イランという国で
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2006年 01月 27日 |
 昨日のエントリーに関連して。

 誹謗中傷をするならすればいい。それを気にして右往左往するよりも、自分が自分の信じる道を行くことが大切。
 人間が誰でも迎えなければならない最後の日に後悔することがないように。たとえそれが明日であっても。
 人は誰しも完全ではなく、足りないものを得るために努力をしなければならない。もちろん、正しい方法によって。どんな宗教でも社会でもそのために教えていることは一つ。人を傷つけないこと。

 人が常に努力をすることの大切さを教える物語を一つ。


 神の赦しが、罪によって道をはずした人に、導きの灯火をその行く手に灯した。その灯火故にその罪人は真理を求める人々の輪に加わった。ダルヴィーシュ(托鉢僧)たちの歩みのめでたさと、彼らの呼吸の誠実さにより、彼の行いの非難されるべきところは称賛すべきものに変わった。彼は欲望から手を引いたが、誹謗者たちは、彼が以前と変わることなく、彼の敬虔さと善は信じられぬと言った。

     懺悔と改悛により神の罰からは解放されることができようが
     人々の舌から解き放たれることはできぬであろう

 彼はそうした言葉の暴虐に堪えられず、タリーカ(※1)のピール(※2)の許へと不満を訴えた。シャイフ(※3)は涙を流し、言った。
「お前はこの恩恵への感謝をどのようにして行っているのだ?お前は人々がお前について考えているよりも優れているというのに。

     汝はいつまで言うのか。『悪意と妬みの持ち主が
     無力なる私の欠点をあげつらっている
     時に彼らは我が血を流そうと立ち上がり
     時に私に悪意を抱いて座っている』などと
     汝は善であれ。人々が汝について悪く言おうとも
     汝が悪であるのに汝を良きものであると見られるよりも良い

 しかし、私については人々は善く考えており、完全であると言っているが、実は私は欠点の中にある。私はこれを心配し、悲しんでも許されるであろう。

     もし私が語っていたことを私が行っていたならば
     私は善き行いの敬虔なるものであっただろう

     私は我が隣人たちの目からは隠れているが
     神は私が隠していようが明らかにしていようが知っている

     人々から隠れようと自らの前で扉を閉ざし
     人々が我が欠点を広めぬようにしたところで
     閉ざした扉に何の益があろうか
     神は隠れたものも明らかなものも知っておられるのだ」
                    サアディー著『ゴレスターン(薔薇園)』第二章より


※1 「道」の意味。そこから転じて、神秘主義の道を目指す人々のグループを指す。
※2 「老人」の意味。そこから転じて、タリーカで指導的な役割を果たす人を指す。
※3 ピールと同じ意味。
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by sarasayajp | 2006-01-27 16:57 | いろいろ |
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