イランという国で
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痛くて寒い話
2005年 12月 15日 |
 日本語学科の学科会議。
 今回の主な議題は目前に迫ったターム末の試験についてと、次のタームの時間割について。

 試験については学生も頭が痛いでしょうが、私も頭が痛いです。
 文法などでしたら試験もしやすいでしょうけど、私が担当しているのはほとんどが会話のクラスなので、どうやって試験をして、どうやって採点したものやら何とも悩ましくて困ってしまいます。
 特に、熱心でがんばっている子が多いクラスだと、ついつい、点数で優劣をつけたくないなあなどと考えてしまいます。
 実際、大学で二年間日本語を習っただけで、何とか日常会話ができてしまうレベルにまで達している彼女たちには感心しますし、それにたいして点数を付けてしまうことにちょっと何とも言えない後ろめたさのようなものさえ感じてしまいます。


 この日、会議とは別に話題になったのが京都で起こったという、塾講師による生徒の殺害でした。

 学ぶ立場だった時にも感じたことはありますが、教える側と教わる側の相性というのはどうやっても存在すると思います。どうしても好きになれない先生、どうしても上手く対応できない生徒、それぞれです。
 事件を起こした講師は、一人の女の子とうまくいかなかったことで評価が下がり、就職に支障を来すのではないかと思いこみ、殺すしかないと考えたとのこと。もし本当だとしたら、呆れるしかありません。

 テヘラン大学でも各学期毎に生徒が先生の評価を行います。この評価が悪いとなにやら叱責の手紙が送られてくるそうですし、新任の先生の場合は、一期目の評価が悪い場合、その後採用されることはありません。
 だからといって、誰か一人の学生とうまくいかなかったからといって、その学生をどうこうしようと考えるわけがありません。その他の生徒と上手くやれて、差し引きしてプラスであればそれで良いじゃないか、そう考えればいいだけだと思うのです。
 自分とは相性が悪くとも、他の先生とは上手くやれるならそれほど問題はないと思うのです。自分の指導が受け入れてもらえなくとも、他の先生に任せることができるのですから。どの先生とも上手くやれないならそれはその学生の人格の問題だと思いますし。

 大学生と違って小学生はもっと素直に好き嫌いを表すでしょうから、不快に思うことや傷つくこともあるかもしれません。でも、だからといって、一週間もかけて準備をして殺してしまうことはないだろうにと思わずにいられません。

 ネットなどを通してしか日本のニュースに触れる機会がないため、どうしても情報が(ruthkさんが仰るところの)「痛くて寒い」ものに偏ってしまうのですが、それにしてもどうしてこんなに子どもが殺されなくてはいけないのだろうと、やるせなくなってしまいます。


 関係ありませんが、先生に対する評価を授業中に、先生の目の前で書かせるのはやめて欲しいなあと、テヘラン大学の教務課にはお願いしたいです。学生も先生もやりにくくてしようがないのです。
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by sarasayajp | 2005-12-15 22:08 | いろいろ |
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