イランという国で
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カテゴリ:イスラームのこと( 70 )
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2012年 08月 20日 |
 ラマダーン中に、仕事である場所に出かけました。
 メンバーは運転手役の男性と、その同僚の女性、私の三人です。
 自動車に乗り込み、出発するなり、二人はなにやら楽しそうに会話を始めました。聞くともなしに聞いていると、男性は「シーラーズから何キロメートル離れたら断食をしなくてもよくなるか」をルーハーニー(イスラーム法学者)に確認しておいたという話です。
 どうやら、女性の方はほとんど断食はしていないらしいのですが(「時々している」とのこと)、男性の方は一応、会社内では断食をしている模様。

 町を出て、街道脇の店で水やジュース、お菓子を買い込み、目的地へ向かいます。
 ある程度走ったところで、「そろそろ大丈夫だよね」と、社内での飲み食いが始まりました。

 「旅に出ている間は断食をしなくてもよい」とはされていますが、それを、「自分が住んでいるところから○キロメートル以上離れた場合は旅と見なす」と決めてあって、それにきっちりと従うところがいいなあと、楽しくなってしまったのでした。

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こんなところを歩いて旅していた時代、断食などしたら命に関わったはず


 知人によると、イランの最高指導者ハーメネイー師によると、旅に出ている間(家を遠く離れている間)は、「断食をしてはいけない」のだとか。

 実際、女性はどうしても断食をしてはならない日が何日かありますし、体調が悪くかったり体力的な問題があったりして断食ができない人もいます。それに対しては、お金や食料品などの寄付や、他の機会に断食をすれば良いなど、様々な方法が提示されています。決して、「何が何でも断食をしろ」とは命じられていないはずなので、この夏、オリンピックに参加していたムスリムの選手の対応は、選手それぞれの問題とはいえ、少し気にかかったのでした。

 もちろん、断食をするかしないかはそれぞれの人の心と信仰の問題なので、それがいい悪いというつもりは全くないことをお断りしておきます。

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2008年 01月 26日 |
 ムハッラム月10日の午後に行われたナフル・ギャルダーンです。

 昨日ご紹介した骨組みに、鏡を取り付け、花を飾り、黒い布にカルバラーで殺された72人の名前を刺繍したものをかけ、準備完了です。鏡は、「そこに自分の心を映し出せ」という意味なのだとか。

 ナフル・ギャルダーンが始まる時間が近づくと、ヤズド市内や郊外の各地から行事に参加すべくダステ(行列)が次々とやってきます。

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 ナフルを管理しているヘイアトが、数十キロ以上あるアラムを持ち上げ、くるくると回転して訪れるダステを出迎え。
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 広場が人でいっぱいになると、説教を織り込みながらイマーム・フサインの死を悼むロウゼ(悲劇語り)が行われ、胸を叩き、声を合わせて唱和し、悲しみを表現します。
 ロウゼが一段落したところで、いよいよナフルが持ち上げられます。「方向転換をするよ」とアナウンスがあり、鏡が貼られた面を前にして、ナフルの上に乗ったセイエド(アラビア語のサイイド預言者の血を引く人)の鳴らすシンバルに合わせて動き出します。
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 ナフルを担ぐ人以外は、「ホセイン(フサインのペルシア語風発音)」「ホセイン」と叫びながらナフルを追いかけて走ります。
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 時計と反対回りに三回ナフルを回して一度停止。もう一度ロウゼが詠まれます。
 そしてもう一度ナフルが回ります。
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 これが計三回繰り返されます。
 三回目が終わると、ロウゼもそれまでの胸をたたき、叫ぶ熱狂的なものから、死を悲しむ少し静かな調子のものへと変わります。
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 会場に入りきれなかった人も外の小路で中の人々と一緒に悲しみを表現。
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 一時間ほどの行事だったのですが、あっという間でした。
 寒風吹きすさぶ中裸足で参加した男性たちには心からの敬意を表します。

