません。

 追記
 私の書き方が悪くて心配された方もいらっしゃるようですが、イランの子供の写真を撮っても問題はありませんし、Blogにアップしても大丈夫だと思います。
 ただ、私とつきあいのある方の一部がとても心配性で、Blogに限らず、写真の発表はやめてくれということですので、知人の写真に関してはアップしないということなのです。特に日本人とイラン人のハーフの子は顔立ちが独特ですし、本当にかわいい子が多いのでお父さんたちの心配は分かるなあと思います。
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by sarasayajp | 2004-09-28 20:06 | いろいろ |
2004年 09月 28日 |
 昨日、大学へ行くために乗り合いタクシーに乗りました。私を乗せてすぐ運転手が知り合いを見つけ、その人を乗せ、二人の間でおしゃべりが始まりました。聞くともなしに聞いていたら、前日に乗せた客についての愚痴でした。

「ギーシャー(私の住んでいる地区の名)の下から客を乗せたんだよ。なんだかすごい大荷物を持っていて、荷物を後ろの座席に置いて、まだ後ろにも場所はあるのに前に座ったんだよ。犬を抱えて。犬だよ?信じられるか?」
「そりゃあ大変だったなあ」
「なんだか俺のことをかぎ回るし、毛は座席に落ちるし、最悪だよ」

 様子が想像できるだけに笑ってしまいました。

 イスラームでは犬はナジェス(不浄)な動物であるとされています。遊牧民は羊牧犬として犬を飼いますし、農村では番犬として農地で犬を飼うことはあるようですが、普通の家庭ではまず犬は飼いません。家が穢れてしまうからです。こうしたイスラーム的見地から犬を嫌う人はまだ多くいます。
 それに、犬を飼うという習慣がなかったために免疫がなく、ごく小さな犬でも怖く感じるようです。

 しかしこの数年、ヨーロッパのテレビ番組などの影響で、犬を飼うことが都市部ではモードとなりつつあります。私の住んでいる地区は小金持ちが比較的多い地区なので、こうした流行には敏感で、犬を飼っている人は結構見ます。私の大家さんも実は小さな犬を一頭飼っていますし、私のアパートのはす向かいにも一軒犬を飼っている人がいます。

 私の大家さんは奥さんがきれい好きで、また一家で信仰的にまじめなので、犬を家の中には絶対に入れませんが、最近では家の中にも犬を入れる家庭が増えているようです。イスラームとの兼ね合いは大丈夫なのかとこちらが心配になるくらいです。

 ちなみに、猫は清らかな存在だそうです。
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2004年 09月 27日 |
 今日は昨日に引き続き、書類の手続きのために大学へ行っていました。

 実は昨日で手続きは終わらなかったのです。

 昨日は、まず、
 9:30 大学の学科事務室へ行き、自分の申請したいことを書いたレターを提出、学科長に大学国際局宛のレターを書いてもらう。
 10:30 大学国際局事務室から大学学生課へのレターを発行してもらう。
 11:30 大学学生課事務局へ。レターに日付とナンバーを入れてもらおうとするが、コンピューターのシステムが私の二人前のところでダウン。
 1:00 もう一度事務局へ、システムが復旧していたので日付とナンバーをもらう。
 1:15 レターを持って学生課課長事務室へ。課長が会議中で待たされる。
 2:00 学籍関連の書類が必要であることが判明。学籍課へ。
 2:30 学籍課事務員との押し問答になり、学生課課長事務室へ。
 3:00 学生課課長秘書たちの尽力により書類が見つかる。
 3:15 私の書類を決裁する前に課長が所用で外出してしまい、仕事は翌日へ。

 とここまでが昨日の流れ。

 今日は午後1:00に来るようにと言われていたので、1時少し前に事務室へ行くと、成績証明書も必要だったことが明らかになっていました。秘書たちも悪いなーと思ったらしく、午前中に成績課の方へ連絡を取ってくれていたのだそうですが、事務員が二人とも今日は休みを取っていて書類が取れないとのこと。
 恐らく私が情けない顔をしていたのでしょう、彼らは非常に同情してくれて、「明日はここに来る前に電話しなさい。成績証明書は自分たちの方で取っておいてあげるから、取れたら来ればいいよ。彼らが明日来るかどうかは分からないから、そうすれば無駄足にならないから」と電話番号を渡してくれました。

 私が書類をもらえるのはいつになるのでしょうか。

 大学事務局には女性の職員が多いのですが、彼女たちは家庭の事情でよく休みます。子供が熱を出したから、子供の学校へ行かなくてはいけないから、親戚が集まるから…等々。
 家族を大切にする国ですし、基本的にそれでも構わないのですけど、その人でなければ仕事ができないというイランのシステムは困るなあというのが本音です。つまりその人が休んでしまうと、代わりの人がいないのです。
 休暇を取っている人の代わりに誰かがその仕事をして間違いがあると困るから、干渉されたくないからということなのですが、利用者の便宜、という視点はそこには完全に欠落しているようです。大学の事務にしても役所や銀行の業務にしても「サービス業」ではないのかなあと、ついつい「お客様は神様です」という国から来た外国人は思ってしまうのでした。例えば、事務員や決裁権のある人が、一ヶ月近くも「メッカ巡礼」に行ってしまうと本当に大変なのです。その間はその人が関わる事務がほぼ完全に滞る、という事態が起こる可能性が高いからです。

