イランという国で
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「がんばれ」
2004年 11月 23日 |
 バムで知り合った、震災孤児を支援するイランのNGO主催者から電話がありました。

「日本語の『がんばれ』ってペルシア語で言うと何なの?もう一つ『元気だそう』って?」

 どうやら日本から送られたカードにそう書いてあったのに、意味が分からないので私に電話をしてきたようです。

「ああ、それはね…」

 そこではたと気がつきました。
 そういう表現はペルシア語にはないのでは?
 少なくとも私は使ったことがありませんし、言われたこともないように思います。
 もともとそれほどペルシア語のボキャブラリーは多くないので、頭の中にあるペルシア語単語帳を大慌てでめくり、絞りだそうとするのですがだめです。

「ごめんなさい。ペルシア語にちょうどいい表現が見つからないんです。『がんばれ』に一番近いのは多分、movaffaq bashid(成功をお祈りします)かもしれないけど、ちょうど同じ表現はないです。『元気だそう』は駄目です。説明できません」

 自分のペルシア語力に絶望を感じた瞬間でした。

 たまたまその直後に、もう一人の留学生(現在イランにいる正規留学生は私を含めて二人だけ)から電話があり、一緒に夕食を食べることになりました。彼は口語の表現力に関しては私と比べものにならないくらいすごいので、夕食を食べながら彼にこの二つについて聞いてみました。

「あ~~~ないですねえ。Movaffaq bashidだとちょっと違いますよね。やっぱ。元気だそうは無理ですよ。全然違う表現に変えないと。でも何かあるかなあ」

 と、二人であれやこれやとしっくり来る表現を探しているうちに話しがずれてきました。

「今ターム、全然やる気が出ないんですよ。イラン人と話す気分にならなくて。先週も授業を一週間さぼっちゃいました。こんなのはじめてですよ」
「あ~、そういう時ってあるよね。無理する必要もないと思うけど。少し休んでみたら?」
「そういえば、さっきの『がんばれ』ですけど、がんばる必要ってあるんですかねえ。どうやってもがんばれない時にがんばれって言われるのきついと思うんですけど」
「それはそうかも」

 そういえば、同じことをバムでも聞いたな、と思い出しました。
 各国から支援に来たボランティアやNGOの一部が、バムの人々があまりにやる気を見せないので呆れて帰ってしまったという話しを聞いた時でした。
 地震の直後からバムで支援活動を手伝っている女性にその話をしたところ、彼女は言いました。
「私はそれでもいいと思いますよ。がんばれがんばれって言われても、できないことはできないのだし、それよりは気持ちが落ち着くのを待った方がいいと思うんですよ。立ち上がれるようになったら立ち上がるでしょう」

 私よりずっと長くイランに住み、イラン人として生きていらっしゃる方の言葉ですから重みがありました。がんばれ、再建をしようというのは、援助する側の押しつけでしかない、支援をされる人たちの立場に立っていないという穏やかな彼女の指摘に、援助の難しさを考えさせられました。

 もっとはっきりと言ったのは内務省のある高官でした。
「神戸の体験を、と日本の人は言いますけど、日本とイランでは様々な条件が違うでしょう?どうして神戸の体験をそのままイランに持ち込むんですか?我々には我々の文化があります。神戸の体験が役に立たないとは言いません。もちろん有益なこともたくさんあると思います。しかし、当てはまらないところもあるのです」

 イランにも正すべきところははっきり言ってたくさんあると思います。そして海外の援助がないとできないことも多いです。何といっても、計画を立てることは大好きでも、実行に移すのは面倒という国ですから。
 しかし日本的(あるいは支援を行っている各国の)価値観だけを押しつけるのではなく、イランのことを理解した上で、双方の良い部分を利用する道を探さなくてはならないのだと、それができなければ、単なる「善意の押しつけ」にしかならないのだと、援助の難しさを感じたのでした。

『がんばれ』というのは難しい言葉だな、と思った夜でした。
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by sarasayajp | 2004-11-23 15:11 | いろいろ |
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