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2008年 01月 25日 |
 下の写真ですが、「ナフル・ギャルダーン」と呼ばれるアーシュラーの時に行われる行事の一つでの一コマです。

 ヤズドを訪れたことがある方は、「アミール・チャクマーグのテキエ」と呼ばれる歴史的建築の前に置かれたものを目にしていらっしゃることと思います。

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 これが「ナフル」です。
 カルバラーで殺されたイマーム・フサインの棺を模したものだとも、カルバラーで殺された生後六ヶ月の赤ちゃんだったイマーム・フサインの息子、アリー・アスガルのゆりかごを模したものだとも言われ、起源ははっきり分からないのですが、イランの一部地方ではアーシュラーのクライマックスとしてこのナフルを担ぎ、町や村を練り歩きます。昨年のアーシュラーでは、アビヤーネのナフルをご紹介していたと思います。
 地方によって形や儀式の行い方に違いはありますが、ヤズドのナフルが最も有名かもしれません。

 ヤズドでは、「テキエ」あるいは「ホセイニーエ」と呼ばれる殉教劇を演じたり、アーシュラーの儀式を行うための場所でナフルをぐるぐると引き回します。何トンあるのか聞き損ねたのですが、木材でできた大きなものですからかなりの重量があると思います。これを男性たちが持ち上げ、回すのです(ギャルダーン)。それで、この行事を「ナフル・ギャルダーン」と呼ぶのだとか。

 アミール・チャクマーグのテキエでは現在はナフル・ギャルダーンは行われておらず、ヤズド市内の数カ所とヤズド市周辺の町や村の一部で行われているだけだとか。
 写真の整理が終わらないため、行事の様子はまた明日ご報告いたします。

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2007年 02月 20日 |
 ここしばらく忙しくて、新聞は買っていても読む暇がありませんでしたが、何日か前の新聞にようやく目を通すことができました。
 すると、社会面にこんな記事が。

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 イラン内務省主催で、新しいおしゃれなチャードルをアピールするためのファッションショーが行われたというものでした。
 ここ数年、「これがヘジャーブ(イスラミック・ドレスコード)?」と言いたくなるような服装の女性たちが目立つテヘランで、なんとかそうした女性たちにチャードルを着せようということなのでしょうが、ファッションショーに出席した人たちの反応は今一つだったようです。

 チャードルは単に黒い布を頭からすっぽりとかぶっているだけのように見えますが、それでも仕立て方や布の材質など、その年その年でちゃんと流行はあります。

 それを、「これが政府一押しのチャードルです」と言ったところで、女性たちが受け入れるかどうか。
 保守層が何とかしたいと思っているのであろうヘジャーブへの挑戦と言わんばかりの挑発的な服装の女性たちはそもそも、チャードルを着たいとも思っていないでしょうから、このようなファッションショーをしたところで見向きもしないでしょう。
 そして保守層は「おしゃれに関心を向けるなどけしからん」と、チャードルをおしゃれにすること自体に反発をするでしょう。

 なんというか、偉い人たちの考える事というのは中途半端というかピントがずれているような感じがしたのでした。

 個人的には、チャードルをすっきりと着こなしている女性はきれいだなあとは思うのですが、仕事向きではないのでもう少し活動しやすいデザインにならないかなあとは確かに感じないではいられません。

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2007年 01月 26日 |
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 西暦680年に起こったカルバラーの悲劇を西暦2007年の今でも追体験するためにどうするか。

 一つはその悲劇がどうして起こったか、どのようにイマーム・フサインが死を迎えたかといったことを語り物語にして、謡うようにして語り聞かせる(平家物語を語って聞かせる琵琶法師みたいな感じでしょうか)やりかた。これをロウゼと言います。

