イランという国で
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スィーラーフ
2006年 04月 26日 |
 ブーシェフルから150キロメートルほど南へ走ると、キャンガーンという小さな港町があります。この町の近くには、スィーラーフという西暦11世紀頃に栄えていた港町の廃墟が残っています。

 ということで、ブーシェフルからいにしえのスィーラーフを訪れるべく、一路南へ。
 途中、せっかくだからということで、今話題になっている原子力発電所を見に。運転手が怖がって、途中でこちらの言うことを聞かずに引き返してしまいましたが、実際には、随分と近くまで近寄って見ることができるのだとか。

 そこからはキャンガーンへ。
 イランのペルシア湾岸を走っていていつも不思議なのが、どうして海岸沿いに街道を通さないのだろう?ということです。
 例えば、ブーシェフルとキャンガーンの間にはいくつか小さな港町(村かもしれませんが)があり、それをつなぐ道路も走っていますが、メインとなる街道は海岸から随分と離れた内陸を走っています。
 これはここだけでなく、ペルシア湾岸全体に言えることです。

 イラン独自の考えもあるのでしょうけど、内陸の、ひたすらはげ山と砂漠や土漠が広がる光景だけを見ながら走るのはとても退屈です。何もないところなので、道路を造るのは簡単なのでしょうが。どうせならシーサイドラインにしてくれたらなあと、ついつい思ってしまいます。

 そうして荒野をパイプラインと一緒に走って海が見えてきた!と思ったらキャンガーンに到着です。
 ごく小さな街なので、目の前に広がる海も青く、とてもきれいです。

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 現在のスィーラーフの街(村の方が正確かも)の全体



 さて、スィーラーフです。
 今はないスィーラーフの街は、現在のキャンガーンとその両隣の小さな港、ターヘリーとダイイェルの三つの港を含むくらいに大きな街だったそうです。
 記録によると、この街の歴史はサーサーン朝(西暦3-7世紀)にまで遡るそうです。サーサーン朝の王の名前、アルダシールにちなんで「アルダシール・アーブ(アーブは水の意味)」というのがこの町の名前の始まりでした。
 その後、イスラーム時代になって交易が盛んになり、ペルシア湾内だけではなく、遠くインドや中国とも交易が行われるようになり、スィーラーフは繁栄しました。ペルシア湾の真珠の輸出で特に有名だったとか。

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スィーラーフの遺跡。波打ち際に建物の跡が見えるが、打ち上げられたり投げ捨てられたりしたゴミで一杯。




 いつの間にやら衰退してしまったスィーラーフには現在、バーザールの跡、金曜モスクの跡、支配社会層の人々の館などが残されていて、当時の繁栄の様子をかいま見せてくれます。

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 金曜モスク跡から海を臨む、の図。モスクの裏はもうすぐ砂浜。




 スィーラーフには、イスラーム以前のゾロアスター教徒の墓と言われている場所があります。
 山の斜面の岩を長方形にくりぬいてあるものが延々と続く不思議な場所です。
 イランではゾロアスター教徒の集団墓地と考えてられているようですが、それに対して疑問を投げかける学者もいるとか。

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 遺体を置くには小さすぎ、鳥葬をしたあとの骨を入れたにしても蓋が全く見あたらないのはおかしいとか、骨が全く見つからないのもおかしいとか、墓地とするには疑問点も多いのだそうです。

 しかし、斜面一面に長方形の穴が開けられているのは不思議な光景で、いったい何のための穴なのか、夕闇の迫る中で色々と考えさせられてしまったのでした。

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