イランという国で
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またまた『300』
2007年 05月 09日 |
 また、『300』ネタか、という感じですが新聞でこんな記事を見つけたので。

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 イラン国内の600にのぼる文化関連市民団体から千人の代表がペルセポリスに集まって、イランの高度な古代文明をアピールし、映画『300』に抗議をしたのだそうです。

 ペルセポリス観光に訪れた人々に平和のシンボルであるオリーブの小枝を配り、優れたイラン古代文明を世界にアピールするといった内容の共同宣言を発表したとのことですが、この写真やニュースを見ている限り、集まった人たちもペルセポリス観光にいそしんでいるようにしか見えないのが何とも言えないところ。

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 パフラヴィー朝は「古代ペルシアの後継者」ということを強調し、ペルセポリスを築いたアケメネス朝の建国を元年とする「シャーハンシャーヒー」と呼ばれる暦を一時期ではありますが使用し、更にイラン建国二千五百年祭をペルセポリスで開催するくらい、「古代ペルシアの栄光」を政治的にも利用していました。
 しかし、パフラヴィー朝を追い出して「イラン・イスラーム共和国」を建国したホメイニー師は、「イスラーム以前の歴史は歴史ではない」と主張して、ペルセポリスを破壊(爆破)しようとしたと言われています。イラクがイランに攻め込んできて泥沼の戦争が始まらなければ実行されていたのではないかと、この話を教えてくれた人は話していましたが、とすると貴重な古代の遺産が破壊されずに済んだという意味ではイラクに感謝しなくてはいけないのだろうかと複雑な気分になったものでした。

 イラン・イラク戦争が終わってからもしばらくは疲弊した社会や経済の立て直しが第一で、イランの人々は自分たちの歴史を振り返ったり、観光旅行などをする余裕はありませんでした。
 私がイランに初めて来た1996年の写真を見ると、シーラーズやエスファハーンといった有名な観光地でさえ、イラン人も外国人も旅行者などほとんど見られないような状態でした。ほとんどの写真が、貸し切り状態で人が写ってないことからも人がほとんどいなかったということが明らかです。ところが、年が下るに従って人が写り込むようになり、観光施設としての設備が増えていきと、人がいかに多く訪れるようになったかを実感させられます。

 古代ペルシアの文明と古代ギリシアの文明のどちらが優れているとか劣っているとかではなくて、アケメネス朝を滅ぼしながらもアケメネス朝の王たちに敬意を払ったアレクサンドロスのように、互いに敬意を払うことが大切なのだろうなあと思ってみたりしたのでした。
 でもまあ、映画としての『300』は正直、これほど大騒ぎをしなければならないような大したできでもなかったように思いますし、無視しても構わなかったんじゃないかなあという気もするのですが、イランがぴりぴりと反応しなくてはいけないくらいに欧米では高い評価を受けているのでしょうか?

 (写真は5月8日のイーラーン紙から)

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by sarasayajp | 2007-05-09 11:20 | いろいろ |
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