 そしてもう一つは劇にして人々に分かりやすく見せること。これがタアズィーエ。

 ロウゼもタアズィーエも10日かけて、イマーム・フサインに付き従った72人がどのように次々と悲劇的な死を遂げていったかを語り、演じます。

 先日ご紹介したヘイアトと呼ばれるテントの中ではロウゼが行われ、町や村の広場ではタアズィーエが行われることが多いです。

 写真はタアズィーエの初日。このように、フサイン軍とその敵であるヤズィード軍に扮した人々が戦いを演じていくのです。

 ちなみに、緑色は預言者ムハンマドの血筋であることを表す高貴な色で、これがフサイン軍を表しています。ヤズィード軍は赤あるいは黄色を身につけていることが多いようです。

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2007年 01月 23日 |
 イランは一昨日からイスラーム・ヒジュラ暦モハッラム月に突入しました。イスラーム・ヒジュラ暦1428年の第一日目です。

 アーシュラーの悲劇と呼ばれる、シーア派第三代目イマーム・フサイン(ペルシア語だとエマーム・ホセイン)の非業の死を語り聞かせ、その悲劇を悼み、再確認するための場であるホセイニーエあるいはヘイアトがあちこちに作られています。
 これは恒常的な建物のこともありますが、この時期になるとそれでは足りなくなるので、ご町内で一つといった感じで街角にホセイニーエとして使うテントが建てられます。
 夜になると近所のこうしたテントに集まり、ロウゼ(悲劇語り)を聞き、ダステ(行列)を組んで、胸を叩いたり鎖で身体を打ちながら通りを練り歩いたりするのです。これが結構な大音量でやるので、ホセイニーエやマスジェド(モスク)に近かったり、表通りに面している家の人は大変だろうなあと思わずにいられません。

 初日の一昨日はまだテントの設営が終わっていないところもあちこちで見られました。こういうところがイランらしいところかもしれません。昨日でさえまだなんとなく準備中といった感じのところもちらほらと見られました。

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 この写真右に見える肖像画がイマーム・フサインだということになっています。(実際には60歳くらいだったと言われていますので、こんなに若々しくはなかったと思うのですが)
 今年は、このイマーム・フサインの肖像画やその異母弟であるアッバース(イランではアボルファズルと呼ばれることが多い)の肖像画を飾ることはまかりならんというお達しが政府から出されたそうです。(これに関する新聞記事を探しているのですが、どこに埋もれてしまったのか見あたりません)
 ところが、政府の言うことに素直に従わないのがイランの人たちらしいところです。
「彼等の肖像画を飾らずして何のモハッラムか」とばかりに、例年以上に大きな肖像を発注したところも多かったとか。

 このエマームたちの肖像画などを見る度に、イスラームは「偶像崇拝禁止」じゃなかったのかなあと思わずにいられません。
 確かに、イランのシーア派の人たちがこの絵を崇めるわけではないですが、イスラームではもともと、「偶像崇拝に繋がるから」と人間を描くことを禁じたり、人形を禁じてみたりしていたはずだよなあとなんだか不思議な感じがするのです。

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2006年 12月 31日 |
 今日はイラン暦デイ月10日、イスラーム・ヒジュラ暦ズィー・ル=ハッジャ月10日、西暦12月31日

 今日はエイデ・ゴルバーン(アラビア語ではイード・アル=アドハー=犠牲祭)です。

 ムスリムとしての義務であるマッカへの巡礼を果たした人たちが、マッカで犠牲を屠り、神に捧げる日です。そして巡礼に行けなかった、あるいは行かなかった人もそれぞれ自分の住む地で犠牲を捧げる日でもあります。