 日本のように過労死するほど働く必要もありませんが、もう少しだけ利用者のことを考えて欲しいと思うのです。
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by sarasayajp | 2004-09-27 22:01 | イラン人 |
2004年 09月 27日 |
 昨日は大学の手続きで大変な目に遭いました。

 ある手続きのために大学へ書類の発行を願い出ていたのですが、そのために学生課から成績証明書など私の在籍に関する書類を取ってくるようにと言われ、学生課へ行ったところ、「あなたの書類なんてないわよ」です。
 私の在籍している過程は修士課程と博士課程が一緒になっており、修士課程に入学した時の学籍番号が博士課程にも引き継がれるようになっているのですが、事務の女性職員たちはそれを知らず、私が説明しても全く聞く耳を持たず、修士課程の番号の人の博士課程の書類があるわけないの一点張りです。

 こういう時に職員たちと言い争ったところで事態が進展しないことは経験上知っています。かえってかたくなにして、「意地でも仕事をしてやるもんか」となるのは必至です。

 そこで、私に書類を持ってくるよう命じた学生課課長秘書の部屋へ行き、目一杯哀れっぽく言うのです。
「あなた達は私にこれこれこういう書類を持ってくるように言いましたが、彼らは私の言うことを全然信じてくれず、私の書類なんかないとしか言いません。どうしましょう。私の言葉に全然耳を貸してくれないんですよ。だから書類を持ってくることができません。もう私の力ではどうしようもないです。」

 義侠心にあふれ、また自分たちが命じた仕事を実行しようとしない人がいると知った彼らは憤慨し、早速、学生課へ出向き、私の書類を探し出すことを約束させてきました。

 外国人の言うことは聞かなくとも、上司の言うことなら聞くのですから、この作戦しかありません。
 案の定、30分後には私の書類が見つかり、届いたのでした。

 それにしても、私が目の前にいるのに、こんな書類をどうして探させるのかと文句を言うのはやめて欲しいと思ったのでした。「必要だから探させたんだよ」という課長秘書の言葉にちょっと溜飲が下がりましたけど。

 新学期が始まり、学生の登録やら何やらで忙しいのは分かりますが、思いこみだけで人の言うことを否定するのはやめてください。あなた達の悪い癖です。
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by sarasayajp | 2004-09-27 12:41 | イラン人 |
2004年 09月 26日 |
 ここしばらくずっと、朝起きると目が乾いてしばしばして痒い、という状態が続いていました。

 今朝も、目が痒くてやってはいけないと思いつつも目をこすっていました。
 すると瞼の下に何かごろごろするものがあります。慎重に触ってみても間違いありません。慌てて鏡を見たところ、確かに少し瞼が腫れています。
 ものもらいだろうと思い、診療所へ行くことに。ついでに目の調子が悪いのも見てもらえばいいしと、午前中に近所で評判の良い眼科医のところに予約を入れ、その足で大学へ。

 大学での新学期に際しての手続きのあれやこれやが意外と手間取ってしまい、予約の時間ぎりぎりに診療所に着きました。
 待合室の椅子に座った瞬間、大変なことに気がつきました。
 私は「ものもらい」というペルシア語の単語を知らなかったのです。
 必死で考えますが分かりません。これまで使ったことがない単語なのですから当然です。
 さらに困ったことには英語でも何というのか知りません。

 しばらく悩んで開き直りました。

 順番が来て、診察室に入り、先生に挨拶をした後、言いました。

「私は自分の症状を言い表す適当な単語をペルシア語でも英語でも知りません。おかしなことを言うかもしれませんが、許してください」

 先生はなんだか受けてくれたようです。それを見て安心して話すことができました。

「ここしばらく目が痒い状態が続いていました。本を読んだりコンピューターの画面を見ていても時々そうなりますし、目が疲れるようです。それから、今日気がついたのですが、どうも、左目の瞼の下に、吹き出物( jush)ができているようなのです」

 先生は特に笑いもせず、じゃあ見てみましょうかとあっさりしたものでした。

 結果はドライアイと、こすりすぎで瞼に傷ができているということでした。幸いなことに、このあたりの単語はほぼみんな知っていたので、先生の話はちゃんと理解できました。先生も気を遣ってか分かりやすい単語を使って説明してくれたようです。

 目薬を処方され、時々目を休めることを注意されて帰ってきたのですが、ちゃんと「ものもらい」は調べました。Gol-mozhe(まつげの花?)だそうです。次にいつ使うか分かりませんが、忘れずに覚えていたいものです。

 そういえば、以前、友人たちと話をしている中で、「親知らず」という単語がどうしても分からなくて、「余分な歯」と言って理解してもらったということもありました。この時は、友人たちに大笑いされながら、正しい言い方を教えてもらったのでした。
 こういう風に笑われたり、悔しい思いをして覚えた単語は印象が深いためか、ほとんど使うことがないにもかかわらず、ちゃんと覚えているのが不思議です。
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