イランという国で
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カテゴリ:今日のカレンダー( 86 )
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2009年 12月 23日 |
 21日の夜はシャベ・ヤルダー(冬至の夜)でした。

 今年はモハッラムの始まりと重なったため、犠牲にされる羊とすいかが並んで売られているという、哀悼と楽しみという相反する行事が並ぶ不思議な雰囲気でした。カメラを持っていなかったのが残念な光景でした。

 
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 アーシューラー期間ははイブやクリスマスと重なり、さらにアーシューラー当日はある層のイラン人にとって大きな意味を持つモンタゼリー師の初七日とも重なります。地方の小さな町でこの日を迎える予定ですが、どんな日になるのでしょうか。

 明日からしばらく地方を回ってくる予定です。ネット環境には期待できないため、テヘランに戻るまで更新は難しいと思います。
 みなさま、よいお年をお迎えください。

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2008年 03月 20日 |
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سال نو مبارک باد

آغاز سال نو تبریک می گویم

امیدوارم که سالهای خوش در پیش داشته باشد


 (あけましておめでとうございます。
 一年のはじまりに際し祝福を申し上げます。
 これからも良い年でありますよう願っております。)

 イラン歴1387年が始まりました。
 この一年が皆様にとって心楽しいものでありますように!


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2008年 02月 11日 |
 イラン暦バフマン月22日、イスラーム・ヒジュラ暦サファル月3日、西暦2月11日

 今日はイラン・イスラーム革命勝利記念日です。日本の建国記念日と同じ日なのは偶然です。

 1979年から29回目の記念日を迎え、テレビなどでは革命を振り返り、賞賛する番組ばかりです。
 ただ、そのなかでちょっとおもしろかったのは、最初に行われた選挙の時の様子を報じた映像の中で、スカーフをかぶらない西欧的な若い夫婦が、「投票するつもりはありますよ。え?イスラーム共和国?まだ、それがどんな体制なのか全く情報がないからまだ投票には行っていないのよ」とインタビューに応じているものでした。熱狂的な人々が「イラン・イスラーム共和国に投票するぞ!この体制は一番だ!」と叫ぶ様子だけではなく、このように冷静な意見を述べる人の映像を流すということにちょっとした驚きを感じたのでした。当然、このように考えていた人もたくさんいたに違いないのですが、これまで、そういう映像をほとんど見たことがなかったように思うからです。

 イラン・イスラーム革命勝利記念日については、こちらをご参照ください。

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2007年 12月 21日 |
 今日はイラン暦アーザル月30日、イスラーム・ヒジュラ暦ズィー・ハッジャ月10日、西暦12月21日

 今年はカレンダーのいたずらで、シャベ・ヤルダー(こちらはイラン暦)と犠牲祭(こちらはイスラーム・ヒジュラ暦)が重なりました。(シャベ・ヤルダーについては「こちら」をごらんください。犠牲祭については「こちら」)

 町のあちこちにスイカを荷台に満載した軽トラックが見られ、街角で、多くは町の外れで「生きた羊あるよ」と羊が売られていました。

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 テヘランでは「犠牲祭おめでとう」と声を掛け合う割には、羊を犠牲に捧げるところまでする人は少ないようだというのはこれまでにもお話ししてきました。他の国ではどうなのでしょう。

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 冬至を迎えようとしていた一昨日から昨日の未明にかけて、テヘランでは雪が降りました。私が住んでいるあたりでは恐らく今年の初雪です。
 うっすらと雪の積もった様子を写真に撮ろうと思ったのですが、外出しようとした私に、大家さんと下の階の奥さんが、「インターフォンの修理をしているんだから、チェックのためにあなたも家にいなきゃ駄目」と阻止されてしまいました。そのため、写真は残念ながらなしです。

 私が作業場所にしている窓際は、二重サッシにしてあるにもかかわらずすきま風が入り込み、随分冷えていました。今年もちゃんと雪が降る冬であって欲しいと願いつつも、すきま風は勘弁して欲しいなあと思うわがままものなのでした。

(上の写真はIran紙から)

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2007年 10月 03日 |
 今日はイラン暦メフル月11日、イスラーム・ヒジュラ暦ラマダーン月21日、西暦10月3日

 今日はイスラーム・シーア派初代イマーム・アリーの殉教日です。詳しくはこちらをご参照下さい。

 日本では連休を増やすために、月曜日が休日になるように祝祭日が移動するようになっているようですが、普段イランで生活しているからかなんだかまだ馴染みません。

 イランでは休日に関連しての決まり事(?)は二つあります。

 金曜日に祝祭日が重なっても土曜日は振り替え休日になりません。あ~あ、休日を一日損したな~というところです。
 その代わりではないですが、木曜日が休みになることがあります。
 今日のように水曜日が公式な祝祭日に当たっている場合、その次の日である木曜日は小学校から高校まで、学校はお休みです。大学はもともと木曜日は授業がないところがほとんどです。