 この日、各地で盛大に羊が犠牲に捧げられ、道路に設けられた排水路が血で一杯になるほどだ(これは大げさではないかと思うのですが)とのことです。ある日本人留学生の話によると、トルコのマルマラ海はこの日、血で真っ赤になるとか。(これもちょっと大げさでは?という気もするのですが)
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 ところが、テヘランにいるとあまり犠牲の羊を屠る場を見ることがありません。もちろん、私の住んでいるあたりでは、の話なので他の場所では沢山行われているのかも知れません。私の住んでいるあたりでも小路などに入り込むと見られるのですが、人口の割に少ないような印象です。信仰に対する関心が低いからなのか、この後すぐ控えているシーア派最大の行事アーシュラーのの方が大切だからなのか悩むところです。犠牲祭では羊を屠らないけどアーシュラーでは羊を屠るという知人が何人もいるからです。
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 ところで、ハッジの期間中は行われないだろうと見られていた、イラクのサッダーム元大統領の死刑が行われました。宗教的な気分が盛り上がっている最中の死刑執行というのはどうなのかなあと、お隣の事ながら心配になってしまいます。
 隣国であり、8年にわたるイラクとの戦争を体験しているイランでは、ニュースなどの中で繰り返し「めでたいことだ」という論調のニュースが流されています。死刑判決の理由が「シーア派住民に対する人道上の罪」だそうですから、シーア派を国教とするイランとしては当然の反応と言えるかもしれません。その一方で、戦争に対する責任などを問うことができなかったこと、アメリカ主導で行われた裁判であることなどから、喜べない部分もあるような感じのようです。

 こうしたニュースの中でおもしろかったのが、「海外のニュースでは、『フセイン元大統領』という表現がされていますが、フセインというのは彼の父親の名前です」というものでした。
 全くもってその通りで、彼の名前は『サッダーム』であり、サッダーム・フセインというのは「フセインの息子のサッダーム」という意味です。「名字+名前」という組み合わせで名乗るものだという概念から間違えてしまうのでしょうが、せめて「サッダーム・フセイン」という呼び方に訂正できないものなのだろうかと、ニュースを聞きながら改めて考えてしまったのでした。

 今年一年当ブログをご訪問下さった皆様、どうもありがとうございました。
 よいお年をお迎えください。

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2006年 12月 30日 |
 忙しさに取り紛れていたのと、今年は親しい人の中で行く人がいなかったことなどからうっかり忘れていたのですが、ムスリムにとっての一大行事、ハッジ(マッカへの巡礼)が行われるハッジ月に入っていました。
 今日はハッジ月の9日目、明日の犠牲祭を目の前に、巡礼の行事も最高潮に達しようとしているはずです。

 イランのラジオやテレビでは、巡礼者として放送局の社員を送り込み、「今~をしようとしています」「今~の最中です」と携帯電話を通して中継させています。一心に、真剣に巡礼を行っている人の中でそういうことをするのっていいのかなあと、素朴に疑問に感じるのですがどうなのでしょう。
 素朴な疑問といえばもう一つ。ニュースの中で自慢げに、「アラファ(巡礼者が集まる一地点の名前)で『アメリカに死を』『イスラエルに死を』の叫びを上げた」というような事を伝えているのがどうなのかなあと思わずにいられません。
 テレビを付けっぱなしにしていたため、イランのルーハーニー(イスラーム法学者)がアラファでイラン人巡礼者を前にして行っていたプロパガンダ演説を、ついつい全部聞くともなしに聞いてしまったのですが、お決まりの「アメリカに死を」「イスラエルに死を」の他に、「(核開発に対する)国連安保理決議は無意味だ」「ヒズボッラーへの支援を」「抑圧されたかわいそうなパレスチナの民のために」と、なんだかなあという内容が続いていました。

 1979年のイスラーム革命直後の巡礼期にも、イランの巡礼団が世界各地からやって来た巡礼者たちに革命思想を広めようと宣伝活動を行い、マッカを管理するサウジアラビア当局と衝突したという前例もありますし(確かこの事件の後、イラン人は巡礼の人数の割り当てが減らされたはずです)、今更というか、「ああ、またか」というくらいのことなのかも知れません。
 イスラームが日常生活や政治、経済など人間としての営みすべてを区別しないということ、歴史的にも集団で礼拝をすることが勧められている金曜日の集団礼拝で政治に関することが話されることが多かったことなどから、巡礼が政治的な活動に結びつくことは不思議ではないのかも知れません。それに聖地であるマッカで政治的行為は禁じられていないようですし、そういう意味ではイラン政府によるプロパガンダは別におかしな事ではないのかも知れません。
 でも、肌の色を超えた「ムスリム同胞の団結・一体感」を感じるという重要な意味を持つ巡礼の場で、非ムスリム相手とはいえ、争い事や相手の死を望むような言動というのがふさわしいのかどうか疑問を持たずにはいられません。
 例えば、マルコムXは、肌の色に関係なくすべての人が平等に参加する巡礼をきっかけに極端な白人敵視思想を放棄したと言われているそうです。

