イランという国で
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図書館
2007年 11月 14日 |
 大学で、いわゆる卒業レポート作成のための授業を受け持っているのですが、これが非常に大変です。
 学生がどうこうというのではなく、大学図書館に日本関連の書籍が全くと言っていいほどにないのです。日本語関連の書籍・辞書はある程度ありますが、日本の社会や文化に関連するようなものは全くないに等しい状態です。これでどうやって「研究」をさせるんだ?と頭が痛くなるほどです。「日本語・日本文学科」のはずなのに、「日本文学」に関する書籍すら見あたりません。

 日本語学科ができてからもう10年以上経つはずです。その間、大学は日本語学科のために予算を割くこともなく、また図書館も「高い外国の書籍など買わない」と国際交流基金などの寄贈図書だけを当てにしている状態です。
 テヘラン大学は年間予算などを開示したがらないので、どのくらいの予算で大学が運営されているのかよく分からないところがあります。「テヘラン大学はお金がないから」という人もいれば、「テヘラン大学はお金持ちだよ」という人もいます。
 お金がないのなら仕方がないのかもしれませんが、お金を持っているとしても、少なくとも外国語学部の図書館を見ている限り、日本語に限らず、外国語や地域研究をしようとしている学生のために有益な図書を購入しようという意志はほとんど見られないように思います。

 学生としてイラン文学を研究していたときには、さすがに自国の文学のことですし、歴史のある学部だったこともあって、図書館の蔵書にさほど不満を持ったことはなかったのですが、外国語学部に関してはちょっとひどいなあと思わずにいられませんでした。

 そして先日のことです。
 学科会議の席で、学科長がおもむろに講師陣に語り始めました。図書館がいかに日本語教材を必要としているかと。
 お、図書館も少しはやる気になったのか、と思った私たちでしたが続いた言葉に耳を疑ってしまいました。
「ということで、先生方がお持ちの教材、日本の映画やテレビ番組のビデオなどをコピーして図書館に寄贈するように」とのこと。
 日本にはコピーライトというものがあるし、全ページのコピーとか、ビデオのダビングなどをして寄贈というのは考えられない、と日本人講師たちは戸惑いの声を上げたのですが、イラン人であるところの学科長は我々の言葉の意味が分からないという顔です。コピーのどこが悪いのだと、あまりにきっぱりと言われてしまうともう二の句が継げません。
 そんなことよりも、ちゃんと予算を取って正規に購入して欲しいという要請には、「そんなお金のかかることはできない」の一言で却下です。

 日本とイランの経済格差故に、日本の書籍などを購入するのが大変なのは分からないでもありません。しかし、イランの学生にとっては、イランで出版されている本も決して簡単に手が出せる価格ではないことも多く、ましてや外国の書籍をレポートや研究のためにほいほいと買うことはできません。大学図書館が頼りと言っても過言ではありません。そうした学生や研究者への便宜よりも、「いかに予算を使わずに済ませるか」を考える大学側の姿勢には疑問を感じないではいられないのでした。

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