イランという国で
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テヘラン紹介
2004年 10月 06日 |
 これまでテヘランのあれこれをお話ししてきましたが、テヘラン自身の紹介をしていないことに気付きましたので、今回はテヘランのお話しを。

 旅行や仕事でイランにいらした方のお世話をすることがあるのですが、良く聞かれることの一つがこれです。「テヘランの緯度はどのくらいなんですか?」
 ものすごく南の国という印象なのでしょう。でも答えはこうです。
「大体日本の明石市と同じくらいです」
 皆さん大変に驚かれます。私もこれを知った大学一年生の時にはびっくりしました。

 イランは高原の国で、平野はカスピ海岸とペルシア湾岸にしかありません。
 テヘランはアルボルズ山脈の山裾に張り付いた町で、テヘラン市の一番南が高度約千メートル、テヘラン市の一番北で約千七百メートルあります。私の住んでいるのが町の真ん中より少し北の地区なのですがここで高度約千三百メートルです。日本でいえば蓼科高原くらいの高さです。
 松本に住んでいた友人が、飛行機の窓から見る松本は山に張り付いた町の感じがプチテヘランだと言っていました。

 テヘランの後背には三千メートル四千メートル級の山々が連なるアルボルズ山脈が立ちはだかり、カスピ海からの湿った空気を止めてしまうため、とても乾燥した気候です。しかし山には雨雪が沢山降るため、水は潤沢です。
 あまり知られていませんが、ペルシア湾岸諸国やヨーロッパにミネラル・ウォーターを輸出しているくらいに水は豊かです。

 年中暑いと誤解されるのですが、四季が割とはっきりしていて、秋の終わりから冬が雨期です。冬には雪も降ります。

 テヘランの人口は公式の統計によれば七百万人超です。しかし、地方からの流入人口が多く、不法就労しているアフガン人も多いため、実際には一千万人を超えているとも言われています。イラン全体の人口が七千万と言われていますから、人口の一割がテヘランに集中していることになり、これにより様々な問題が生じています。
 政府が力を入れている政策の一つがテヘランへの人口流入を止め、地方に定着させることなのですがなかなかうまくいっていないようです。

 テヘラン市は22の区に分けられ、それぞれ区役所が行政を行っていますが、区長は中央から任命されます。なので、区によって区民税の額が違うとか、住民へのサービスが違うとかそういうことはありません。本当に便宜的な区切りにすぎないようです。
 私がイランの北当初住んでいたのがテヘラン6区で、それから現在住むテヘラン2区へ引っ越したのですが、特に何も変わったことはありませんでした。

 革命前のテヘランは現在のテヘラン南部にある大バーザールを中心に広がっていましたが、人口が増えるに従って町の規模が大きくなり、どんどん北へ広がっていきました。テヘラン北部にはいくつかの村があったのですが、これがどんどんテヘラン市に吸収され、テヘランは膨張していきました。
 南の方へもテヘランは広がっていきました。この南の方には仕事を求めて地方から流入してきた人たちが住み着きスラム化し、北の方へは金持ちが住む高級住宅地となりました。これは、もともとテヘランの北の村に金持ちが夏の別荘を持っていたことによります。テヘランは高低に従って、そのものずばり、下町と山の手があてはまるのです。
 現在では少し崩れているとはいえ、山の手には金持ちが、下町にはもともとテヘランに住んでいたバーザール商人などと新たに流入してきた人たちが、という住み分けはあまり変わっていません。

 こちらで良く聞かれます。「日本(東京)にもバーラー・シャフル(山の手)とパーイーン・シャフル(下町)はあるのか?」
 なぜこれがそんなに気になるのかよく分からないのですが、「一応あるよ」と言うと、そうかそうかと納得しています。

 人口構成は正式な統計はないのですが、ファールスィー(イラン人)が半分弱、アーザリートルコ系が約4割、残りがアルメニア人、クルド人、その他と言われています。

 テヘランのバッガーリー(食料雑貨店)とパン屋はほとんどがアーザリートルコ人の経営です。それからタクシーの運転手にもトルコ系の人が多いです。テヘランの大バーザールもトルコ系の人がかなりの割合を占めています。テヘランは、実はトルコ人の町なのではないかと思うくらいにトルコ語が飛び交う町でもあるのです。
 私の友人や知人にもトルコ系が多く、トルコ語を覚えるようにいつも責められていたりするのです。
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