 すべての巡礼者とムスリムが明日の犠牲祭を心楽しく迎えられることを願います。

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2006年 12月 16日 |
 私の友人の一人に非常に敬虔な女性がいます。
 宗教的な一家に生まれたものの、父親の仕事の都合で幼児期を海外で過ごし、そこでムスリムであることから嫌がらせを受けたり、信仰に関して疑問を持ったりという様々な体験をした後に、やっぱり自分はムスリムなのだと、ムスリムである自分を受け入れることができたと話してくれたことがあります。

 彼女は敬虔なムスリムですから、自分の家族以外の男性の前では決してチャードルを脱ぐことはありません。

 そんな彼女と週末をどう過ごすだの何だのと話していたときのことです。
 私がある町の古いモスクを見に行く予定だと言うと、いつ頃のものかというので、セルジューク朝時代(西暦11世紀頃)くらいに建設されて、その後改修に改修を重ねているらしいから、サファヴィー朝(西暦16世紀頃)の頃の部分とか色々みたいだよと答えたところ、彼女は真面目な顔で「イラン人はサファヴィー朝ってあんまり好きじゃないのよ」と言います。
 私はそんな話は初耳だったので「どうして?」と聞き返しました。すると彼女は、「サファヴィー朝がイランにこんな真っ黒なチャードルを持ち込んで、今の私たちを苦しめているからよ」と言います。
 確かに、今のイランの多数派である12イマーム・シーア派を国教と定めたのはサファヴィー朝が最初です。だからといって、チャードルを女性に強制したのがサファヴィー朝かどうかは私には分かりませんので驚きました。もう一つの驚きは、敬虔で、礼拝や断食を真面目に行う彼女がチャードルに対して否定的な言葉を発したことでした。私はその瞬間まで、彼女は心から望んでチャードルを纏っているのだと思っていたのです。

 ところが彼女によると、彼女がチャードルをかぶっているのは宗教家であった祖父と、敬虔な父に対して敬意を払っているからであって、もしそうでなかったらチャードルはかぶっていないとのこと。彼女は言います。「だってね、コーランのどこにチャードルをかぶらなければならないなんて書いてある?コーランにはただ、髪を隠して、美しいところを見せないようにしなさいとしか書いていないじゃない。そういう意味では、あなたなんて、そこらの女の子よりもずっときっちりとヘジャーブ(服装規定)を守っているわよ。いつもコートを着て、靴下をはいて、スカーフで髪の毛を完全に隠しているじゃない。今すぐにでもムスリムになれるくらいよ。チャードルをかぶっていたら、子どもの面倒を見たり家事をしたりなんてしてられないわよ。いつもチャードルがずり落ちないかって気にしないといけないから、買い物に行っても荷物も持っていられないし。全然機能的じゃないわ」
 彼女は続けます。「例えば、マグレブとかパキスタンとかで、こんなチャードルをかぶっている?だけどヘジャーブを守っていないって言われている?違うでしょ?それなのにイランだけがチャードルをかぶらない女性は神の言葉を守っていないように言われるのよ」
 アラビア半島やアフガニスタンのブルカはどうなる?という突っ込みは心の中だけにとどめておきましたけど、彼女の言いたいことは分かりました。