 このイマーム・アリーの殉教日がやって来ると、「ああ、ラマダーンもあと少しで終わるんだなあ」という気分になります。
 まあ、断食をしているわけではないのですけど。

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 二三日前、夜道を家に戻ろうと歩いていると、目の前に赤い大きな月が浮かんでいた。
 ちょうど鞄に入っていたカメラを取り出したのだけど、三脚がなかったのでちょっとぶれてしまった。

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2007年 06月 18日 |
 今日はイラン暦ホルダード月28日、イスラーム・ヒジュラ暦ジャマーディー・アル=サーニー月3日、西暦6月18日です。

 今日は、預言者ムハンマドの末娘であり、預言者の従兄弟でありスンニー派にとっては第四代目正統カリフ、シーア派にとっては初代イマーム・アリーの妻であった、ファーティマの殉教日です。

イランにおける宗教物語によると彼女の生涯は次のようなものです。

 彼女は預言者ムハンマドと最初の妻ハディージャの間の末娘としてこの世に生を受けました。預言者は6人の子どもがありましたが、男の子はみな早くに亡くなり、娘が四人残りました。預言者は男の子の存在を何よりも重視するアラブの人々の「子どもなし」というあざけりを気にすることなく、女の子たち、特にファーティマ をかわいがっていたといいます。
 ある時、神からの啓示が下り、預言者の血筋はファーティマを通して後生に伝わるであろうとされました。(クルアーン・カウサル章)

 彼女は預言者にかわいがられ、預言者が特に信頼する信者の一人であり、預言者の従兄弟であったアリーのもとに嫁ぎました。
 イスラームに対して敵対する勢力との戦いが続く中、彼女はハサン、フサイン、ザイナブという三人の子どもを産み、育てました。

 彼女についてはそれほど記録が残っているわけではないのですが、シーア派の人々にとって彼女は妻として母として、そして預言者一家を束ねる女性として理想の女性とされています。そのため、彼女が窮乏生活の中でいかに人々のために生きたかを数多くの伝承として伝えています。
 もっとも、18歳で亡くなった彼女がそれらの伝承で語られるようなことを全て行えたかどうか、かなり疑問は残るところです。

 ファーティマはイスラーム・ヒジュラ暦11年のこの日に亡くなりました。伝承によれば病死でしたが、シーア派は、夫アリーの手から権力を奪った勢力に抗議をしていた彼女を邪魔に思う人々が彼女を暗殺したのだと信じています。

 上でも述べている通り、預言者の血筋は彼女の生んだハサンとフサインを通して、現代に伝えられているとされています。この人々はサイイド(ペルシア語ではセイエド)と呼ばれ、預言者の血を引く人々として敬意を表されています。

 彼女が亡くなった日には別な説もあり、ジャマーディー・アル=アッワル月13日(今年は西暦5月30日)だったとも言われていますが、イラン政府はジャマーディー・アル=サーニー月3日を彼女の殉教日とし、休日としています。

 何年か前まではこの日はイランの公式の休日ではなかったと思うのですが、いつの間にか公式の休日となっていました。
 イランは最高指導者ハーメネイー師によると涙の宗教なのだそうで、12人のイマームたちやその周辺の人たちの殉教を嘆き悲しむことと、12代目イマーム・マフディーが救世主として降臨することを願うことが柱となっており、それさえ信じていればスンニー派が重視する礼拝などの宗教的行為は行う必要がないと極論する人もいます。
 ちなみに、イマーム・マフディーが降臨することを願うのがどうして涙の宗教なのかというと、「ああ、今日もマフディーは現れなかった」と嘆かなくてはならないからなのだそうです。

 イラン国内に住むゾロアスター教徒などは、「自分たちもイラン人だがいつも人の喪に服している人たちとはメンタリティーが違う」と言います。そのくらい、シーア派は常に誰かしらの喪に服しているように見えるのです。

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2007年 05月 02日 |
 今日はイラン暦オルディーベヘシュト月12日、イスラーム・ヒジュラ暦ラビーユル・サーニー月14日、西暦5月2日

 今日はイスラーム哲学者であり、思想家であったモルテザー・モタハリー師の殉教日です。

 モタハリー師は1920年にホラーサーン地方で生まれ、12歳でマシュハドの神学校に入学し、イスラーム神学を学びました。その後ゴムの神学校へと移り、ホメイニー師からも教えを受け、革命活動に関係を持つようになりました。
 ゴムでの活動の傍ら、モタハリー師は1955年から23年間にわたり、テヘラン大学神学部で教鞭を執りました。そこでイスラームの近代社会への適応を含む自身の思想を教え、その教えは多くの学生に影響を与えたと言われています。
 モタハリー師はイラン・イスラーム革命の勝利の直後、1979年のこの日に反体制派により暗殺されました。

 モタハリー師の師の一人でもあるホメイニー師は、教師として多くの学生を導いたモタハリー師の功績を称え、同師の殉教日であるこの日を「先生の日」と定めました。その後、毎年、すべての先生に感謝を捧げることになったのです。