 彼女の言葉で思い出したのが、イラン第一の巡礼地マシュハドでの出来事です。

 マシュハドには12イマーム・シーア派第8代目のイマーム・レザーが葬られているとされ、その墓廟にはイラン国内だけではなく、アフガニスタンやパキスタンのシーア派ムスリムも数多く巡礼にやってきます。

 私がハラム(聖域)に入ろうとヘラーサト(セキュリティー)へ向かうと、私の前でなにやらもめ事が起こっていました。
 何かと思ったら、一人のパキスタン人女性がハラムに入ろうとしてヘラーサトの女性たちに止められていたのです。ヘラーサトの女性たちは「チャードルをかぶらない限りハラムに入ることはできない」とペルシア語で言いながら、パキスタン人女性を追い返しています。一方のパキスタン人女性はペルシア語が分からないからでしょう。どうして追い返されなければならないのか分からないという様子で、ヘラーサトの女性たちに向かって何か言っています。

 そのパキスタン人女性は確かにチャードルはかぶっていませんでしたが、シャルワール・カミーズと呼ばれるパキスタンでのイスラミック・コードに従った服装をしていて、パキスタンでは問題視されることがないはずです。長袖のワンピースで体型を隠し、だぶだぶズボンで足首までを隠し、髪をシャールで覆い隠しているわけですから、友人が言うところのコーランの規定には違反していないはずです。
 自国ではイランのようなチャードルをかぶる習慣がないのに、突然「そんな服装ではハラムに入れない」などと言われたら、何がいけないのか分からず、戸惑わずにいられないでしょう。

 結局、ヘジャーブといってもその国、地方の習慣が反映されているに過ぎません。イラン国内でも、チャードルの色や形などは色々です。実際、現在イランで「正しいイスラーム女性の姿」として称賛される真っ黒い半円形のチャードルというのも、もともとはテヘランを中心とした地方の物に過ぎなかったそうです。
 カスピ海岸の女性たち、ペルシア湾岸の女性たち、コルドやバフティヤーリー、ガシュガイといった遊牧民の女性たち、それぞれがそれぞれにイスラームの規定に従っていると考える服装をしています。それを、イラン風(正確にはテヘラン風)の服装こそが正しい服装だと決めつけて、各地からイマーム・レザーを慕ってやって来る人々を排除するというのはどうなのでしょう。何かが違うのではないだろうかという感じがします。

 友人との話でそんなことを思い出し、更には各地での結婚などの習慣も「イスラームに従う」という名目の下で部族的習慣が反映されているに過ぎないものが随分と多いという話なども思い出し、結局大切なのは、お互いにお互いの慣習をどれだけ尊重できるかという事なのだろうかと思ったのでした。


 本当なら一番最初にご紹介するべきでしたペルシア語版「はじめまして」はこちらから。

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2006年 12月 15日 |
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 写真整理をしていて見つけた一枚。

 イランでは、顔写真入りの墓石がこの数年のブームです。
 顔写真を石の表面に彫り込んだ物で、亡くなった人を偲ぶという意味で役に立っているようです。
 しかしこの顔写真入りも基本的に男性と子どもばかりで、女性は滅多にありませんでした。女性は人前で顔をさらすべきではないというイスラーム的な考え方からのようですが、それでも全く見られないわけではありません。

 その中でもおもしろいのがこれでしょう。

 女性の顔を直接掘るのが良くないのなら、少し工夫してみようじゃないかということなのでしょう。チャードルをかぶった女性の輪郭に、薔薇と蝶とろうそくで顔を形作っています。

 薔薇はイランの国花。
 ろうそくとその炎に飛び込む蝶は神を求めて自らの身を焼くという、神を熱烈に求める信者の神秘主義的シンボル。
 左肩(胸?)に書かれているのは「我が心臓は常に汝と共に」という神に向けた言葉。

 墓地をぶらぶら歩くのが好きなのですが、ここまで興味深い物にはなかなか出会えません。こういうものを見つけるとなんだか嬉しくなってしまうのでした。


 ペルシア語付き「ラマダーンにつきものの」はこちらから。

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