 大学でも学生たちが日頃お世話になっている先生に贈り物をしたりする光景が見られます。別段誰に強制されたわけでもなく、自然に先生に感謝をすることができるというのは先生と学生の間に良い関係が築けているからなのだろうなあと思ったのでした。

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 モタハリー師の肖像壁絵。
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2007年 04月 02日 |
 今日はイラン歴ファルヴァルディーン月13日、イスラーム・ヒジュラ歴ラビーユル・アッワル月13日、西暦4月2日。

 今日はスィーズダ・ベダルです。

 スィーズダとは13、ベ・ダルはベ・ダル・キャルダン(追い出す)という動詞から来ているとかいうことです。
 新年の13日目に家から出て、自然の中で一日を過ごす日です。

 この日、テヘランに住む人たちは郊外の自然の中へ、あるいは近所の公園へ、そこもいっぱいだったら高速道路などの脇の植え込みの陰へと出かけ、お弁当を食べ、日暮れまでを過ごすのです。

 イランでは13は不吉な数とされています。そこで新年が始まって最初の13のつく日に外へ出かけることで、不吉なものを家の中に呼び込まないようにするのだとか。
 それに伴い、各地で不幸を避けるための様々な習慣が残っているそうです。テヘランでは、ノウルーズの飾りに使ったサブゼ(小麦などの新芽)をリボンで結び、それがほどけないようにして小川などに投げ込みます。これを忘れると女の子は行き遅れになってしまうのだとか。

 この日はイランでは公式な休日ですがスィーズダ・ベダルとは呼ばず「自然の日」と名付けられています。これは家の中でなく、自然の中で過ごす習慣から来ています。
 イランは例年、ノウルーズ以後、花が咲き、緑が芽吹き、急速に春らしくなります。しかし今年は、ノウルーズになってから寒さが戻ってきて、暖房をもう一度入れなくてはならないくらいになっているのだとか。寒さの中のピクニックになっていなければ良いのですが。

 このスィーズダ・ベダルが終わると新年の行事は一段落して、日常が戻ってくるのです。

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 写真は公園でピクニックをする家族。
 以前撮ったスィーズダ・ベダルの様子をご紹介したかったのですが、写真が行方不明になっているので、スィーズダ・ベダルではない普通の金曜日のものですが、こんな感じということで。

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2007年 03月 21日 |
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سال نو مبارک باد

آغاز سال نو تبریک می گویم

امیدوارم که سالهای خوش در پیش داشته باشد




 (あけましておめでとうございます。
 一年のはじまりに際し祝福を申し上げます。
 これからも良い年でありますよう願っております。)

 イラン歴1386年の始まりです。
 この一年が皆様にとって心楽しいものでありますように!

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2007年 02月 11日 |
 今日はイラン暦バフマン月22日、イスラーム・ヒジュラ暦ムハッラム月22日、西暦2月11日

 今日はイラン・イスラーム共和国革命記念日です。

 28年前の今日、パフラヴィー王朝が完全に崩壊したということでこの日が革命記念日と定められたのだそうです。

 革命の流れなどは一つ一つ追っていくとこのブログがそれだけで一杯になるほど複雑なのですが、日本語でいくつか出版されている本がありますので興味のある方はそちらをご参照下さい。

 28年前の革命当時、まだ小学生だった(年齢がばれますね)私は、歴史の中の言葉のように感じていた「革命」が起こっているということにどきどきとしながらテレビを見ていたことを覚えています。

 このイラン・イスラーム革命ですが、20世紀における三大革命と言う研究者もいますが、そうではなくて単なる政権交代に過ぎないという研究者もいます。私にはそのあたりを判断することはできないのですが、あちこち出かけるうちに現政権が前政権の様々な政策を引き継ぎ、あるいは継続していたことは十分に理解でき、確かに政権交代に過ぎないという言い方も分かるなあとも感じます。
 農村の保健医療ネットワークや教育など、多くの分野で現体制は前体制の計画を引き継いでいるのは事実です。

 「被抑圧者の解放」ということをスローガンの一つに掲げる革命政権ですが、現大統領閣下にとっての「被抑圧者」とはパレスチナのアラブ人やレバノンのシーア派であって、自国内で困っている人はどうでも良いのかなあ?と首を傾げずにいられません。イデオロギーのために国民を困難にさらすことが為政者として正しいことなのかどうか、革命記念日に際して、大統領閣下にはぜひ明確にしていただきたいと思います。
 とは言っても、先日も「国内に何の困難も感じない」と笑顔で言い切った人ですので、期待はあまりできないようにも思われるのが頭の痛いところです。物価の高騰に悲鳴を上げるイラン国民は、彼にとって「困難」ではないのでしょうか。それとも何か劇的に国内の様々な問題を解決するための策を持っているのでしょうか。イデオロギーとの心中だけはやめて欲しいと願わずにいられません。

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